とある、お固ーい会議で、出席者の会話をじっくり観察して(聞いて)気づいたこと。
みなさん、比較的定型的な文言(ことばは悪いが、差し障りのない表現)を使用し、淀みなく、かまずに、落ちついてしゃべれるのに感心しました。これぞ「公式会議的会話」見本版を観察できたような。
あー、えー、もほとんどなければ、文章にネジレもありません。聞いている人をぐぐっと魅きつける話し方ではないが、イイタイコトが確実に伝わります、少なくともボクには。
もちろん原稿を読んでいる方はいらっしゃいましたが、そうでない方の方が多数で、少なくとも考えながらボソボソしゃべる方は皆無でした。
こういう「公式会議的会話」の実態を観察できたことは大きな収穫でした。
で、思い出したこと。
米国で臨床研修を開始して(つまりは米国に住みはじめてすぐ、ということです)しばらくは電話で、家に水道を引いたり、電気を引いたり、カード会社のカスタマーサービスと話したり、翌日の麻酔症例を指導医とディスカッションするのに、全部原稿を書いてから、それを読み上げて会話を成立させていました。しかし、しばらくすると原稿なしでも頭の中の準備だけで会話が成立するようになり、さらにしばらくすると何の準備もせずに(日本で電話するように)電話できるようになりました。自分でも不思議でした。
と思い出しているうちに、さらにつらい思い出を思い出しました。
臨床研修では、入院患者の退院サマリーを作成しなければなりませんよね。退院サマリー作成は、病院の病歴室の専用電話番号に電話してテープに吹き込み、あとで病歴室のスタッフがそのテープを聴いて紙原稿にしてくれる(ディクテーションする、と言います)システムになっていました(注1)。
もちろん、最初は原稿を書いてそれを電話口に向かって読んでいました。最大限英語らしく読んでも病歴室が聞き取れずに作成してくれるサマリーの草稿が結局穴だらけになり、「これなら自分でワープロソフトで打って提出した方がよっぽど速いよ」とブツブツ言いながら修正して、病歴室に持っていっていってました。しかも入退院の数が日本に比べると圧倒的に多いので気を許すとみるみる未脱稿サマリーがたまっていきます(嫌な思い出です)(注2)。
脱線しました。
というわけで何ごとも準備ですかね。行き当たりばったり、新鮮な驚き、出たとこ勝負の緊張感命の自分にとっては、考えさせられる会議でした。
以下、注。
注1:北米どこでもそうだと思います。オペ記録もこれ。慣れればワープロソフトで打つよりこっちの方が速いので、日本でも流行ればいいのにと思っているのですが、流行りませんね。米国生活が長かった慈恵医大血管外科のあの大木先生は、日本でもこのシステムを大いに利用していると聞きました。
注2:電話でなんとかしなくちゃいけない(ナースに指示を出さないと仕事が進まない、注文しないとピザが届かない、文句を言わないと家の電気が通らない、飛行機に乗れない、などの)状況は、日本では決して得られないドキドキ感、後がない感、切羽詰まった感があり、こういう体験をするだけのために海外で臨床研修をしたり、居住したりする意味はあると思います。
米国在住当時は、母国語の会話ならなんの苦労もなくイイタイコト言えて楽なんだろうな、と日本語でのディスカッションが憧憬の対象でした。しかし帰国後「母国語会話もそれほど気楽にできるわけではない」ことに気づかされ、ようやくある程度日本語会話もできるようになったかな、と思っても、今回のようにシチュエーションが異なれば会話の方法論も異なることに気づかされ....。
自分のように会話的コミュニケーションが苦手な方は、海外臨床留学は最も有効なショック療法で、しかも英語がある程度できるようになるし、本来の医学的、医療的部分で学ぶことは多数あり......。