病院退院時にICUに挨拶に来てくださる患者さんがいらっしゃいます。
かなり嬉しい一コマですが、同時にいろんな思いが交錯します。
ほぼ毎回「〇〇さんですよね、まったく別人だなあ」という第一印象を持ちます。退院間際に歩いて(または車椅子で)ICUにいらっしゃり、冗談も仰られるほどお元気になった患者さんが、ベッドに横になり、あの生死の境をさまよっていたあの患者さんと同一の方とは、にわかには信じられないことが多いのです。
思い出すのは、やっぱり「こりゃヤバい。何とかしなきゃ」という場面が多いですね。
また、いろいろ苦労して良くなって一般病棟へと退室された方がご挨拶にいらっしゃった時ほど、良くなってよかったですね、と思う反面、なんとも気恥ずかしい気になるものです。
なぜなんでしょうか。
実は僕たち医療スタッフがやった診療行為を、患者さんのカラダがすべて覚えているのではないか、という感覚に襲われるからです。患者さんはICUにいらっしゃった間の記憶がとぎれとぎれのことが多いと言われ(注1)、何があったか覚えてない方が多いのですが、患者さんのカラダが「おまえたちのヘボな治療はみんな知っているよ。治ったのは治る力がオレのカラダに備わっていたからだよ」と語られているような感覚を持つのです。
本来、患者さんご自身の治る力は大きく、臓器の予備力も大きなものです。ボクらの多少の見込みはずれを十分に吸収するほど大きい。ボクらはそのような治癒力に頼って少し力を貸し、余分な害を与えないようにしているに過ぎません。
その一方で、考えられるありとあらゆることをタイミングを逸せずに行った場合でも、不幸な結果に終わることもあります。それほどまでに原疾患が強力な場合か、患者さんが遺伝的に〇〇という病気に弱い場合でしょう(遺伝子多型と言われるものです)。
長年ICUで働いていると、このように助かる人とそうでない人の差はある程度まで予想がつきますが、最終的にはわかりません。予想外の方向に向かうことがある。
いずれにしても、ボクら医療者の貢献できる部分は小さいのではないでしょうか。しかし、小さいから何をしても一緒ではありません。小さいからこそ足を引っ張らないようにすることが重要な、ギリギリの患者さんがいらっしゃいます。「足を引っ張らない」ことこそ実践が難しいことでもあります。それがプロとしての専門医に求められていることでもあるのでしょう。
注1:ICU入室中の記憶の不確かさ、妄想的記憶と退室後のPTSD(外傷後ストレス障害)との関連、ICUにおけるせん妄と長期の死亡率との関連が示され、ICUにおける急性期中枢神経系障害と長期の肉体的・精神的予後の関連が注目を集めるようになりました。現在その予防法は、ICUにおいてできるだけ覚醒状態を維持し認知機能を保ち、早期にリハビリを行うことしかないとされています。今後まだまだ研究が必要な分野です。