よもやまカンボジア

カンボジアの日本語学校で起こった不思議な出来事を…。

情報って?

2007-01-09 23:51:38 | Weblog
日本では雑誌やテレビ、インターネットでおいしいレストランの情報は溢れるほどある。しかし、カンボジアではそうは行かない。

以前、学生に暇だからといってバイクに乗って遊びにと、誘われた。
その際、昼時だったので”おいしいクメール料理が食べたい”と言ったら顔が曇ってしまった。その学生は”わからない”とのこと。
”いい年の男なんだから、女の子誘ってレストランとか行かないの?”
って聞いたら、行かないそうだ。

また、他の学生も家で食事をすることが多くレストランはあまり知らないようだ。レストランだけではなく道なんかも知らない子もいる。
東京でも地下鉄なんかは使い慣れてないとなかなか難しいこともありますが、東京とプノンペンでは大きさが違いすぎる。

カンボジアの情報といえば口コミだ。
この口コミもあまりあてにならない。いつの間にか話が大きくなっていき、最終的にはとんでもない”噂”に変わってしまうこともめずらしくない。

カンボジアのことわざに一羽の鳥が(いつのまにか)十羽になった、と言うのがあるのも頷ける。


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祝日に悩まされる

2007-01-09 00:03:13 | Weblog
今日は一月八日。
一月七日はカンボジアでは大切な日である。それは、ポルポト時代が終わった日、解放記念日である。

ここで困ることがひとつ。一月七日は祝日で、日曜日。今日、月曜日は振り替え休日をとるか、とらないか。

カンボジアのカレンダーは休みではない。
でも、公立の学校は休み。
中国系の学校は休みではない。
また、英語などの語学学校も休みではない。
そのため、うちの学校も休みではない。
でも、学校が休みだとやっぱり休んじゃう学生が多い。

ここでもう一つ。
二月に旧正月があるがこれもまた、悩みの種だ。
カンボジア人は休みではない。
中国人は休む。
また、中華系の学生は家の手伝いで忙しく学校に来られない。
中華系の学校は当然大型連休である。
それで、学生が少ないと進度に影響が出る。

また、連休の前後は休みというカンボジアの習慣(?)から、どの日は学生が少ないとか、考えなくてはならないので、カンボジアではこの祝日というのも結構、頭を悩ませるものの一つである。


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日本語への欲求

2007-01-08 01:01:25 | Weblog
今、日本からお客様が来ている。
その関係で、以前の日本語クラスの学生が一人来た。彼女は中級ですが、今は、クラスがなく日本語の勉強を家でしている状態。何とか勉強がしたく、いろいろ学校を回ってみたが、時間の都合で勉強ができない。
学校へ来て、まぁいろいろしゃべる。
家で日本語を勉強しているだけでなかなか使うことがないため、そのことが爆発してしまったようです。

その、お客様からいただいた柿の種の包装紙の裏を読みながら、
”海草ってなんですか?”
”けなげってなんですか?”
”会員番号ってなんですか?”
と、質問の嵐。
正直、答えるのも楽じゃない。
出来る学生なので単語を思い出さない場合はほとんど連想ゲームの世界だ。
”海にいる、足がたくさんある生き物”
”?”
”あ、へび!”
”へびに足はないよ”
”ん~”
”たこ?赤くて…”
”あ、そうそう…?”
”…”
”えび~”
という具合でそんなことを2、3時間やっていました。

正直しんどかった~。


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T先生、熱唱!

2007-01-06 14:16:38 | Weblog
金曜日の夜なのでカラオケに行ってきました。
普段、歌なんて歌わないので、たまにはいいものですね、カラオケ。

しかし、日本のカラオケにたどり着くまでは長い道のりでした。
結局、三軒目でたどり着くことができました。
歌本の日本語が微妙なところも笑えます。

T先生登場!

工藤静香熱唱!!!

マイクを持つと上手。普段の鼻歌は…。

カンボジア語カラオケの中にはドラマ仕立てありで、結構笑えるものあったり。そのドラマの役者の演技がくさかったりで。先生たちは微妙に世代が違うので、歌う曲もさまざま。貴重な一日でした。


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今年も紅白!

2007-01-03 10:24:41 | Weblog
明けましておめでとうございます。

今年も紅白を見るために同僚の先生と2人でホテルに泊まりに行ってきました。久しぶりに見た日本はみんなコート着て寒そう・・・。そして、テレビの中の歌手達の眩しいこと!!!そうそう、これですよ。日本の大晦日。こちらにいると全く年末ムードがないので、あの大晦日の夜のわくわく感や、何とも物悲しい感じが味わえない。せめて小林さっちゃんの衣装を拝ませてもらおうと、焼きそばとビール買って5時(時差があるため)から待機したわけです。

初めて見ました、イナバウアー。すごい曲がってますね。
森昌子がピンクの花柄ひらひらさせて「ばら色の人生」を歌っているのを見て、胸が痛くなりました。色々あったんだろうな・・・頑張れ、森昌子。

いろんな意味で楽しめた紅白でした。皆さんはどんな大晦日を過ごされましたか?
今年もみんなが平和にすごせますよう・・・


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ごくろうさまでした

2007-01-02 15:18:09 | Weblog
ごくろうさまでした

長い間ほんとうにご苦労様でした
本人だけが知っている:
「たくさんたくさんありがとう」By Ajira
「たくさんたくさんごめんなさい」By Gojira

そういえばいろいろな人達が赴任してきました
そして去っていきましたね
ブログを読んで「そんなにいたっけ」なんて思います
壮絶な誕生会が続いた日々もありましたね
正直、止めたいけど止められないイベントでしたね
いまは懐かしい「濃いシーン」の連続でした
狭い部屋にゴチャゴチャ人が住んでましたね
問題が山のようにありました
でも生き生きして遣り甲斐があったのも事実です
やっぱり人がたくさんいるってパワーがあります
完成された未完成がそこにあったような気がします

私の悦びは先生達と生徒の絆です
そのベースになっている学校を誇りに思っています
へんな絆、生々しい絆で困っちゃうこともありますが・・

任期が終了して帰国した先生達もメールで近況を知らせてくれたり
ごく稀ですが学校に立ち寄ってくれたり
そんな絆も残っています

頑張って続けなきゃいけないよね
誰かのために!


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あけましておめでとうございます

2007-01-01 23:29:29 | Weblog
新年、あけましておめでとうございます。

カンボジアでは、新年は仏暦の四月にあるので関係はあまりありませんが、年々楽しく過ごすようになってきました。一応、インターナショナルニューイヤーということになっています。

確か去年は、日曜日で、振り替え休日にするとかしないとかでもめて、結局、カンボジアのカレンダーは赤くなっていないから二日はやろうか、ということになったのだが、ふたを開けたら、学生から苦情が。どうやら、公立の学校は休みらしい。私たちのような、語学学校や、専門学校はたいてい、公立の学校と同じように休みにすることが多いが、カンボジアは突然休日が変更になったりすることがあるので休みだったり、またその反対で、休みがなくなったりと。いつだったか、王様が、”そんな休みは知らない”といって、その日の朝に学校が急遽、開いたり。そのときは私たちは、休みモードになっており、学生たちにも休みのことを知らせていたので、休みにしました。一昨年に新しく王様が変わって誕生日はどうなる、とかいろいろありました。

ただ、お正月というのもたいして普段と変わらないので、クリスマスツリーは今だ多数出ております。

日本の皆様は寒いと思いますが、今年一年よろしくお願いします。


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リーハウイ(さようなら) JOAS!

2006-12-31 10:22:47 | Weblog
とりあえずボランティア(無給)で1ヶ月やってみてと言われて来たのが2003年。正直、来た瞬間に帰ろうと思った。ベトナム、タイ、ラオスと私が好きな国の隣国なので、軽い気持ちで来てみたものの、何がと問われれば難しいのだが、生活、人、磁場など、とにかくすべてがいまいちピンと来なかった。私は自分の動物的な感覚をけっこう信じている。さすがに社会人経験もある身として、「いやだ、帰りたい」と無責任にするわけにもいかなかった。しかし、すべてが直感的に合わないと悟ったので、最初に決めた1ヶ月がたったら、アンコールワットでも観光して、即効で日本に帰ろうと決めていた。手帳に毎日×をつけていたのを、昨日のことのように覚えている。そのとき、まさかこんなにいることになるとは、1%さえも思っていなかった。

そして今まで時が流れてしまった。
「タガイ カエ コンロン タウ(歳月は過ぎ行く)」私が好きなクメール語のひとつである。
先日、友だちから3年ははやいねといわれたが、あっという間の楽しい3年間でした!と笑顔でいえるほどではない。振り返ってみればいい3年だったといえるが、しかしそれは、カンボジアの未舗装道路のようなでこぼこ道だった。とにかく1年目は何もないところから、学校が開校したばかりだったので、今では考えられないようなハードな毎日だった。学生も少なかったので、生徒集めから広告(チラシ配りも!)・カリキュラム・教材・テキスト・テスト作成、学校や生活環境の整備、そして授業準備と、とにかく忙しい日々。予算もじゅうぶんになく、朝から晩まで手作り文字カードや絵カードをラミネートした日が懐かしい。週末も早朝から夜遅くまで連日働き続けたものだ。衣食住はすべて学校。みんなで車座になって床で飯を食い、夜は教室で寝ていた。一つのシャワーをクメール人スタッフもあわせて10人くらいで共同で使っていたこともあった。

日本でも終電までの残業や徹夜、休日出勤などかなりハードな仕事をこなしたが、そんな日本のサラリーマン生活に比べても、あのときは本当にすごかった。「たぶんカンボジアでいちばん私たちが働いている気がする」とよく言い合ったものだ。時給換算してみたら、30円に満たなくて、驚愕の声をあげたあのころ。1ヶ月くらいたって、初めて学校の外で食べた、小さな食堂の麺の味は一生忘れないであろう。ほんの一歩、学校外に出ただけで感激したものだった。それほどまでにストイックな生活を送っていたのかと、今では自分でも信じられない。

当時の同僚、スタッフは私が3年間いたなかでも最強の濃い~面々であった。しかし、この大変な時代があったからこそ、今のJOASがあるような気がする。今いる同僚やスタッフにももちろん愛着があるのだが、立ち上げ当時のあの苦労は自分のJOAS勤務を振り返るうえで、また、カンボジアの日々を思い出すとき、これからもずっと忘れられないであろう。今はカンボジアに、日本に、世界にと各地に散らばった当時の同志達は、おそらく同じ気持ちに違いない。

時代はうつりかわり、今は校舎も新しい場所に移り、学校環境や住居環境も格段によくなった。カリキュラムも落ち着き、教材もテストもそろい、教務や事務の流れもシステマチックになったので、もうあわてふためることもほとんどない。新しい先生が来ても、自分の授業準備以外にたいしてやることもないほどに、学校は少し大人になった(まあ学校としてはこれが普通といえば普通か)。来たばかりのころ、ベテランの主任の先生が「学校は3年はたたないとわからない」と言っていたが、それもよくわかる気がする。一時は閉校かなんて危機もあったが、3年たって、ようやく落ち着きをみせてきている。

学生も教師もスタッフも来ては去り、また来ては去り。1ヶ月、1週間、1日でやめていく人も多いお国柄、短期間だけ教えた学生も入れればいったい何人の学生に教えたのだろうか。彼らが日本語を学ぶうえで、何かを少しでも学び取ってくれていれば、と思うのは教師の勝手な幻想である。やめていった学生は「あいうえお」すら忘れているかもしれない。人の入れ替わりは本当に激しく、クメール人スタッフもかなりの数のスタッフが来ては去っていった。そして、私の記憶が確かであれば去っていった日本人教師は全部で13人。いい人も、びっくりするようなとんでもない人も、本当にさまざまな人がいた。私は14人目になる。この学校で得た経験はいいことも、悪いことも今後の自分の「実」になってくれることを願いつつ、学校と学生の成長を願ってリーハウイ(さようなら)JOAS!

PS>今まで読んでくださったみなさんどうもありがとうございました。意外なところで、いろいろな方がブログを読んでいるので、本当にびっくりしました。JOASはまだまだたくさん教師がいます。今後は新しい教師も来る予定です。年明けからは新たな先生たちのブログもスタートします。お楽しみに!


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『戦火と混迷の日々 悲劇のインドシナ』

2006-12-30 10:39:14 | Weblog
という本をご存知だろうか。ベトナム戦争時代の特派員として著作も多い近藤紘一氏の本である。この作品は、戦後日本人として初めてカンボジア男性と結婚し、その後あの悲惨なポルポト時代を生き抜いた内藤泰子さんという方(故人)についてのドキュメントを軸に近藤氏のフィールドであるインドシナについて書かれている。私は以前、知り合いのカンボジア人に「ナイトウヤスコ」っていう日本人を知ってる?と聞かれ、「誰?歌手の?」などとまぬけな回答をしてしまったことがあり、あの時は本当に不勉強な自分を恥じた。インターネットなどでいろいろ調べて、以前から興味を持っていたが、ここカンボジアではなかなかその書物にめぐりあうことがなかった。おそらく日本でも絶版になっているだろうが、日本でだったら図書館にいって調べれば一発である。こんなとき日本の図書館が本当に恋しくなる。ずっと読みたいと思っていた矢先、先日たまたま図書館で見つけたので、すぐに借りてきた。本の内容や感想はこれから読む人のためにふせておくが、この本を読んでポルポト時代の残虐さをあらためて思い、そして思ったことがもうひとつ。それはポルポト時代前の、美しかったといわれるプノンペンの姿を見てみたいということだ。フランススタイルが残り、インドシナのオアシスと呼ばれた美しく、幸せなプノンペン。残虐なポルポト時代が語られれば語られるほど、いろいろな人の話や書物で見るにつけ、その悲惨な時代の前のつかの間の幸福だったプノンペンをのぞいてみたい。これも現代人の絶対に戻れない過去へのあこがれか。

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信じる?信じない?

2006-12-26 10:00:06 | Weblog
前から学生たちと占いに行こうという話で盛り上がっていたが、よくあたると評判のその占い師が行こうと思ったら急に病気になってしまい、ずっと延期になっていた。その占い師はいまだ病気のようでそのまま話は立ち消えかと思ったが、日曜日に学生とごはんを食べにいったとき、またその話になり占いに行ってきた。

今回いった場所はプノンペンで占いといえばここ!といわれるほどに有名な、占いのメッカ、ワットプノン。ガイドブックにものっているワットプノンという有名なお寺の近くに占い師がいっぱい集まっている一角がある。まあ、世界各国、寺といえば占いがつきものだ。たくさん占い師がいるため、うさんくさい占い師も多く、熱心に通う人が多い一方、ここの占い師なんてどれもいかさまだ、と信じない人も多いエリアでもある。学生たちも当初はワットプノンはねえ、、、というひややかな目であったが、なんだかんだいいながらみんなでわいわいと見てもらい、外国人の私としてはなかなか楽しめた。

今回やったのはトランプを使ったものだが、個人的にはまあまああたっているなという感じ。将来のことはどうなるかそのときになってみないなとわからないが、現在までのところはなかなかあたっていたと思う。いっしょにいった学生の一人は、あの人のいうことは全然違う!と憤慨していたが、まあ占いなんてそんなものである。

日本で働いていたときの同僚に占い好きの人や、半分占い師のような人がいて、けっこういろいろな占いにいった。その後、中国、台湾、韓国などでもいろいろやってみたが、占いは世界共通だなと思う。私のなかで世界を渡り歩ける不動の3つは、スポーツ(とくにサッカー)、音楽、料理なのだが、言葉の問題さえクリアすれば占いも世界を舞台にできるもののひとつであるような気がする。占い師のあの雰囲気や話し方、目線など、言葉が通じなくても、こちらに通じる空気感がある。今いっているのは悪いことだとか、いいことだとか、言葉をいいよどんでいるときの含みなんかもどこでも同じである。何か悪いものを見てしまったときの占い師の顔というのも、あれも世界共通だ。世界的規模で占いに関心がある人のマーケットはかなり大きいに違いない。占いに料金表がないのも定番だ。今回は仕事や将来など3つほど占ってもらって、学生が一人5000リエル(150円くらい)でいいというので、その金額を支払った。料金を払ったときに、ぱっと隠すようにテーブルに敷いている布の影に素早くお札をすりこませる、あの動きも日本の占い師とまったく同じであった。

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