立憲民主党が自由民主党に対立する事自体あまり良いイメージにはならないのが理解出来ていないのでしょう。
対立構造を面白がるのはワイドショーとか、新聞の論説、それにラジオの政治番組等です。
国民は対立以前に政治家をグロスで見て自民党が駄目なら野党もその程度にしか思っていませんから。
失言にしても、旧統一教会との関係にしても、更には政治資金規正法の件にしても事の大小はあっても完璧にやるのは難しいものです。
それで杉田水脈議員の過去の話について掘り返すと結果として他の件は記憶から薄れるのかと思います。
他にも集中させない事で秋葉復興相などへの批判が集中しないで国民を注意散漫にさせてしまいます。
自民党の悪いイメージづくりよりも大切なのは問題を減らして審議をスムーズにして被害者救済新法などをまともに論議する事なのです。
ところが、野党が騒げばそれも疎かになってしまいます。
本来、マインドコントロールに関するような点は暈(ぼか)さないで明確に科学的に医学的に脳内伝達物質とか脳の働きとかをチェックしてでも判断するべきでした。
それすら、拒むのは本質的にそう言う手段で寄付集めしている団体や一部の支部があるからなのかと邪推させます。
これまでもお布施のような情報は関係者で内密に話されていましたよね。
それをコロナ前に価格的な表示にしようとした動きがあり反対されてもいました。
またコロナで身内の家族葬になって更にそう言う場面は減るのかと思います。
なのでむしろ新興宗教団体の手法の中で問題行為は無くす努力をしないと敬遠されるのと同時にまともなお寺さんまで檀家になって貰い難いようになります。
経済的に厳しいと言うのは兎角世知辛いです。
余計な方向に逸れましたが、野党も被害者救済新法に集中して良い物にしない限り評価は上がりません。
良い物になれば、自ずと信頼されます。
宗教に求められているものすらも現代社会では違ってしまっているのでしょう。
つまり、教義よりもその仲間内の雰囲気だとかの方が強くなっているように見えます。
政治の世界は対立とか、議論とかでなかなか政治を素直に話すまたはそのメンバー同士仲良くしているようには映りません。
意見が違うのはあるとして、それが万人に受け入れられるような話かどうかです。
何故、民族衣装だったのかが説明されていなければ国連女性差別撤廃委員会の目的と違った民族問題やその差別問題まで絡めているように見えて本質的なのか疑問です。
なのに何故か立憲民主党はそれが常識的に人権感覚と言う大括りな概念で話をしています。
本当は難しいような話まで振るとイメージづくりに必死で中身を追求していないように見えてしまいます。