Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

構造主義的回診

2010-05-02 02:27:19 | 集中治療
フランス文学者 構造主義的思想家 内田樹の「こんな日本でよかったね」を読んだ感想(勝手な解釈)です。

毎日の回診、診療の中に応用できるヒントがたくさんあることに気づきました。

1. “コトバ以前に言いたいコトがあるわけではない、コトバによって初めて言いたいコトが生じ、コトバを選択しながらあーでもないこーでもないと考えていくことによって言いたいコトが形成されていく”
=指導医は最初から確かな正解(鑑別診断や方針)を持っているわけではなく、レジデントとの会話によって考えを固めていく(ま、最初からこれ、と決まっていることもありますけど)。

2. “自分が語る(書く)コトバは、自分が語っているのではなく、他者が語ったものを選択しているに過ぎない。自分というモノがあるなら、ただその選択をする自由を持っているだけのことである”
=指導医が語るコトバは、“◯◯の文献でこういっている、自分の経験ではこうだ、病態生理学的にこうだ”、などなどを選択しているに過ぎません

3. “論理的なコトバは審美的に美しい。このような美しいコトバを聞いて(読んで)体感するトレーニングをすることで、コトバを聞いたり文章を読んで違和感を感じることができるようになる。その結果、論理的なコトバ、審美的に美しいコトバ自ら発することができるようになる”
=レジデントのうちから、論理的な説得力のある話し方を聞いて体感することで、それを真似て身につけることは重要です。米国のレジデントトレーニングの強みの一つがこれなんでしょう。


4. “成人の条件は、知らない答えに対し何とか正解を出していくことができるようになることである”
=まさにレジデントやフェローを終了して指導医になる条件と同じと思いました。


5. 原理主義と機能主義
“原理主義の人:選ぶことができる資源は無限であると考え、最高のもの、正しいものを求める。もしそれが不可能なら真っ向から反対する。怒りっぽい人(原理主義的な人)に「お前は違う、本当はこうだ」とはっきり言うと(原理主義で対抗すると)、喧嘩になるだけ”

“機能主義の人:資源は有限でそれを理解して何とか折り合いをつけ、目の前の問題を収める。関心があるのは得られる答えが機能的であることのみで、正しいか正しくないかは二の次である。原理主義的な人には機能主義で対応すれば、腹も立たずに解決策が導かれるかもしれない。そもそもほんとうの機能主義者は原理主義者に対し間違っているとは決して表明しないことになる”

=このように答えが機能的であること(=最終的に患者が効率よく良くなること)のみに執着すれば、精神衛生上も非常に楽になります。勝手な治療方針を要求する主治医に対し「それはエビデンスが否定しているから違う」と真っ向から反対したり、逆に黙って自分の意見と違うことを「主治医がこういったから」と腑に落ちないままやるよりは、「答えの機能性」の観点から堂々と意見を述べればよいのではないでしょうか。ここら辺もトレーニング(+胆力)でしょうね。口を開く、失敗を恐れない胆力も、実はトレーニングでしか身に付かないのではないかと思います。鈍感になるというか動じなくなるためには口を開きつづけるしかないというか。


こじつけでごめんなさい。

讃井