333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

我慢しない

2009-01-04 03:23:25 | SP(Standard Program)
●業務連絡。最近は人もめっきり減ったmixiで今年から日記をつけることにしました。誰でも読めるわけではない設定にしてあるので興味ある方は訪ねてきてください。マイミクっつーんですか?その何か仲良しなんだかそうなんだか怪しい関係になると読めます。「jumper from 333」で検索すると良いかも。

●先日、ぼんやりとテレビ誌のドラマ欄を眺めながらふと「最近のドラマは片思いモノが減っているんじゃないか?」と思いました。そんなジャンルがあるかどうか知りませんが、要は恋愛もので、登場人物が誰かに片思いしているという設定のあるドラマです。時代が変われば恋愛スタイルも変わりますから、人がどのようなプロセスを経て出会い、交際するかは変わっていくわけですが、時代の流れとともに片思いする人は減って来ているという個人的な印象があります。

●もしかしたらそんなことを思っているのは30歳代の筆者だけで。若者たちは「そんなことない!私は片思いしまくりで、切なさ炸裂中です」と言うかもしれません。しかし、片思いって要は切ないとか何だとか言う以前に「我慢」が必要なものですよね?だって付き合いたい、一緒に遊びに行きたい、メシも食いたい、裸で楽しいこともしたいという気持ちが叶えられない状況ですよね。だから「片思いも立派な恋なの」は正論ですが、ベースには「何らかの欲望を我慢」している状態が続くわけです。そこでここからは筆者の推論なんですが、要は片思い話が減っているのって、人が我慢できる容量が減っていることとどこかでシンクロしているんじゃないでしょうか?

●ここでも繰り返し書いていますが、今の社会はとにかく「我慢しない」ことにすべてのエネルギーを費やす方向に向かっています。そういうアメニティ至上の社会と片思いの物語は相性がよろしくありません。誰でもすぐに連絡が取れて、欲しいものがボタンひとつで届く社会と「ああ、あの人とデートに行きたいけど不可能」はうまくそぐわないんです。そもそも「誰かを好き」という感情自体が不条理で理由があってないようなものですから、快適さを常に求める環境からすると明らかにそれは「排除」されるべきものなわけですよ。それが倫理的に許されるかどうかはともかく、アメニティを最優先にするなら「とりあえず仲良くできる相手を複数用意してメールですぐに呼び出せる状態をキープしておく」ことになります。男女関係がタコ足になっているという話はよく聞きますからね。この話、長くなってきたな。明日に続きます。

●じゃ今日も思いつきで音楽を。ラヴェルの『Toccata』です。


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2 コメント

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コンビニな間柄だなぁ (ガサツ夫)
2009-01-06 19:31:46
うまくコメント出来ないんであしあとだけ
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あれ? (管理人from333)
2009-01-09 01:17:07
ガサツ夫さん

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さっき見たら踏まれてなかったみたいなので、もう一度「あしあと」つけてみてください。
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