1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人間は生まれてくる時も、死んでいく時も、第三者の手を借りないと何も出来ない。その事を自覚して、人付き合いを。

2024-08-19 05:44:48 | 法話

【8月20日投稿分】


昨日、拙僧の法話の読者という関東在住の女性から「愚痴になりますけど、聞いてもらえますか」と電話が。この話をここで紹介するは、この女性からの要望でして。女性曰く「同じ境遇の人が、世の中には必ずおられるでしょうから、この話を法話にしていただけたら、何かしら考えるきっかけになるのでは、と思いますので」と。確かに、類似の境遇にある人は拙僧の周囲にも、ちらほらとおられるには、おられますけどね。


その女性が「住職が法話の中で『子供は、親が育てただけしか、育ってない。親が作った家庭環境の中で、その親が育てる。親に似た子供が育つ確率が高いは、当然の事にて。鳶(トンビ)が、鷹(タカ)を産む事はありません。基本、蛙の子は、蛙にて。が、偶にですが、鷹(タカ)の様な鳶(トンビ)が育っている事が。その大半は、子供自身が自らの努力によって、鷹になってる様で。但し、これらの見解については勿論、例外というはありますよ』と。住職の言われる通り、基本は『この親にして、この子あり』だと思います。私の両親は、2人共が非常に温厚で、素晴らしい人達(人格者)でした。5人の兄弟、姉妹の中で、兄(当年72歳)だけが、住職の法話の例外に当たる人間で、両親に悉く反発し、我が強く、徹底した個人主義(利己主義)で、好き放題、やりたか放題の人生を」と。


続けて、その女性が「実はその兄が先日、何を思ったか、突然私に『俺は誰の世話になるつもりもない。俺が死んだら、骨はそこら辺に捨てとってくれ』と。それを聞いた時、思わず『はっ、今、なんて言ったの。兄さんのその骨を、いったい誰が、いったいどこに、捨てに行くの。私が兄さんより先に逝ったら、そんな後味の悪い事を、私の息子、つまり、あなたの甥にさせるっていうの。冗談じゃない。人は産まれてくる時も、他者の手(産婦人科医など)を借りないと、この世に出てくる事は出来ない。人は死んでいく時も、自分で歩いて火葬場に行く事は出来ないんだから、他者の手を借りないと何の処理も出来ない。誰の世話にもならない、ですって、現に、捨てとってくれ、と私に頼んでるじゃないの。お父さん、お母さんが永眠している菩提寺の納骨堂がちゃんとあるんだから、そこに納めて俺の永代供養を頼む、ぐらいの事が言えないの。それだったら、私の息子も快く受けられるわよ。立つ鳥跡を汚さず、とはそういう事よ』と思わず、言いたい事をぶつけちゃいました。その後は流石に、屁理屈こきの兄も気まずい顔をして、閉口しました」と。


更に女性が「住職、兄という人間はですね、1度も結婚をせず、生涯独身を謳歌した人で、若い時からの口癖が『俺が一生懸命に働いた金を、何が悲しゅうして、妻や子供に使わにゃならんのや』と。対し、私が『産んで育ててもらった恩は、産んで育てて返すが、当然でしょ。縁が薄くて結婚まで至らなかった人や、子供が欲しくても授からなかった人は、別だけど。これが何よりの親に対しての恩返しでしょ。兄さんは、育ててもらった経験しかないから、育てた経験がないから、待つ事(子供が成長するを)や、我慢する事(子供が成長するまで)が出来ないでしょ。だから、いつまで経っても考え方が自分中心で、大人になってないでしょ』と。この様な口論は、度々ありましたね」と。


続けて女性が「恐らく、兄も気付いているんだと思います。今、自分が、強がった言葉を吐いているという事を。自分が選んできた人生を自分で否定するは、あまりにも辛いからですね。それが証拠に、私とのこの度の口論、最後は閉口を。こんな事を思ったらいけないのでしょうが、兄は可哀想な人だと思います。せめて、晩年は素直になって、兄弟、姉妹、甥や姪と、親しく交流を持ってくれたら、と思うばかりです。住職が以前、法話の中で『人は晩年になると、失っていくものばかりにて。職を失い、親を失い、兄弟を失い、友人を失い、伴侶を失い、健康を失い、と。この失っていくものばかりの中で、孫、曾孫の存在は、掛け替えのないもの』と。ほんと、そうだと思います。住職、今日は愚痴を聞いてくれて、有難うございました。兄の愚痴を言いたくて電話をさせてもらったのに、兄の事を見つめ直すきっかけにもなりました。また、連絡します」と、この女性が。


人間というは、皆が皆、事情を抱えて生きているもの。事情の塊が人間ですから。第三者に迷惑を掛けずに生きている人間など、恐らく、誰1人もいないでしょうが、ただ、自分勝手な行動で人に迷惑を掛ける様な事だけは、極力、避けていきたいもんですな。


わが寺(金剛寺)には、納骨堂の中に『永代堂(添付写真)』を設けております。3年程前に建立させて頂きました。建立理由は、今後、独身者が増加し「先だった親と共に永代供養を」の依頼が必ず増加を。「そこら辺に捨てとってくれ」の人ばかりじゃないですもんね。また「自分の遺骨はどうでもいいが、流石に、親の遺骨を粗末にするは、忍び難い。なれば、自分も一緒に」と言って、お寺に相談に来られる人達も昨今は、ちらほらと出てくる様になりました。であれば、受ける側(寺院)もそれなりの準備を、で、永代堂の建立を。


【余談】

これは余談ですが、拙僧が幼い頃、育ての親(拙僧母離婚で不在)の婆様が「お盆が終わったら、朝晩が涼しくなるだろ。それはご先祖さん達が、お盆で供養してもらったお礼に、朝晩だけでも涼しくしてあげようと、暑さを持って帰ってくれてるからだよ」とその様に。このお年寄りならではの『情緒ある言葉』に対し、拙僧は幼い時期から、これが『嘘か本当か』など、どうでもいい、と。お盆が来る度に、この言葉が聞けるのを楽しみにしてましたね。『先祖に守られているんだ』という感じがして、非常に心地がよかった。また、婆様は「赤とんぼの赤い色は、ご先祖の血の色でな。とんぼの頭にご先祖が乗って来るから、捕まえたらいかんのだよ」という言葉も。いやあ、懐かしいですな。婆様は早いもので、今年で31回忌に。恩返しの為に毎年、祥月命日(立ち日)には、年忌法要を勤めております。生きていたら、113歳になりますかね。拙僧はこの身が息絶えるまで、婆様に育てられた恩が消える事はありません。生きている間は、ずっと恩返し(供養)を。


長くなってすいませんが、もう少しだけ、お付き合いを。面白い話が舞い込んできましたので。檀家の爺様が「住職よ、先日な、凄く心根の優しい孫(高校男子)が『爺ちゃん、これから先の夏は、暑くなる一方だから、春先か、秋が深まって、雪が降る前に死なないと駄目だよ』と。『何でや』と聞き返すと『夏なんて時期に死んだもんなら、年忌法要(立ち日か、立ち日近くで法要、3回忌、7回忌、13回忌、など)をしてもらえないかもしれないよ。うちの親(爺様の子供)なら、そんな事をやりかねんからね。今から先は、死ぬ時期は大事だよ。それと、死に顔は安らかな表情でね。うちの親(爺様の子供)の脳裏に、焼き付けとかにゃならんから』と。確かに、間違いないや、と思ったわい」と。対し拙僧「面白いお孫さんですね。まあ、しかし、生きるも大変だが、死ぬのも大変ですよね」と。


【付録】

約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、8月25日になります。添付写真は、わが寺の永代堂。