1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【2187話目】人間関係は、夫婦、親子、友人、同僚、師弟も、全て「出会うは運命、出会ってから先は努力、最後の別れには感謝」かな。縁は異なもの味なもの。どこで、どの様に結ばれるか、人は知らず。

2021-06-11 10:10:59 | 法話

ツイッター法話を読んだ方が遠近問わず年に数人、お寺へ参拝に。その時、必ず法話の本と短文法話のコピーを「必要なかったら、捨ててもいいから、まあ、もって帰り」と。檀家が「ほんとにそこらへんに捨てられたら」と。「その捨てられ本を誰かが拾って読んでくれたら。縁はどう流れるか、人には計り知れんよ」と。

【追伸】拙僧の子供達が10代の頃「父さん、母さんの了解も取らず勝手に、式場、日程を決めて『結婚するぞ』って、何なん、犯罪やん」と。対し「明治時代の教育者、哲学者の森信三さんが『出会う人(物)には、出会う様になっとる。それも、一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』と。父さんらも、母さんは高校の後輩、後輩といっても父さんが卒業と同時に入学した人。もし、高校時代に縁があって、出会っていたら『何なのよ、この人、変な人』と、見向きもされてなかっただろう、と推測する。タイミングって、大事なんだよ。そのタイミングも縁だ。その縁に感謝しなきゃ。君らはそれで生まれてこれたんだから」と。