1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 モンスターペアレンツ、ヘリコプターペアレンツ、毒親、過保護、過干渉、と。さて、私はどの親かな。

2024-09-14 04:45:23 | 法話

【9月15日投稿分】  過保護、過干渉の辿り着くところ


仏壇参りに伺うと、その家の母親が「住職さん、大器晩成という言葉があるでしょ。若い時にうだつが上がらなくても、『この人は晩年になって大成する人かもよ』といわれる人が。本当にそうなった人って、住職の近くにおられましたか」と。息子さんの事を心配されているんだろうな、と推察した拙僧、その母親に「大器晩成とは『大きな器は、完成するまでには、時間が掛かる』という意味でね、何も努力をせずとも、晩年になれば、道が開ける(成功)、という意味ではないんだよね。諺に『果報は寝て待て』という言葉があるでしょ。これは、やれるだけの事をやった人が、結果を待っている姿の事を言ってるんだよ。『棚から牡丹餅』も、自らが牡丹餅を作って、棚の上に置いておかないと、落ちてくる事もないし。『三度目の正直』も、真剣に取り組んで、失敗を重ねた人が、辿り着く成功だよ」と。


すると、この母親が溜め息をついて「そうですよね。蛙の子は蛙ですもんね。トンビが鷹を産むはずがないですもんね」と。「確かに、その確率は高いとは思いますが、中には、鷹の様に育っていったトンビ(子供)が、檀家さんの中にも、知人の中にも、何人かはおりましたよ。そんなトンビ(子供)は、自らがそれなりに努力をしてましたけどね。努力をすれば、自ずと器も大きくなり、大きな物が入ってくるでしょうが、努力をせずば、小さい器のまま、当然、小さい物しか入ってきませんよね。まあ、しかしながら、如何に努力をしても、器の小さいままの人間も当然おりますよ。持って生まれた性格(本性)の影響もありますから。だけど、小さい器が悪い訳ではないですよ、分相応に生きていけばいいだけですから。あまり子供に期待を掛け過ぎると、子供を押し潰す事になりかねないので、そこら辺を親は、気を付けなければいけませんよね」と。


続けて拙僧、この母親に「今1つ、親として気を付けなければならない事があります。『この子は、やれば出来る子なんですが』と訴えてくる親です。こんな親を何人も見てきました。『やれば』と前置きするという事は『やらない』という事なんですよね。そんな子供が出来上がっていった大きな理由の1つは『子供が動きやすい様に、子供が失敗をしない様に』と、子供が幼い頃から親が、先に先にお膳立てをしていったが結果ですよ」と、この檀家の母親に。身に覚えがあったのかな。酷く反省をされてましたね。


さて、子供といえばですね、何度注意をしても、人(他者)が話をしている途中で「その話は、少し違うよ」と話し手の口を遮り、人前で人に恥をかかす檀家の息子(30代男性、会社後継者)がいまして。その息子の口癖が決まって「しかしですね、逆にですね」という言葉にて。全くもって、せっからしく、うんざりする。この度も、拙僧同席の中、父親である社長が社員の前で和気藹々の話をしていると、その息子が「父さん、その話は」と、いつもの『どうだ顔』で割って入ってきた。社員さん達が『またか』という表情をしたので、その場にいた拙僧がその息子に「ちょっと、こっちにおいで」と別室へ。そこで息子に「君は、何度注意をしたらわかるんだ。『人前で人に恥をかかすな。後で2人きりになった時に、訂正してあげれば済む事だろ』と何度も注意しただろ。親父さんの話の内容が、正しかろうと、正しくなかろうと、社員の人達には関係ないんだ。君の正しい話(情報)など望んではないんだよ。只々、親父さんの話(経験話)が面白くて聞いてるんだ。間違った内容の話の中からでも、その話の中に親父さんの経験が含まれているから、社員の人達は、それを教訓として得ようとしているんだ。何度言えば、君はわかるんだ」とまた、注意を。


続けて、この30代後継者息子に「檀家の中のある社長さんが、後継者である息子さんに『社員の器は誰でも持っとるが、社長の器は誰でも持ってるもんじゃない。堅気(カタギ)の器は誰でも持っとるが、極道の器は誰でも持ってる訳ではない。人は勉強すればするほど、経験を積めば積むほど、自分が如何に無知であったかを知る事になる。お前は、経験なき知識持ちの典型だよ。今の状態はただの、物知りさん、でしかない。ただの物知りさんでは、実戦では役には立たん。社長が社員を選んでいると思うなよ。社長も社員から選ばれている立場なんだ。社員がいなかったら会社は成り立たん、を肝に銘じてとけ』と厳しく叱咤を。勿論、2人だけの時に父親が息子に」と。


続けて拙僧、この息子に「普通なら、ここまで言われたら、腹を立てるところだよね、相手が父親だから特に、甘えも加わって。が、この息子さんはそうじゃなかったな。今度、この親子に機会があったら合わせてあげようかね。話は変わるが、柳生宗矩公と沢庵和尚との間に、こんな事があったそうだよ。沢庵和尚が高さ60センチほどの縁側と庭石の間に、幅50センチ、長さ4メートルの足場板を置いて『これを渡れるか』と。すると柳生公が『お前、わしを馬鹿にしているのか』と渡ってみせ『こんなの、子供でも出来るわい』と。すると今度は高さ40メートルの天守閣の屋根に足場板を置いて『では、あれはどうじゃ』と。『うっ』と躊躇していると沢庵和尚が『おぬし、先程は、子供でも渡れる、と言わなんだか。同じ物でも場所が変われば別物になる。この世に、簡単、と言われるものは何もない。その奥深さを知らないだけだ。そんな事では、将軍の剣術指南役は務まらんぞ』と柳生宗矩公に。この話が本当の話か、逸話の話かなど、どうでもいい。君がこの話を教訓として、今後の参考に出来れば、それでいい」と、この屁理屈言いの後継者息子に。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、9月20日になります。