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女性が、より美しく・やさしく・前向きに生きる為には、どうしたら良いか。考えます。

(49)女性たちへのメッセージ①吉田松陰、妹・千代に手紙で書き残している内容をまとめてみよう

2012年05月22日 07時58分24秒 | 大和撫子魂
女性たちへのメッセージ①

『日本の精神』に引き続き、ある方のブログを拝見させて頂く。

その中で、吉田松陰の志について書かれていた。
それについては、またの機会にしたい。

今回は、妹・千代に女性としての生き方を手紙で書き残している内容をまとめてみようと思う。


吉田 松陰

・黒船の来航でゆれる幕末、アメリカの艦隊の威容を浦賀で眼のあたりにする。
・アヘン戦争で大国・清が敗北した事を思い、日本の危機を乗り越えるには、欧米の軍事力に何としても追いつかなければならないと考えた。
・そして、自ら海外へ出て欧米の実態を調査する事を決意。
・決死の密航を試みた。

・しかし、提督のペリーは松陰の勇気ある行動に感心したが、鎖国を国法とする日本との外交を考えると松陰の懇願を拒否せざるをえなかった。
・送り返された松陰は、幕府に自主し虜因の身となる。


曹大家(そうたいこ)の『女誡』

・同囚の富永有隣と訳した時に言葉を記している。
・「節母烈婦あり、然りて後孝子忠臣あり、楠、菊池、結城、瓜生諸氏においてこれを見る。」

すなわち、優れた人物は母親・女性として立派な人の影響の下に、現れているということ。


松陰の母・滝子

・明るい性格で、家を支え、貧乏でも毎日風呂を炊いた。
・子供たちの心がのびやかになるよう努める。

滝子の母親としての愛情や知恵が、松陰という偉人を育てたのだろう。


妹・千代へ

安政元年12月、松陰は野山の獄中から手紙を書き送る。
・内容
1.子供の人格形成
2.幼い子供について
3.妊娠期間中の母親のあり方
4.妻としてのあり方


手紙の内容は、女性たちへのメッセージ②にて。