思いっきりダークな世界なのに・・・
また、どっぷりとつかりたいと思ってしまう。
この不思議な感覚は何なのだろう?
今日は、『スウィーニー・トッド』の
2回目の鑑賞に行ってきました。。。
ネタバレになっているので、未鑑賞の方はお気をつけ下さい!
今日、再び鑑賞して感じたことを綴ってみたいと思います。
ターピン判事の自宅前で物乞いをしながらさまよっていた妻のルーシー。
彼女は毒をあおり、精神を病んでしまってもなお
娘のジョアナのことが心配で、あの家の前で物乞いをしていたのではないだろうか。
窓辺の、娘の姿を見ることだけを生きがいにし
自分には力はないけど、いつか誰かが、娘を救い出してくれることを願いながら。
トッドは、あの日から15年間、泣けなかったのではないだろうか。
復讐を誓い、ただただ「怒り」を生きる糧にしてきたのだ。
そして、「怒り」はいつしか「狂気」へと変わり、復讐が生きがいになってしまう。
全てを奪われた男には、それしか生きる道がなかったのかもしれない。
トッドが最後に流したたくさんの血は、15年分の涙。
今まで泣けなかった分の、15年分の涙。
永遠に流れ続ける、15年分の涙。
そう思うと、悲しくて悲しくて仕方がなかった。。。
物語のあらすじを最初に知ったとき、
たぶん主人公は死んでしまうんだろうな、となんとなく予感した。
そう想像していた人はきっと多いはず。
けれど、こんな凄まじいラストが待っていようとは。
しかもルーシーは、最後の最後で正気を取り戻したように見えた。
そう思うと余計にやるせない気持ちでいっぱいになってしまう。。。
壮絶な悲劇のスパイラルだ。
悲しすぎる物語の中で唯一救いなのは、ジョアナとアンソニー。
若い2人は、まるでロミオとジュリエットのように、
窓越しに一目惚れをし、純粋な愛が芽生える。
駆け落ち決行の夜、親子と分かりあえることもなく、
アンソニーが戻ってくる前に、部屋を飛び出さなくてはならなくなったジョアナ。
けれど2人はすぐに再会し幸せに暮らしたのだと・・・そう信じたい。
せめて2人だけは、幸せであり続けてほしい。
今日も、すぐに席をたつことが出来なかった。
怒涛のように押し寄せる余韻にいつまでも浸っていたかった。
悲しみと怒りと狂気に満ちたトッドの歌声が
映像とともにいつまでも脳裏にこだましていて
まだまだ、『スウィーニーの世界』から抜け出せそうもない。