日韓関係の改善がなされるなら、それは良いのでしょうけど、やはり毎度の政権交代後にまた謝罪要求や因縁を吹っ掛けるような事をされたのでは無関係な世代が悲惨です。
北朝鮮の問題もそうですが、捻くれた感情で理論的、国際法に則った話になりません。
どうなってもいいような捨て鉢な態度はやはり間違った儒教の解釈から来る僻みなのかと思われます。
王道を歩けないとどうして良いのか分からないような経済状況や社会的な立場なのかとさえ思ってしまいそうです。
日本だとまだ若干救われるような社会ですが、そこも国が手を差し伸べないような有り様だからでは無いのでしょうか?
豊かになると分け与える施しをするのが一部の日本の価値観でした。
おそらく、今の韓国だと施しを許容するほどの心の余裕がないのかとも想像してしまいます。
ネチズンの批判にしてもそうなのですが、厳し過ぎるからその結果として問題が生じるのかと思われます。
中国みたいに周りが実行するとそれに誘導されてしまうような風見鶏のような集団心理とは違い、立場が悪いとその妬みからどうしてもそう言う感情を常に抱くのが特徴なので困りものです。
比較しないような考えになる教育に変えないといつまで経っても自己実現よりも相対的な価値観が優先してしまいます。