子供の頃、多くの場合同質か異質の概念の形成に人によって違うでしょう。
と表現してしまう自分の生い立ちや育ち方、更には人生経験さえも普通の子のそれとは違い過ぎていました。
何をもって普通の子とするのかも難しいのですが、絵に描いたように平和な生き方、恵まれた生活の人は経験しないような生き方です。
芸能界で特に注目され易いような特徴を持つ人が必ずしも好まれる、または生理的に拒否されないとは限らないのです。
その問題は昔から芸能界特有のもので外見を優先する為に例外的な人を利用するのも厭わなかったと思われます。
結果として芸能史には色んな人が登場しました。
その場合に昔はフォローし切れたのかもしれません。
リアルの世界なら、近寄る人を避ければある程度は保てましたから。
それでも危険な人物による事件は起きてきました。
ネットだとそれが更に難しくなったと思われます。
ファンが書くようなSNSにアンチがストレス発散しているだけの状況が出て来ました。
当初はおそらく直接的ではなく、その芸能人が見ないような掲示板とかに陰口で書いたものかと思われます。
しかし、或る特定の集団が非難の場をより拡大させて更には直接的に本人のSNSに書き込むようになってしまったようです。
特定の犯罪行為、予告ならまとめて表示するようなシステムで警察等に連絡される話もありました。
しかし、個々の芸能人のSNSの非難を扱うのは難しく量的、質的にも大変なのとこれまでもトラブルになったのは確かです。
それでも止まない程にそう言う人達が次々に現れるのです。
或る芸能人の片っ端から訴訟するという発言でふっと自分の事を省みてかなり異質だなぁと思い、それでも片っ端からとまるで喧嘩腰な態度にはなれません。
批判というより妬みだったりする場合はその批判している人の人生が必ずしも順風満帆ではなかった可能性があります。
自分もあんな風になりたかったというのはある場合もありますよね。
また、あ〜はなりたくはなかったという批判の場合も異質だから理解出来ないのかもしれません。
同じような経験を積むと性格さえも変わる事さえあるのでしょう。
そもそも最初から特異な生き方や態度をして芸能人として特徴を出しているとすればそれで更に泥沼のような言い争いから訴訟とか喧嘩腰としか見えません。
暴力的な行為や態度だと違法だとか警察沙汰とか言われますが、恣意的な意見やコメントは許されるが如く表現の自由があると勘違いされています。
現実的な状況を無視した話も含めてマスコミはどちらかと言えば無関係なヘイトまで誹謗中傷の中に入れてあたかもそれが悪いと言わんばかりです。
本質的な点は相手を思いやれるかどうかです。
なのにそれを踏まえないような喧嘩腰の態度って何か違うような気がします。
それと人それぞれな訳で一般論は存在しても全てに当て嵌まるのかと言えば例外がない物でもなく意思疎通は難しいのかと思われます。
特に消えろとかの表現でこの世からではなく、自分の前からでしかなく、例えば芸能界からだったりする場合でも取りようですよね。
距離を開ける必要があるのに何故か執着して更に関係が悪化されてしまうのも何か生き方が上手くないのかと省みたのです。
すると自分のこれまでの異質さに批判するに十分だったのかと反省しています。
それだけでなく、時代の趨勢で仕方ないのかもしれませんが、人様が経験しないような事で何か自分の感性や信条に偏りがあるのではと思うに至りました。
これまでの批判的な投稿を反省すると共に少しは落ち着ける状況にしていかないといけないとも考えました。
これからどうするのかは決めていませんが既にこの投稿も5年以上続けて来ましたからそれなりのモラルの見直しはした方がいいのかと考えるに至りました。