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台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ390 教師の仕事は、・・・。

2013-04-25 03:02:50 | 台湾
人と出会い、教わることの多かった私。いろんな人から、いろんなことを教わりました。
三十七年間。教師をして良かったと思います。先生方・生徒・保護者その他いろんなことにお世話になりました。決して、もう人生が終わったわけではありません。後のこりの人生は、社会の人へお礼のつもりで・・・。一つ一つ積み上げ生きていきます。
 与野東中では、教師としての「いろは」を長島先生・龍ちゃん・サブさん、水谷さん・
田中さん・児玉さん・鳥羽さん・島田さん・町田さん・佐藤ようさん・黒沢さん・黒木さん・小島先生・山本さん・・。きりがありません。 先生方、生徒もたくさんいます。
とにかく失敗ばかりの私を優しく・時に厳しき・時にふざけ。時に・・・。いろんな思いであります。わたしにとって、この十二年間は、宝物でした。今でも、与野東中にいたことを誇りに思っています。
 次に勤めたのは、上里中。先日、「ブログ」に悪口を書いたように感じるかもしれません。こんなことは、ありません。初めて、シンナー小僧とも、低学力ではいけない・生徒には、学力を付けなくては・・・。学校を休む生徒とどう接したらよいかをお教えてくれたのもこの学校です。親が居ない、親が居るけど、育てられない生徒と接したのもこの学校です。ありがとう、元気に・・・。
3番目は、つい最近、書いたばかりの、本庄西中。この学校は、真面目と不真面目がごちゃごちゃいる。悪戯好き。どちらかというと、下町の様な感じの学校でした。楽しかったです。ここに5年間。
 次は、上里北中。この学校は、与野東中のようなもの。生徒も親も「品」がある。
ツッパリもかわいい。みんな気の良い生徒達。先生かたも、個性的でした。これも、書いたばかりだから。個々で初めて、障害児教育をすることが出来ました。最後の3年間、ゆうきありがとう。七年間でした。とても毎日幸せでした。
最後は、地元にも取りした。美里中学校。四年間。
この学校でも、障害児教育、PTAの仕事をやらせていただきました。校長さんには、年中叱られていました。上里北中と同じ校長なのに・・・。
ま、その話は、置いておいて。
 やはり地元は、大変気が抜けない。だって、いずれ、住民として、つきあわねばならないから。結構、気を遣って頑張りました。
 なんども、言うが私は、年中感動すると、泣いていました。演技でなく、どこの学校でも・・・。恥ずかしいとか、計算して・・・、全然ありません。自然に涙が出て・・・。
つくづく、教師という仕事は、「やりがい」「いきがい」の多い仕事。
生徒の未来を託される、大切な仕事。ありがとう。
卒業生の皆さん。私は、台湾で皆さんの活躍を応援しています。また、旅行の際は、一応ご連絡ください。仕事のない限り、お相手します。
 良い仕事で、良い生徒に、良い先生方に、良い保護者に、出会えて。
ありがとう。謝・謝・。

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