わが寺の柱(恩人)だった90歳檀家男性が他界した。75歳までは設備会社(水道工事)を経営。その後は長年の無理が体に表れ、入退院の繰り返し。が、体が動く間はお寺の工事を檀家さん達と。この方、何度、死に掛けたかな。その都度、復活を。『人間は寿命、病気じゃ死なない』を私達に示してくれた1人だった。
【追伸】
悪口も暴露話も、供養にて。忘れ去るが最もあかん。という事で、この恩人男性の生涯、長年の無理、無茶の一部を紹介しようかね。「わしの死後、法話に掲載してくれや」と本人が希望を。とはいえ、文章に書ける範囲だけを。全て包み隠さず書いたら、ドン引きされますので。戦中戦後、家の中には『ヒ〇〇ン』(昭和24年、国が劇薬に指定。昭和26年、国が覚醒剤取締法施行)が箱詰めで、何箱も。大酒飲みで30歳代にはパンツが四六時中血だらけに。それでも病院には行かず、自力で回復を。拙僧の父(先代)に「根性あるなら3年3ヶ月の間、酒を止めてみい」と言われ「止めたるわ。が、その後はまた飲むぞ。クソ坊主が」と大喧嘩を。その日からは根性で。気付いたら酒屋の前に立っていた、というが何度も、と。その3年3ヶ月目が、偶然にも自分の誕生日だった事で、以来、1滴も酒を、と。85歳を超えた頃から拙僧「おいちゃん、癌じゃ、くも膜下じゃ、脳梗塞麻痺じゃ、腎臓疾患じゃ、肝硬変じゃ、と様々病気を。が、その都度回復を。なかなか死なんよね。しぶといよね。ところで、いつ頃、死ぬ予定ね」と言うと「さあ、知らんがな」と、ニコッと笑って、嬉しそうに。が、最期はあっけなく、苦しみもなく、非常に安らかな旅立ちを。また、1人、父の時代からの大恩人が。••• 寂しい限りにて。
