学校や塾の先生は
授業中や三者面談で
「勉強を頑張ることで将来の選択肢が増える」
と、よく言いますが
今から僕が言いたいのは
勉強を頑張らなかったり
自分の志望が決まっていないまま
何となく先に進んでいくことで
「いざというときに希望の選択肢がない」
という悲惨な現実についてです。
例えば、
数学嫌い!理科なんか見たくもない!
そんな感じで私大文系に進んだ人が
ある時、なにかをきっかけにして
「医者になりたい」と望んだ時
それが「選択肢がない」という状況です。
もちろん、
「今から医学部を受験する」
という選択肢もあるけれど
現実的には、まず、ありえない話です。
この時の「壁にぶつかった」感覚を
具体的にイメージしてみましょう。
問題
次の計算の答えを下の選択肢から選びなさい。
2×3=
① 3 ②4 ③5 ④6
この問題に正解するか、間違うかで
キミの人生の一部が確定するとします。
キミの隣にいる友達は
「超簡単じゃん。」
そう言って答えを書き込んで、
颯爽と答案用紙を提出して
その場で◯を貰って、
ガッツポーズしています。
そう、このテスト
人によって
書かれている選択肢が違うのです。
この「人生の行き詰まり感」
これが、僕ら親が
我が子に
何が何でも回避させたい状況です。
我が子がこの先、
どんな希望を持ったとしても
ちゃんと目の前に
希望の選択肢が
道としてある状況
それを作りたいが故に
僕ら親は今日も頑張るんですよね。
しかし、伝わらないこの想い
親の心、子知らず。
でも、考えてみたら
僕らも同じ、「子」でしたよね?
当時、親の心なんて
分からなかったでしょう?
だから、僕ら親は
必死にもがきながら
それでも
子育てを楽しもうと努力して
前に進まなきゃいけないんですよ。
それが、親ってもんです。
キミが買い物に行ったとしましょう。
値段さえ気にしなければ
誰だって良いものが欲しくなります。
あるいは同じ値段ならば
誰だって良いものが欲しくなります。
人って、そういうものでしょう。
自分が進んでいく高校・大学
「好きに選んでいいよ」と言われれば
誰だって良い高校・大学が欲しくなります。
でもね、ここで最初に戻ります。
買い物の場面で僕は
「値段さえ気にしなければ」と書きました。
現実の話として、買い物の場面では
「値段」は切っても切れないものです。
高校・大学選びでは、
値段に代わるものは何?
そう、学力。
財布に十分なお金を入れて買い物に行くように
キミらの頭の中に十分な学力を詰め込んで
「高校・大学選び」
っていう売り場に行きたいですよね?
いいですか?
キミらは、間違いなく
「少しでも良い高校・大学」に
心が張り裂けるくらいに行きたくなります。
でも、今は、その実現のために
やらなければいけない勉強の苦痛が勝っている。
しかしそれは今、「売り場」にいないから。
キミの友だちは、キミの隣で
はるかに高額で最新のシューズを手にします。
キミのお財布の中身では到底買えないものを。
それを友だちは満足げに手にし、レジに向かう。
キミは、自分の財布の中にある
お金の範囲でしか選べない。
人気のない売れ残りか?
それとも現品限りのワゴンセールか?
そこから選ぶ自分に耐えられます?
さっきの友だちは、もう会計を終わらせて
満面の笑みでキミのところに来ます。
「まだ決まんないの?いくらのなら買えるの?」
と聞いて来ますよ?
今、勉強サボってると
数年後、数ヶ月後は、そんな感じになる。
「リサイクルショップ見てみる?」
なんて言われる可能性もあります。
だって、仕方ないでしょ。
お財布の中に入ってるお金が少ないんだから。
友達は最新!人気!のニューモデル
キミはリサイクルショップの中古品
「じゃ、明日部活でね!」
なんて言って別れて帰り道。
どんな気分かな?
今、想像してみよう。
勉強でも高校・大学進学でも
同じことが起きるんです!
いや、もう起きてるんですよ!
翌日の部活で
ヨレヨレのシューズを履いて練習する自分を
しっかりとイメージしてみましょう。
今やるべきことは、何ですか?