楽心館合気道で熟年ばんざい!まだ老人力じゃないよー!

中高年シャンゼリゼ、中野道場で、熟年ばんざい!

5月10日(木)のつぶやき

2012-05-11 03:43:02 | 中高年シニア twitter つぶやき
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(15)稽古の不思議  〜帰りは身も心も軽やか〜生活では心身の「芯」を喪失するようなことが多い

2012-05-10 15:02:32 | 中野の合気道稽古
15 稽古の不思議  〜帰りは身も心も軽やか〜



仕事やら何やらに頭がいっぱいで、

そんな日、稽古に向かうときは、

(なんだか、今日は、気分が集中しないなあ・・)

と、体もだるく感じることがある。



それでも、

稽古に入ってしまうと、

(乗らない気分)はどこへやら・・

気が付いたら終わっているから、不思議だ。



合気道の稽古が、身体の動きの精度を磨くことが

主であるから、

肉体的疲労度が軽い、ことがシニアには嬉しい。

だから、

帰り道は、体も心も「芯」をとり戻した感じで、

足取りまで軽くなる。

つい・・

気が付くと、居酒屋でビールグラスを

くいーっと、口に運んでいる自分がいたりする。

たまらないんだよね、これが。



そうか・・

稽古は、心身の「芯」を取り戻すことでもあったか、

とつくづく思うこの頃。



芯を取り戻せば、(頭のお掃除)にもなるわけだし、

このご時世、すっきり感は貴重である。



逆に言うと、

それだけ、普段の生活が煩雑で、

心身の「芯」を喪失するようなことが多いのだろう。

一般的にも、情報機器に依存しがちで、

生活の不安の種ばかり増殖し、頭はいつもパンパン・・

一方で、労働までガジェット頼みで、

体を使うことが激減したこともあろう。



そういえば・・

合気道をはじめてから、

人のちょっとした動きが気になることが、ままある。

たとえば・・

少し混みだした電車内、

隣に乗ってきた女子大生くらいの女性。

ドアにもたれて耳にヘッドホンステレオ、

片手でスマホを操作している。

電車が動いても腰がつっ立ったままで、

足を踏ん張ってバランスをとる気配がない。

??

いきおい、電車が揺れると、隣に立っていた私に

体全体がズルズルともたれかかってくる。おいおい・・

(通常この段階で気が付いて体勢を立て直すのだが、

本人はスマホに夢中で、他人にもたれている自覚もないらしい・・)

肩をたたいてやり、彼女はやっと体勢をとりなおした。

彼女の意識は密室にいて、群衆の中に体があることに

意識があまり向かないらしい。

距離感のスイッチがOFFになっているのだろうな。



若者の体が、どこか(幽体離脱)のように、

浮遊している・・と感じることが急に増えた昨今。

何やら人間の「芯」にかかわることで、

ただならぬことが進行しているのでは・・とオジサンは気にかかるのだよ。



合気道の稽古は、最初から終わりまで

身体の中心感覚を意識させられる。

腰と肚を意識し、その上に背骨を正しくのせて、

一文字腰に落とす。しっかり軸を立てる。

あらゆる技は正中線にはじまり、正中線へ向かう。

稽古の度に、(中心感覚の精度が技の精度だ)

と身をもって実感。

(もっとも、それだけずれてることが多いのだ)



思えば日本人は、

「へっぴり腰」「腰くだけ」「および腰」「逃げ腰」「弱腰」・・と、

腰の表現だけでもたくさんある。

先人たちは、とりわけ、「腰」「肚」「息」を中心とした身体感覚を、

(体と心の結びつきの様態)として捉え、

生活の中で(技化)することで磨いてきた。

生きることを(身体知)で捉えてきた歴史がある。



(浮遊する身体)を目の当たりにすると、

なにやら、この数十年で日本人が失ってきたものの大きさを

何かにつけ感じるこの頃である。



そんなわけで、

うまいビールを飲むためにも、

シニアの(極楽合気道)はばんざい、なんです。

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(14) 合気道の道しるべ・・被災おばさんに「つながる」技の極意を見た!

2012-03-20 23:56:26 | 中高年シニア twitter つぶやき


14 合気道の道しるべ・・被災おばさんに「つながる」技の極意を見た!



合気道をはじめてから、何を見ても合気道と結びつけて

考えるのが、どうも「習い性」になってしまいました(笑)



意外なところに(教材)があるんです。



先日たまたまテレビで、宮城の気仙沼で、

学生ボランティアを受け入れてきたおばさんの姿を

目にしたときのこと。



養殖業を営むおばさんの自宅は津波で浸水。

近所に移り住んだおばさんは、

元の自宅を各地からやって来る学生ボランティアの

宿泊場所として修理したうえ提供。

これまで500人以上の学生を受け入れて、

彼らの寝食の面倒を見てきたおばさん、

「学生ボランティアは、福の神。

これからも多くの人々とつながりあいながら、

海の素晴らしさを伝えていく」と、被災者なのに屈託ない。

むしろ、

学生たちの活動を母親のように支えてきたのが彼女だったんですね。



親族知人を津波で失い、「辛い」「悲しい」・・と言いつつ、

おばさん、あくまで明るくエネルギッシュ。

若者たちとつながることが「技化」されて、

集団活動のパフォーマンスを活性化しているんです。



同じ(つながる)でも、

震災メディアで乱発されてきた「つながる」は、

どこか商売や偽善の匂いがして

気持ちのいいものでなかったが、

おばさんの(つながる)は、めっぽう気持ちがいい。



おばさんの言動、

余計な力みや理屈がなく、

実に自然体で、のびやか。

(気剣体一致)

東北弁の笑顔に、見ているこちらまでひきこまれていく。



何事もあけっぴろげで、構えず飾らず。

決してもってまわった言い方をしない。(接点がしなやかなんです)

(一挙動、等速直線“言動”)



おばさんの技は、テレビ画面のこちらまで

(そうだね、そうだね)と、

気持ちよく掛かってしまうんです!



(合気道の術理は、こういう非常時の(対人力)でこそ

発揮されるに違いない)

と改めて一人合点した次第!(^^)!



都会から来るボランティアには

生き方を模索する若者も少なくありません。

被災地おばさんの「つながる」技を通じて

むしろ若者たちが活性化し、

おばさんが彼らの「師」になりつつある。

(合気道の技は自分を活性化するだけでなく、相手をも活性化するんですね)



きっと若者たちは、ボランティア自体もさることながら、

後々、おばさんの記憶が大きな意義をもってくることでしょう。



震災は最悪の状況をもたらしましたが、

一面で、人と人とが(つながるとはどういうこと?)

という主題を人々に投げかけ、

都会のみんなが避けがちだった(アナログな交流)

の意味を教えてくれている気がします。



もとより、武術は、

(危機的状況で生存するため、心身のパフォーマンスを

最大化する)ことを構造化しているはずです。



与えられた状況でよりよく生きる技。

合気道の懐の深さを思わずにいられません。


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(13)  それは細い糸のように、相手の脇下へ吸い込まれた・・これは何?

2012-03-17 23:48:53 | 中高年シニア twitter つぶやき


13  それは細い糸のように、相手の脇下へ吸い込まれた・・これは何?



人によっては私個人の主観的な話に聞こえるかもしれませんが、

あしからず。



最近、稽古中のいろんな場面で、

手先、指先に“細い糸”を感じることがあります。

(発展途上ゆえの感覚かもしれないが)



例えば・・

手解きの「内側」で、

自分の指先が相手の脇下へすーっと入っていく感じ

・・のとき。

指先から、細い糸が棒状の「圧」になって

入く感じがして、掴まれてる接点部分の感覚が消えています。

ずれているときは掴まれた接点に阻まれた感じがします。



ほかにも、

「二教」で、手首を軽く掴んだ手の人差し指から、

糸が出て、相手の胸をすーっと切っていく感じがしたり・・



「舟漕ぎ」のとき、(注 楽心館では養氣錬丹法として一挙動で行う。体重移動のある他の会とは、相当違います)

両手からの糸が折れずにすーっと入っていったり・・

(引くときに、ともすると、ぷつんと切れてしまいます)



天地投げでは、右の指先からの糸と、左の指先からの

糸を2本、操っている気がしたり・・



先生の指先や剣尖からは、糸というよりもっと

太いひも状のものを感じますが、

今の私では「糸」の状態です。



糸というと木綿糸を連想しますが、

どちらかといえば、透明なゲル・チューブみたいで、

ぐにゃりと曲がらなければ、

「圧」の動線として作用している感じを受けます。



それが、相手の腕から肘や肩まで貫いているときが、

(つながっている)あるいは(合気している)という

ことなのかもしれません。

これは、先輩たちに伺ってみたいと思います。



「見えないけれど、あるんだよ」



(つながって、崩す)・・際や、

(転換)のときも、

糸が切れないよう、しなければ。



相手の体の芯をとらえながら動く、

・・という感覚でもあるのかしら。



糸を感じ続けるためにも、(力を入れない)

ことが肝心なのかしら・・



問題は、

糸が、自分の体軸と「三角形」でしっかりつながっているかどうか。

糸が伸びる方向も大事ですね。

(やがて、線ではなく、三角形の面を感じる段階へ至る、前段階かも)



(正確な軌道にのせているか)

(そのためには、加速せずに等速直線運動になっているか)

(軸がしっかり立っているか)

これらが時々、お留守になってしまうんで、

反省しています。



私の糸なんて、まだ細く、弱々しいですが、

稽古て養うことで、

しっかりした太さになればと思います。



てなことを言ってますが・・

先日は、しゃがんで植木鉢の掃除をしていて、

腰を“ギックリ”・・やってしまいました。

日頃の体づかいさえ、いまだ(ありゃりゃ)な私です。



合気道の神髄を見極める前に

もうこの世にいないと思いますが、

この初期の「プロセス」だけでも

十分、合気道を愉しませていただいています。



今回の「糸」の件でも、

前回申し上げた「ほわっと」にしても、

毎日の言動の中で頭に浮かんできて、

(暮らしの中の稽古)を意識するようになりました。



シニアの極楽合気道、

技の高度な応用系はともあれ、

基礎だけはしっかりと会得しようと

自分に言い聞かせる今日この頃です。


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(12)  極楽シニア合気道 技は「ほわっと」・・に目うろこ!

2012-03-14 00:16:26 | 中高年シニア twitter つぶやき
12  極楽シニア合気道 技は「ほわっと」・・に目うろこ!



この春で楽心館合気道2年。

やはり、未来もさほどないオジサンが、

なぜ合気道に夢中になるのか、続けているのか、

自分でもいまだ説明できないけど、

それでいいんだと思っています。



近頃は、稽古場以外で

何を見ても、聞いても、その中に合気道を見てしまう日々。



スポーツは言うまでもない。

マラソンを観戦していれば、

(ああ、このランナーは、上体の力が抜けていて、

腕も脇がしまていて、軸がしっかりした走り方だな・・)

なんて具合。



落語を聴きに出かけても・・

(聴衆との「常識の接点」で、しっかりつながった状態で、

ほわっと、技をかけるから、笑いがはじけるんだ。

この“ほわっと”感がミソなんだな)

・・なんて、しばし、ほわっと感の意味するところを考えふける。

(先日、先輩から、技を“ほわっと”掛ける、と伺い、何か、その

語感から染み入ってきたものがありました)



本や新聞を読んでいても・・

たとえば、(医術の要諦も、人体の原理とつながってこそ、

治療になるんだな、フムフム・・)なんて具合。

うなずくポイントは、間違いなく、合気道とリンクして考えてしまう。

(一般の人が聞いたら、この人、病気かも、と思うかも)





こうした中で、道びかれつつある主題が、

どうも、「生真面目な生き方」「頑張る生き方」は

自分には合わない、ということ。

(あまりの我田引水に、呆れないでください)



強くなく、速くなく、大きくなく・・

つまり、「いい加減」「頑張らない」

「ほどほど」「お先にどうぞ」

・・を誓う今日この頃です。



食事も酒も、少量で足りる。

(つい、ハイテンションで飲食していたもんです)

情報も少量でいい。

(デジタルな情報はその場だけで、身になりません)

食べきれないほど取り込んでも、

胃袋も脳も悲鳴を上げるだけ。

溜め込みすぎると、心身の自由をそこなうだけですものね。

(年齢に関係なく)



食事でも情報でも、お金でも・・

余ったら溜め込まず、

他人に“おすそ分け”しましょう。



それにしても、“ほわっと”

語感が味があって、いいですね。

気剣体一致。

つながって、崩し、ほわっと技をかける。

この表現ひとつで、胸にいろんなものが

つながって入ってきますね。

肝に銘じて稽古に臨みたいもの。



そして、稽古場以外での汎用性も高そうです。

腹が立ったり、言葉が角張ってしまったり、

そんな場面に直面したら、

おまじないのように“ほわっと”を心掛けてみたい

ものです。



ようやく、春がほわっと、やってきた気がしますね。


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