各都道府県の実行委員会と大手民間企業4社が募集していた聖火ランナーの募集が・・・
今日、8月末日をもって締め切られます。
おそらく日本での夏季オリンピックの開催は、私が生きている間にはもう回ってこないのでは・・?
前回の大会、東京オリンピックは1964年でしたね
私が確か小学校2年生の8歳の時でした
いまだに覚えているのは、
エチオピアのアベベ選手、イギリスのヒートリー選手・・・
日本の円谷選手は競技場に入ってきた時、2位に付けていました
しかし、
ゴール近くでヒートリー選手に抜かれ3位でゴールイン!
円谷選手は父から教えられていた「後ろを振り向くな」と言う教えをひたすら守っていたのですね
もし、チラッと後ろを見ていたら?
そして最後の力をふり絞り、、自衛隊で鍛えられた気力・根性で逃げ切れたかも?
と、思ったのは僕だけ?
スタジアムの大歓声で後ろから迫ってきた選手の足音が耳に入らなかったのでしょうか?
それとも余力は残っていなかったのでしょうか?
当時のフィルムを何度か見ましたがヒートリー選手も必死で最後の力で一気に抜いていきましたね
確かに円谷選手はゴールした時、フラフラになっていましたが。。
中学校1年生の頃だったと思いますが、、
円谷選手が亡くなったあと、ピンクピクルスの茶木みやこさんが作詞作曲した「一人の道」というレコードを買って毎日聴いていました。
しんどい時、辛かった時、、自分を奮い立たせる為に。。
東京オリンピック、マラソン3位の銅メダル・・
それでもすごい成績でしたよね
次期オリンピックでの金メダルの期待の重圧がとても大きかったのでしょうか
怪我の回復も思うようにいかず・・・
それは、本人しかわからないものだったのですね
親からもらった命の尊さも、感謝の気持ちも、素直さも・・・
まじめすぎるからして起こった悲劇だと私は思います
円谷選手の魂は、日本の長距離ランナーたちにまだまだずっと受け継がれていくことでしょう