楽心館合気道で女子力 up アップ

Lizが記載します。
女性が、より美しく・やさしく・前向きに生きる為には、どうしたら良いか。考えます。

新渡戸 稲造『武士道』③の1「義理」

2014年03月05日 07時52分05秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』③の1「義理」


1.「正義の道理」が私たちを命ずる

 ・「義理」は、文字通り「正義の道理」の意味である。
 ・もともとは、あくまで単純な義務を指していた。
 ・たとえば、親に対する行為においては愛情が唯一の動機である。
 
 ・だが万が一、愛情をもてなくなったときには、頼りになるのは人の理性である。
 ・その理性は、直ちに人に正しく行動することを訴える。
 ・義務が負担になった瞬間でも「正義の道理」が私たちにそれを命令するからである。

 ・義理をこのように理解すれば、それは厳しい監督者となって鞭を手にし、怠け者になすべきことを実行させる。


2.義理は道徳的には第二義的な力である

 ・義理が人間社会をつくりあげた産物。

 ・人は偶然うまれた事実によって階級社会をつくり、その社会的単位は家族である。
 ・そこでは才能の優劣より年齢が重視される。
 ・いわば義理は、自然な愛情が人間のつくった恣意的な習慣にしばしば屈服させられるような、そんな社会的条件
  の中にある。

 ・そのために義理は時を経るうちに曖昧になり、堕落した。

 ・たとえば、なぜ母親は長子を救うために、必要とあれば他のすべての子どもを犠牲にしなければならないのか。
 ・なぜ娘は父親の遊興の費用を払うために、わが身を売らねばならないのか といった状況においてである。
 ・「義理」は「正義の道理」として出発したにもかかわらず、しばしば詭弁のために用いられ、非難されることを怖れる
  臆病にまで堕ちてしまったのだ。


 ・もし武士道が明確な正しい勇気と、悠然と耐えうる精神力をもっていなかったとすれば、義理は即座に卑怯者の
  詭弁となっていただろう。

新渡戸 稲造『武士道』 ③「義」

2013年08月24日 17時54分07秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』③「義」


様々な方が、新渡戸 稲造『武士道』についてまとめている。
それぞれ、表現は違うけれど意味は一緒だと私は思う。

それを、今の私なりに以下へまとめ記した。


1.武士道は、目に見えない心の掟
 ・個々の武士が、家庭教育で「武士の子ならこういった生き方をしなさい。」としつけられたものの総体が武士道。
 ・それゆえ、サムライひとりひとりが自分なりの武士道をもっている。

 ・武士道とは一言で言えば、武士階級の「高い身分に伴う義務」
 ・武士が守るべきものとして要求され、あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法である。
 
 ・それは、成文法ではない。
 ・せいぜい、口伝によるか著名な武士や家臣の筆になるいくつかの格言によって成り立っている。
 ・ときには語られず、書かれることもない作法。
 ・それだけに実際の行動にあたっては、ますます強力な拘束力を持ち、人びとの心に刻み込まれた掟である。
 
 ・これが、「武士道」の重要な性質のひとつ。
 ・書かれない・語られない、心の中にある掟だからこそ、強く長い拘束力を持ち続けている。

 ・人間にとって本当に大切なことは、あえて書かれなくとも、言われなくとも、心の中に存在する。
 ・こうしたメンタリティは、日本人にとってごく自然に理解できることである。


2.武士の戒めで、最も厳格な掟 「義」
 『・義は武士の掟 中最も厳格なる教訓である。
  ・武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。』
 『・義の観念は、誤謬であるかも知れない、狭隘であるかもしれない。』
 ⇓
 ・卑劣で陰険な行為を憎む心から生まれるのが「義」であり、それは武士の最上位概念にあると説いている。
 ・また、この「義」の観念は間違っているかも知れないし、おそらく概念としては狭すぎるであろうと。

 ・あらゆる学問や芸術を究めることよりも、ずっと大切なこと。
 ・それが「義」なのである。
 ・現代に照らしてみても、それは決して不自然な価値観とは思われない。
 ・勉強ができることよりも、正々堂々と生きることを潔しとする考え方は多くの日本人が受け入られるものだろう。


3.或る著名の武士〔林子平〕
 ・これを定義して決断力となした。
 曰く
 『・義は、勇の相手にて裁断の心なり。
  ・道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。
  ・死するべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり。』


4.また、或る者〔真木和泉〕
 曰く
 『・節義は、例えていわば人の体にある骨がるごとし。
  ・骨なければ首も正しく上にあることを得ず。
  ・手も動くを得ず。
  ・されば人は才能ありとても、学問ありとても節義なければ世に立つことを得ず。
  ・節義あれば、不骨不調法にても士たるだけのこと欠かぬなり』


次回は、「義理」について記したい。

新渡戸 稲造『武士道』 ②の1儒学「五常」

2013年08月18日 00時07分41秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』②の1儒学「五常」


今回は、武士道の骨格 儒学の『五常』について、今の私なりに調べまとめた。
此処に記したい。


人が常に守るべき五つの道徳(五常)
仁・義・礼・智・信


・仁とは、人間が守るべき理想の姿である。
・自分の生きている役割を理解し、自分を愛すること、そして身近な人間を愛し、ひいては広く人を愛することである。
・単純に情け深いのではなく、(単なる同情ではなく)自分には厳しく周囲には寛容に、かつ正義に基づいた慈悲を持って
 接することが大切である。


・義とは、人の歩んでいく正しい道のこと。
・義をおろそかにすることは、道を踏み外すことになる。
・仁を実践する基本として、義を貫くことが必要である。
・本当に人を愛し思いやる生き方は、勇気を持って正義を貫いてこそ成り立つ。


・人の世に秩序を与える礼儀礼節は、仁を実践する上で大切なことである
・礼は、親や目上の人に礼儀を尽くすこと、自分を謙遜し、相手に敬意をもって接すること。
・節は、場合に応じて自分を律し、節度を持って行動すること。


・智とは、人や物事の善悪を正しく判断する知恵である。
・さまざまな経験を積むうちに培った知識は、やがて変容を遂げる。そして、智となって正しい判断を支える。
・より智を高める為には、偏りのない考え方や、物事との接し方に基づいた知識を蓄えることが必要である。
・儒教では、「中庸」といって、よいバランスを保って生きることが大切とされている。


・信とは、心と言葉・行いが一致し、嘘がないことで得られる信頼である。
・嘘のために一度損なわれた信頼を、取り戻すことは難しいことである。
・たとえ、仁なる生き方を実践していても、人に信頼されないことには社会で生きてはいけない。
・信頼は、全ての徳を支えるほどに大切である。

以上。


次回、新渡戸 稲造『武士道』③にて、武士道を「義」・「勇」・「仁」・「礼」・「誠」・「名誉」・「忠義」
などの語から明らかにしようとした思想的背景とは、どのようなものだったのか。
調べまとめ、記したいと思う。

暮らしの文化 ① 日本の伝統色に『桔梗色』がある。

2013年06月22日 16時24分39秒 | 歴史を紡ぐ
暮らしの文化 ①


相変わらず、私は折り紙を折っている。
遊ぶ折り紙(紙ひこうき・はばたく鳥・羽が動く鳥)だけでは飽き足らず、
飾る折り紙などの折り方が書かれている本やネットで探し、実際に折っている。

例えば、飾る折り紙は「端午の節句」こどもの日に飾る『兜・菖蒲』だ。

先人たちは自然の様々な現象に調和を見出し、自然と調和して生きるように
心がけてきた。
そのため、四季折々の生活の知恵・楽しみ方がある事を再確認する。


ある日、買い物に出かけた時にある花屋に目が留まる。
6月のこの時期に『桔梗』が売られていたのだ!!

『桔梗』といえば、秋の七草のひとつ。秋の花のイメージだ!!
それに、9月第3月曜日の「敬老の日」にリンドウや『桔梗』を贈っていたような気がする・・・。

なんだか、気になって調べてみた。
諸説いろいろあるが、その中でも気になる説をまとめてみた。

『桔梗』
キキョウ科
原産国:日本・中国
 花期 :6月~9月
花言葉:誠実・清楚・気品・変わらぬ愛
 花色 :青紫・白

・馴染み深い野草。
・秋の七草のひとつ、秋の花のイメージだが開花時期は夏。
・万葉集で詠まれている朝顔は、桔梗の事だという。

名前の由来
・キキョウ(桔梗)の音読み「きちこう」
・由来は、根が「結実(ひきしまっている)」かつ「梗直(まっすぐ)」であるといわれている。

漢方では
・太い根を干し、せきや喉などの漢方治療に使う。
・また、この薬用成分のサポニンというのは、昆虫にとって有毒であり、昆虫からの食害に自らを守っている。

武士に好まれる
・家紋に取り入れられる。
・江戸城には「ききょうの間」や「桔梗門」の名前がある。
 「ききょうの間」は、江戸城内表座敷の一つ。
 御番医師の詰め所で、奥に桔梗が描かれていた。

日本の伝統色に『桔梗色』がある。

色彩
・「紫」という色は、日本では古代より特別な意味を持っていた。
・聖徳太子の活躍した時代に冠位にあわせて色が定められた時も、最上位を象徴したのが「紫」
・平安時代になると、さらに賛美されるようになる。
・高い位の象徴というだけでなく、気品や風格・艶やかさといった様々な美しさを備えた色として尊ばれた。

冠位十二階
・「徳・仁・礼・信・義・智」の儒教の徳目で分けられたもの。
・ 紫・青・赤・黄・白・黒の冠の色に、それぞれ濃淡をつけて大小とつけて区別した。
・「紫」以外の色は、中国の五行説に基づいている。
 人間も社会も自然も、五つの元素である。
    木・火・土・金・水の一定の循環法則にしたがって変わっていく」
・一番位の高い「紫」は、道教の「尊いものを大切に扱う」色。


最後に「敬老の日」という行事。
・1965年「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日」と、法律で定められた。
・それとともに高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活向上に努めようと若い世代に促すという気持ちが込められている。

以上。


これを踏まえて、今私が思う事。
『桔梗』は、良くも悪くも様々な意味を持っている。

しかし、『桔梗』の姿・かたち・色・備わっている能力に先人たちは好み、衣・食・住に取り入れ現代まで伝わっている。

結果、「敬老の日」に、『桔梗』を贈るのは
今、私たちが生きて生活が出来るのは、先人たちの経験と知恵のおかげである。

よって、道教の「尊いものを大切に扱う色」の青「紫」色をした『桔梗』を贈り、敬愛し・長寿を願い・感謝の気持ちを伝えるのだと思う。


この写真は、折り紙で作った『桔梗』





いろいろあって、写真のような色になっちゃった!!

新渡戸 稲造『武士道』②

2013年02月25日 07時59分14秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』②


武士道の基盤となった「三つの魂」

・仏教が渡来するまで、長きにわたって日本人の精神の支えは自然崇拝を基盤とする“八百万の神”の信仰である。
・やがて、天照大神を筆頭とする神々へ信仰になるのであるが、その中心に位置するのが祖先神への尊崇である。
・神道は、仏教や儒教の影響も受けて成立し理論化したものであるが、主君にたいする忠誠心・親に対する孝行心を日本人に植えつけたのは容易に想像できる。

・ほとんどすべての国語辞典に、武士道が「儒教思想によって大成」あるいは、「儒教思想に裏づけされて大成」と説明されている。
・武士道の道徳的教養に果した儒教の影響は甚大である。


「五倫」・「五常」は、武士道の骨格 儒学

・人として守るべき五つの道(五倫)
・・・君臣の義・父子の親・夫婦の別・兄弟の長幼の序・朋友の信
・人が常に守るべき五つの道徳(五常)
・・・仁・義・礼・智・信

・孔孟の儒教思想は、江戸時代に朱子学として武士階級に多大の影響を与えたことは事実である。
・儒教の教えが“武士道の最も豊富なる淵源であった”ことには、変わりがない。
・日本の武士道の淵源が「仏教・神道・儒教(孔孟思想)の三つの魂」であると結論するのである。


武士の魂の一つ 仏教

・仏教の真髄をあえて一言でいえば、「悟ること」
「悟る」・・・心の迷いから脱し、宇宙の真理を体得すること。
・仏教も武士道も決して“生を賤しみ、死を親しむ”わけではない。
・武士道という言葉からすぐに連想されるのが『葉隠』

・『葉隠』から連想されるのが
「武士道と云(いふ)は、死ぬ事と見付けたり」
・この言葉によって、現代日本人の多くが武士道を“死に急ぎの哲学”と誤解したのである。

・武士が“武人”であり、その身分・特権が戦いを前提にしたものである以上、武士道と“死”が密接に関係するものであることはいうまでもない。
・一般人が死に直面するのは、通常、極めて特殊な一度だけのことであるが、武士にあっては日常的なことだからである。
・しかし、ちょっと考えればわかることだが、武士が“死に急ぐ”ことは失格なのである。
・武士の第一の義務は、その国(藩・領土)を守り、主君に忠節を尽くすことだから、武士は最後の最後まで生き延びなければならないのである。
・死に急いでは、その義務を果せないのである。

・結論として、『葉隠』の「武士道と云は、死ぬ事と見付けたり」は「武士たる者、悟りを開き、いつ死んでも悔いる事のないよう立派に生きろ」という“立派な生”のあり方についてのメッセージだと考えるべきだろう。


まだまだ、この本には大切な事がまとめられている。
しかし、以上が今の私の限界である。

また改めて、まとめ記したいと思う。

新渡戸 稲造『武士道』①

2013年02月24日 23時24分45秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』①


『武士道』について、興味が湧く。
何か私でも解る書物はないか、探してみる。
そうすると、「新渡戸 稲造」の名前が多く耳にする。

その中で、ある方が『新渡戸 稲造 武士道』をまとめた本を見つけた。
それを、今回私なりにまとめ記したいと思う。


はじめに

・「武士道」が説くのは、一言で言えば“人間としての品性”である。
・それは同時に、われわれを一元化された“金銭的・物理的豊かさ”幸福感から解放してくれる道でもある。
・さらには、われわれに物欲を超越した「低く暮らし、高く思う」“簡素な生活”、真の“知的生きかた”の素晴しさを教えてくれる道である。


日本人の道徳心を生み出したもの

・武士道が廃れ始めた時代、明治維新によって近代化が進められていた時代。
・その時代に、武士道について書物をまとめ、世界に紹介した人物が『新渡戸 稲造』(にとべ いなぞう)

・新渡戸 稲造は、ベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏に宗教について質問された。
教授
「あなた方の学校では、宗教教育というものがないというのですか。」
新渡戸
「ありません。」
教授
「宗教なし!!どうして道徳教育を授けるのですか。」

・新渡戸は、この質問に即答できなかった。
・少年時代に学んだ道徳の教えは、学校で教えられたものではなかったから。

・正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、ようやく武士道である事を見出した。
・しかし、封建制度および武士道を解する事は、現代日本の道徳観念は結局封印されし巻物である事を知る。


新渡戸は、武士の子
・幕末の文久2年(1862年) 盛岡(現岩手県 盛岡市)に生まれた。
・武家の家庭教育を受け、明治の大改革の時代に成長した。
・クラーク博士の下で西洋の科学を学び、海外に出て活躍した国際的日本人である。

・ラヴレー教授が、新渡戸に宗教について質問したのは、当時の日本人が極めて道徳的であったから。
・江戸幕府による海外留学生派遣は、文久2年(1862年)に行われ、それ以降、多くの公費、私費留学生がアメリカやヨーロッパに渡っている。
・日本の留学生は、総じて立派な志士であった。

・幕末期、アメリカ ニューブランズウィックで多くの日本人留学生を見てきたブリフィスは語っている。

「当時、米国に留学している日本人の学生は、いずれも立派な武士気質に富んだ青年ばかりで、人格高潔・克く好んで学問に精進し、将来有為の人物たらんとしていた。私は、彼らに心から敬意を払った。」

「・・・常に大日本国をして列国の間に伍して大ならしめんと志しつつ、・・・知識を探求し学問の蘊奥を究めんがため没頭して、恰も火焔のうちにある燃料の如くであった。」と。


・新渡戸は、明治32年(1899)英文で『武士道』を書いた。
・原題は“BUSHIDO,The soul of Japan”つまり『武士道‐日本の魂』は、世界的な反響を呼んだ。
・理由の一つは、小国・日本が日清戦争(1894-95)で清国に勝ったばかりでなく、文字通りの大国・ロシアと戦いを交え(1904‐05)これにも勝つという世界的“大事件”が世界の目を一斉に東洋の小国・日本に向けさせたこともあるだろう。
・世界の「先進国」も「後進国」も、日本の勝利の原因・日本人の精神基盤などに大いなる興味を持ったことは想像に難しくない。


武士道の原点

・武士道の主体として武士が台頭するのは平安時代中期の10世紀以降のことである。
1.合戦を“職業”とする・・・つわもの(兵)
2.官人貴族に仕えて警護をあずかる・・・さぶらい(侍)
3.武力をもって公的に奉仕する・・・もののふ(武者)
以上の者が現れ、彼らを総じて“武士(さむらい)”と呼ぶようになった。
・武士は、大いなる名誉と大いなる特権と、それらに伴う大いなる責任を持つ“特権階級”であった。
・大切な事は、彼らが“大いなる特権”と同時に“大いなる責任”を持っていたこと。
・武士は、特権階級であるが故に“行動の共通規準”「戦闘におけるフェア・プレイ」が必要であったし、そのことが武士道の確立につながった。


武士道とは

・武士の生き方・武士のあるべき姿を説くものである。
・武士とは“武力をもって公的に奉仕する武者”であり、合戦を“職業”とする兵であった。

・『武士道』が大成するのは江戸時代である。
・しかし、その江戸時代は戦国時代とは異なり、太平(泰平)の時代だった。
・つまり、武士の“職場”であるべき合戦はなかったのである。
・したがって、武士の“本分”に、そして、武士道に修正が求められるのは当然であろう。


士(さむらい)の本分について

・山鹿 素行『武教小学序』の中で
「農・工・商は天下の三つの宝である。」
「士が農・工・商の働きもないのに、これら三民の長としていられるのはなぜか。」
「それは、ほかでもない。みずからの身を修め、心を正しくすすんでは国を治め天下を平和に保つからである。」


士の職分について

「主人を得て奉公の忠をつくし、同僚に交わって信を厚くし、独りをつつしんで義をもっぱらとするにある」
・義、つまり“打算や損得のない、人間の行うべき正しい道”をいくべきなのは、武士に限られたわけではない。
「農・工・商は、その職業にいそがしくていつもその道をつくすというわけにはいかない。
士は、これらの業をさしおいてももっぱらこの道につとめ、農・工・商の三民が人のなすべきことをすこしでもみだすならば、それをすみやかに罰し、それによって天下の道が正しく行われる備えをなすのである。
だから士は、文武の徳知がなければならない。」
そして
「三民は、おのずから士を師とするようになり、士を尊びその教えにしたがい、ものごとの順序を知ることができるようになるのである。
こうしてはじめて、士の道は成り立ち自分では動かず、衣食住が足りていることにも心の負い目を感じなくてすむ。」

要は、
・武士は、庶民の範である。
・支配階級である武士は、三民の模範となるべく正義を貫き、私欲に走らず、自分の言葉・約束は命懸けで守り、不正や名誉の為には死をもってあがなうことが義務づけられた。
・そのために、武士に求められる徳目は、
『忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛』


『武士道』で新渡戸は、
「武士道は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、日本の土壌に固有の華である。」
と、説き起こしている。

韓国整形:顔の捏造文化は、歴史の捏造と因果関係?

2012年11月30日 03時38分18秒 | 歴史を紡ぐ

慰安婦に反論広告NJ地元紙に櫻井よしこ氏ら 不幸な時代に女性たちが大変な困難を被ったという歴史的悲劇的事実を思うと深い悲しみを覚えるが、「日本軍が若い女性を性奴隷にしたとか20世紀最大の人身売買とするのは、大いなる歪曲である」と主張。 ow.ly/fFDmV



(54)神棚② 神々や祖先の敬う気持ちが大切なのだ。

2012年06月07日 10時46分30秒 | 歴史を紡ぐ
神棚②

楽心館理事 石川先生のブログより、神道の神棚についても書かれていた為、抜粋。


カテゴリー
『一点素心を磨く』、
テーマ
「我々は礼刀をする時、国の伝統を護り伝える自覚を、反省したい。」より

神道の神棚には、灯明・塩・水が供えられる。
どれも、稲作に不可欠なもの。
太陽の光・ミネラルなどの養分・水温と水量管理によって、稲作が行われる。
そして、この微妙な稲作文化が基盤となって、今日我が国に発達した工業生産がある。

抜粋おわり。


引き続き、抜粋。

カテゴリー
『氣・丹田・体軸・足構え』
テーマ
「武の指導者とは 真っ直ぐに立つ」より。

国を護る神は、北に鎮座する。
戦において大切なのが、迅速な行軍や相手との位置関係を知ること。
その基準が、北を指し示す北極星や北斗七星。
こうして武道場にかぎらず、北側に神棚を設ける。

道場の指導者は神棚を背に、稽古人を向くので、南向き。
こうした場に立つ人のことを、指南役という。

抜粋おわり。


以上の事をまとめ、思う事。

日本文化の一つ一つに意味があり、何一つ無駄がない。
ただ、今まで気が付けてないだけだと思った。

幼い頃、祖父母の言動・行動に意味があったのに、気にも留めない。
今まで、興味も無いから疑問も湧かない・・・。

しかし、今は違う。
まだまだ解らない事が沢山あるが、今までの経験・年齢があり武道という世界に入らせて頂いた事で興味がどんどん湧てくる!!
その興味を私なりに調べブログを利用する事でまとめる事が出来た。

ブログという機会を与えて下さった事、とても光栄な事であり感謝したりない!!

そうでもしなければ私の性格上、日本の歴史や文化、日本人の精神など本気で調べようとも思わなかったはず…!!


私たち日本の文化・生活の中には、先祖の努力と知恵などが満ち溢れている。
そのおかげで、今の生活が出来きて生かされている。

だから、神々や祖先の敬う気持ちが大切なのだ。
その気持ちを行動で表す事として、神棚にお供えし礼をする。
感謝の気持ちを伝えるのだと思った。


これからも、身のまわりには生き抜く為の大切な事が、まだまだ沢山あるはず。

それに気付けるよう、これからも興味を持って過ごしていこうと思う。

(53)神棚① 1.鏡 「知」、 2.勾玉 「仁」、 3.剣 「勇」

2012年06月06日 07時09分55秒 | 歴史を紡ぐ
神棚①
この写真は、
2012年3月20日(火)春分の日
千葉市武道館にて春季子供審査会の始まりの様子。

この時、楽心館 石川先生は、お子様方保護者様を前に、神棚と人、日本人の精神・歴史、そして素晴らしき日本文化についてスピーチをされました。

「神話はその国の歴史教育の出発点であることは、世界に共通する常識である。それはその民族の根本だからであるが、大東亜戦争の後、日本の神話喪失と同時並行で民族意識は、強制的に喪失されつつある。日本では歴史時代の人々も、神話を意識し、その流れにしたがって行動していた。そのことを忘れてはならない」とも、仰せになりました。今回は、その素晴らしき文化のなかでも神道の神棚について、私なりにまとめようと思う。


ウィキぺディアより抜粋。


三種の神器

・天孫降臨の時に、天照大神から授けられたという鏡・玉・剣を指す。
・日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物。

・天皇の践祚に際し、この神器の内、鏡と剣の形代および勾玉を所持することが天皇の正統たる帝として皇位継承の際に代々伝えられている。
・但し、過去には後鳥羽天皇など神器がない状態で即位した場合もある。
必ずしも即位の絶対条件ではなかった。
・古代において、「鏡」、「勾玉」、「剣」の三種の組み合わせは皇室だけに特有のものではない。
一般に支配者の象徴であったとも考えられる。

儒学伝来以後、三種の神器は三徳を表すという解釈もある。
1.鏡・・・・・「知」、
2.勾玉・・・「仁」、
3.剣・・・・・「勇」


1.鏡
八咫鏡 (やたのかがみ)

・記紀神話では、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。
・天照大神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。
・そして再び世は明るくなった。
補足
石凝姥命(イシコリドメノミコト)
・石の鋳型を用いて、鏡を鋳造する老女の意味。
・鋳物の神、金属加工の神として信仰される。


2.勾玉
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

・八尺瓊曲玉とも書く。
・大きな玉で作った勾玉。
・一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。
・岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
補足
玉祖命(タマノオヤノミコト)
・五造部の祖神の意味。勾玉を作る者の意味。
・宝石・時計(水晶が使われる)業者、レンズのことを「玉」ともいうことから眼鏡・カメラ業者にも信仰される。


3.天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

・草薙剣(くさなぎのつるぎ)の旧名。
・古事記では、“草那芸之大刀”と記される。
・記紀神話では、須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣。後に、天照大神に献上した。
・草薙の剣と呼ばれるようになったのは、ヤマトタケルノミコトが譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いたためである。
なお、焼津も草を焼いた。


天照大神から授けられた三種の神器

・天孫降臨の際に、天照大神から瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に三種の神器を手渡された。
・なかでも、『この鏡を私(天照大御神)の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい。』と。
補足
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・・・農業の神。

抜粋おわり。


これらの事が、単なる神話ではなく実際の生活の中に今も生きている。

神棚
位置
・北、又は、西 (南向き 又は 東向き)

お供え物
・毎日、お米・お塩・お水(毎朝、初水を使う)をお供えする。
・榊葉・・・繁栄を意味する。

神祭具
・神鏡・・・・・神の御照覧と汚れのない真心のしるし。
・御神燈・・・清浄な火で照らし清める。


石川先生のブログの中にも、神棚について書かれていた。
それについては、神棚②にて抜粋。

(52)武士・武士道の基② 国民国家の形成を通じて、武士道は国民全体の道徳となる。

2012年05月29日 09時09分00秒 | 歴史を紡ぐ
武士・武士道の基②


江戸時代

・徳川 家康は、朱子学を幕府の教学とする。
・武士たちは、外来の儒教を単に摂取するだけでなく、孔孟に戻って掘り下げて研究し、同時に日本独自の解釈を加えた。

武士道は、この日本化した儒教を中心に、理論化・体系化がなされた。


・幕藩体制の下、平和な秩序が確立され戦闘者としての武士の役割は無用となる。
・それゆえ、武士たちは、自己の存在意義を問い、武士のあるべき姿を強く意識するようになった。

武士道が思想として練成されたのは、そうした背景があったから。


精神的特徴

・わが国は古来、敬神宗祖・忠孝一本の国柄。
・そこに形成されたのが、親子一体・夫婦一体・国家と国民が一体の日本精神


日本精神の特徴

・武士道において、皇室への尊崇・主君への忠誠・親や先祖への孝養・家族的決断など表れている。


特性
・勇気・仁愛・礼節・誠実・克己等、武士という階級を通じて、見事に開花・向上した。

日本精神は、約700年の武士の時代に、武士道の発展を通じて、豊かに成長・熟成した。


明治維新

・武士道の発揮によって成し遂げられる。
・近代国家の建設の中で、身分として武士は消滅した。
・しかし、国民国家の形成を通じて、武士道は国民全体の道徳となる。


以上


まだまだ、知らない事が沢山ある。

これからも、稽古を重ねながら少しずつ調べ理解していこうと思う!!

(51)武士・武士道の基① 武士が創りあげた生き方や価値観は、日本独自の思想

2012年05月26日 00時09分07秒 | 歴史を紡ぐ
武士・武士道の基①


『日本人の精神』に引き続き、ある方のブログを拝見し『武士・武士道』について私なりにまとめる。

しかし、今の私にとっては、奥深く未知なる世界であり、チンプンカンプン!!

まずは、基を調べる。


武士道

・武士という階級が現れたのは、平安時代の後期10~11世紀頃。
・12世紀末には、源 頼朝が鎌倉に幕府を開いた。
・この時から約700年間、わが国では武士が政権を担う時代が続いた。
・戦士の階級が国を治めるという歴史は、シナや朝鮮には見られないわが国独特のもの。

この数世紀の間に、武士が創りあげた生き方や価値観は、日本独自の思想といえる。


武士の特徴

第1の特徴・・・皇室から分かれた貴族の出身。
第2の特徴・・・戦闘のプロフェッショナル。
第3の特徴・・・土地の密着した為政者。


1.皇室から分かれた貴族の出身

・由緒ある武士は、皇室を先祖に持っている。
源氏・・・清和天皇
平氏・・・桓武天皇
・皇室から分かれた貴族が、京の都を離れて地方の役職をもらう。

そこで、専門戦士として働くようになったのが武士の由来。


2.戦闘のプロフェッショナル

・ 武士は、古くは「もののふ」といわれる。
「もの」は、武器という意味。
・「兵(つわもの)」や「弓矢取る者」とも呼ばれる。
弓矢や刀など武器を扱う軍事の専門家が、武士。
・「侍(さむらい)」は、主君のそばで警護にあたる。
「さぶらふ」という言葉から来ている。

戦闘者としての自覚は、長く平和の続いた江戸時代においても、武士の精神から失われることがなかった。


3.土地に密着した為政者

・平安時代後期、辺境の防衛に当たった武士たちは、年月を経るうちに、その土地に定着し自ら土地を開墾して、私営の田畑を営むようになる。
・開墾領主となった武士は、「一生懸命」に領地を守り、広げ、受け継ぎ、競合しながら巨大な集団へと成長していく。
・やがて武士は、土地と領民を所有する為政者となる。
・皇室の伝統と、儒教の政治道徳に学んで、領地・領国の経営に努めた。


徳目
1.尊皇・・・皇室から分かれた貴族の出身。
2.尚武・・・戦闘のプロフェッショナル。
3.仁政・・・土地の密着した為政者。

・こうした、特徴と徳目をもつ武士たちは、平安後期から鎌倉・室町・戦国時代を通して、独自の倫理と美意識を生み出した。
・江戸時代に入って、それが一層、自覚的に表現されることになる。

これが、今日いうところの武士道である。

(48)日本人の精神③の1 神々や祖先の崇拝は当然の前提として、新たに仏教を取り入れよう

2012年05月16日 07時34分40秒 | 歴史を紡ぐ
日本人の精神③の1


・聖徳太子は、十七条憲法を制定するにあたり、当時シナから入ってきた儒教・仏教・法家等の思想を深く研究している。
・第2条・・・「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏・法・僧なり」
・仏教の興隆に力を入れた。
・キーワードにしたのが『和』
・外国思考を模倣するのではなく、独自の考えをもって『和』の重視を打ち出した。

日本を仏教国にしようとしたのではない。


「日本書記」に「仏法を信じ、神道を尊ぶ」

・神道を尊ぶ・・・日本の神々や祖先を敬うこと。
・聖徳太子の父・用明天皇(第31代)の事を書いている。
・神々や祖先の崇拝は当然の前提として、新たに仏教を取り入れようと言っている。


・日本古来の神道を根本として堅持しながら、外来の仏教を積極的に採り入れた。
・仏教の受容において、固有の精神文化(神道)を保ちながら外来の宗教(仏教)を摂取して共存させるという形を可能にした。
・日本文明は、文明の形成期にしっかりしたパターンが定式されたので、外来文化を積極的に採り入れても自己の特徴を失うことなく日本独自性を維持していくことができた。


聖徳太子伝の補証

「神道は、道の根本 天地と供に起り 以て人の始道を説く。
儒道は、道の枝葉 生黎と共に起り 以て人の中道を説く
仏道は、道の華美 人智熟して後に起り 以て人の終道を説く
強いて之を好み之を悪むは 是れ私情なり」


今、私が思う事。

人間社会には、争いが必ずある。
自尊自衛・大切な人を守るために、戦わなければならない。
勝つか、もしくは、引き分け。負けることのないように・・・。

でも、根本態度として今回まとめた『日本人の精神』を大切にしたいと強く思った。


誰かが、

教養とは
 
知識は、物を知っているだけのこと。
 それを生活の中で活用してこそ教養となる。

 教養とは、知識を自分の細胞にして生活の中で活かし
生活の中に取り入れていくもの。

教養という文字は、『教えを養う』と書く。


これからも、私は何度も失敗するだろう。
でも、そのたび反省しよう。
その繰り返しで、最終的に出来るようになればいい。

ただ待っているだけで、何もしないよりかはマシだから!!

(47)日本人の精神③ 3.聖徳太子 「十七条憲法」

2012年05月15日 12時45分56秒 | 歴史を紡ぐ
日本人の精神③

3.聖徳太子 「十七条憲法」

「日本の心」の形成に大きな影響を及ぼした人物の一人が、聖徳太子。

古代日本においては、政治(まつりごと)と祭事(まつりごと)は、同じ。

聖徳太子は、日本古来の「神ながらの道」を根本とし、天皇を中心とした政治を行おうとした。

そのために、重要なものが官位十二階と十七憲法。

制定した十七憲法は、日本人の考え方に大きな影響を与えてきた。


十七憲法

官僚の職務心得であり、同時に人間の踏み行う道徳基準を示すもの。

第1条・・・和を似って貴しとなし、忤(さから)うることなきを宗とせよ。
上和らき、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則ち事理自ら通ふ。何事か成らざらむ

『和は、貴いものである。むやみに反抗することのないようにせよ。それが、根本的態度でなければならない。』
『人々が、上も下も調和して睦まじく議論して合意したならば、おのずから道理にかない、何ごとも成し遂げられないことはない。』

・「和」の心をもってお互いに話し合えば、そこに自ずから物事の「理」が通うのだ。できないことなどあろうか。
・「和」という言葉で、単なる妥協やなれあいを説いているのではない。


「和」を実現するための心構え

第10条・・・忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもえりのいかり)を棄てて、人の違(たが)うを怒ざれ
・人への恨みや怒りを戒め

第14条・・・群卿百寮、嫉妬あることなかれ
・人への嫉妬を禁じ

第15条・・・私を背きて、公に向(あもむ)くは是れ臣(やっこ)が道なり
・「私」を超えて「公」に尽くす

第17条・・・大事(おおきなること)を独り断(さだ)むべからず

『独り断ずべからず。必ず衆とともに論ずべし』

・重大なことは一人で決定してはならない。
必ず多くの人々とともに論議すべきである。


聖徳太子は、私利私情や独断を戒め、話し合いに基づく政治を説いた。

古来、日本人は人と人、人と自然の調和を心がけてきた。

(46)日本人の精神② 2.日本神話 「古事記」

2012年05月10日 22時36分12秒 | 歴史を紡ぐ
日本人の精神②

2.日本神話 「古事記」

日本列島の温和な風土の影響によるところが大きいだろう。

人々には、対立・抗争よりも調和・融合をよしとする「和」の精神が育まれ、一つの民族として融合・形成されてきたと考える。


神話

・イザナギ・イザナミという男女二神が協力して「国生み」をして、国土が誕生する。
・これら二神は、人間と同じ男女の営みをし、人間はその子孫として誕生したとされる。
・日本では、男・女・陰陽の「和」にって、国土や人間が誕生したと考えてきた。

日本神話には、争いを避け、話し合いを重んじ、共栄共存を目指す「和」の精神が、様々な形で描かれている。


天の岩戸

イザナギ・イザナミの二神から生まれた子供が、天照大神や須佐之男命など。

(弟)須佐之男命は、高天原を暴れまくる振る舞いをする。


天照大神は、
・弟の暴虐に対して、争いや罰を下すのではなく、天岩戸に身を隠すという振る舞いをする。
・それによって、地上は闇の世界となる。
・八百万の神々は、天の安の河原に集まって、話し合いを行う。
・思金神の妙策によって、天照大神を岩戸から引き出す事に成功し、世界は再び光を取り戻す。


(弟)須佐之男命は、その振る舞いのため高天原から追放されるが、後に天照大神と須佐之男命は和解する。
大罪を許された須佐之男命は、出雲の地に下り「やまたのおろち」を退治し大活躍となる。



そうした日本固有の精神を、「和をもって貴しとなす」と表現したのが、聖徳太子だといえるだろう。

そして「和」は、その後の日本人と日本の精神を考える際のキーワードとなっている。

(45)日本人の精神① 自然現象に調和を見出し、自然と調和して生きる

2012年05月09日 08時14分04秒 | 歴史を紡ぐ
日本人の精神①

私は、日本で生まれた日本人だ!!

過去はどうあれ、これから自身の存在価値を見出す為にはどうしたら良いだろう・・・。

まずは、日本人として誇れる為に基となる『日本人の精神』について知りたい。

いろいろな資料に目を通してみる。
図書館に通ったり、ネットで検索してみたりする。

その中で、ある方のブログを見付け拝見させて頂く。

その内容は、今まで石川先生が仰っている事に少し似ているように今の私には思えたので、私なりにまとめてみる。

日本人の心は、

1.日本の自然環境
2.日本神話 「古事記」
3.聖徳太子 「十七条憲法」

が、基となり『和の精神』が育まれた。


1.日本の自然環境

環境

・日本の気候は、温暖・湿潤なモンスーン型。
・日本列島は、四季の変化に富み・雨量が多く、照葉樹林を中心とする森林に覆われている。
・海・山の食糧が豊かで、猛獣が少なく、大変生活しやすい自然環境である。

こうした風土が、長年のうちに人々に影響し 「和」を好む性格が形成されたと考える。


日本民族の性格

・自然の影響では、海洋の存在が見逃せない。
・日本は、四方を海に囲まれた島国であり、太平洋・日本海・東シナ海などに全体を包まれている。
・海は、生命発生の場所であり、海には生命のエネルギーがみなぎっている。
・特に日本列島付近では、暖流と寒流がぶつかり合い、豊かな漁場が生み出されている。
・この事が、日本列島のユーラシア大陸とは異なる自然環境となっている。
・ユーラシア大陸から日本列島に移住してきた諸民族は、こうした海洋の影響を受け、大陸型の性格から海洋型の明るく陽気で平和的な性格に変化していったと考える。
・日本の自然は、人間の性格に影響を与え、独自の民族性を育んできた。


自然の様々な現象に調和を見出し、自然と調和して生きるように心がけてきたのが、日本人の生き方だといえる。

日本人が「和」を重んじるのは、生命や宇宙の法則に基づいて生きる、知恵の働きである。