333ノテッペンカラトビウツレ

 奇跡は 誰にでも 一度おきる だが おきたことには 誰も気がつかない

生きた証

2009-02-02 02:14:57 | SP(Standard Program)
●随分と時間が経ちましたね。最終更新は水曜ですか。本当に申し訳ない。とりあえずあれから平日は記憶も定かではないまま働き、昨日は昼に少しだけ働いて、その後はシネセゾン渋谷で『ロシュフォールの恋人たち』『シェルブールの雨傘』『ローラ』のジャック・ドゥミ映画を3連続で鑑賞。どれも素晴らしすぎて泣きそうですが、『ローラ』はいいっすね。残りの2本は少しの期間やるんんですが、『ローラ』だけは火曜あたりに終了するので、興味のある方は行ってください。残りの2作品については後日。そして今日は新藤兼人・脚本、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の舞台『しとやかな獣』を紀伊国屋で。映画も傑作ですが、ブラック・コメディの側面を強調した今回の演出も素晴らしい。こちらは次の日曜までなので興味のある方は行ってください。

●と書きつつもまだこれか用事があるのでササッと書いて終わりにしたいところ。本当、1日が過ぎていくのが早いっすねぇ。年末までは何とかつけていた手帳も1月は結局、空白のまま。俺、手帳とか日記とか向いてないみたいです。俺、正直な話、2年前の今頃に何をしてたかなんて思い出せんもん。ま、正直、昔のことを振り返って「なつかしい!」などと感慨にふけっている時間的余裕がないので問題ないのですが。手帳って「効率的かどうか」という観点とは別に「自己愛」という観点が間違いなくあると思います。それはノートも同じ。学生の頃、ある人のノートを見せてもらった際に「なんて、自己愛の強いノートなんだ」と思ったことがあるんですよ。そのノートは要点をまとめるとか、暗記しやすいとかのポイントではなくて完全に「ここで頑張った私をここに残したい!」という欲望が炸裂してるわけですよ。過剰な色使いと、過剰な記載と、過剰なコピーの添付が「ノート作りを通して残る私」になっていて、正直、感心しました。ま、俺にはマネできない行為なのですが。最近は「すべての情報は1冊のノートにまとめろ」的な本が売れてるみたいですけど、あれもやはり自己愛が試されるんでしょうか。俺は別に生きた証を残したいとか思わないし。そういうのは勝手に残るものですよ。それも自分以外の人間の中に。逆に他人の生きた証って俺の中に残ってるし。俺、何か変なこと言ってる?

●とは言え、現実のスケジュールはとにかく色々とあるわけで、今週も何かをこぼさないよう瞬発力重視で乗り切りたいところ。今週もボチボチ更新します。よろしくお願いします。

●音楽はやっぱりこれでしょう。今、スクリーンで観れるものはケタ違いに美麗な画像ですぞ。


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