憲法制定時の経緯と今後の方策

2017-09-28 10:38:28 | 日記

1憲法制定時の経緯と今後の方策0811

終戦記念日が迫ってきた。アベノミクスがおかしく成って来たようだが、安倍内閣の歴史的存在意義は、改憲の実現にある。臨時国会に改憲を提案することが重要である。現行憲法が国民の憲法か、マッカーサー憲法か疑義を払拭する必要がある。

憲法学者の宮沢俊義教授の8月革命説は、1945年の8月時点では起こったことは確認出来ない。一方、大日本帝国憲法の改正としての日本国憲法と言う説によるとしても憲法改正限界説が障害となる。マッカーサー元帥が日本国憲法を押し付けたという説もある。(続く)

「憲法学者宮沢俊義教授の言う8月革命は宮廷内革命として成立した。)昭和天皇が周囲の進言を受け入れ、敗戦という悲劇を国民と共に受け容れようと宮廷内で決意し、国民に玉音放送として呼び掛けた。軍将校達は玉音放送の阻止に失敗し、8月革命は成立した(続く)

評論家長谷川慶太郎氏はこの昭和天皇の平和をもたらした.この実績をもって昭和天皇を20世紀最高の政治家の一人として称賛している。今上天皇が近く退位されるときに、昭和天皇の平和の功績を明かにすべきで、同時に現憲法成立の父であることを明確にすべbきである

昭和天皇の名誉ある決断により,日本は戦後長く平和を享受できたが、プーチン氏、習近平氏等は自らの野望のため世界人民の願いを顧みず、クリミヤ、南シナ海で国際法に反する不法な行動をとるのは恥ずるべき 。

 

)昭和20年の今日8月15日は猛暑で蝉が激しく鳴いていた。72年後の本日は、やや涼しい。蝉も鳴ている。当日は、豊橋に滞在中であったが、午前中、戦闘機が2,3機空中を飛廻っていた、宮沢教授の言う8月革命阻止に失敗した反革命陸海軍の最後の足掻きであった。

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