台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

996 ブログ996 大学時代の友達。

2014-02-03 15:58:09 | 台湾
わたしにとって、大学というのは、「落語研究会」に入るためのものでした。
ここでわたしは、「人間」とは、「芸」とは、「貧乏」とは、「どもりである」と言うことは、・・。ともだちとは、たくさんのことを学ばせてくれました。
もちろん、すべて身体で覚えたことです。
 身体を通して、学んだことは、いつまでも忘れません。
落語家がいつでも、「落語」が話せるのは、必死になって、自分の芸を磨いたから・・・るわたしのレベルは、みがくと言うほどのレベルではありません。
かじったと言う程度。
けど、それを通して、生きる喜びを人に与えることも出来ました 。
そう言う意味では、「落語」は、わたしのバイブル。
教科書。何となく、間が抜けたような自分がそこにいました。
もちろん、わたしより、落語のうまい奴は、たくさんいましたる
松沢、標、福田、雄ちゃん、本多、いとう。酒井

挙げればきりがありません。わたしよりへたな人間を捜すのが大変でした。
いなかったかもしれません。
いいんです。落語がヘタでも、働ければ。落語がヘタでも、麻雀が強ければ
いいんです。・・・でも。
この生き方は、わたしのこの後の人生の考えの基本。
誰でも苦手があります。それを他のもので補えば・・・る
落語研究会の仲間は、本当に暖かい人達でした。
とくに、『石井』という人物は、わたしに安心感・安らぎを与えてくれた人物。
初めて、自分より、不器用な男に会いました。
まるで「寅」みたいな奴でした。現実社会には、中々適応できませんでしたが・・・。
とても「ユニーク」な発想する奴でした。
それと、よく女の子に振られていた。これもわたしによく似ていました。
彼のアパートにいるだけで心安らいだ日々を過ごしたように思います。
 四年間で、四ヶ月ぐらい一緒に生活してようにに思います。
だって、彼の家に行けば、飯は、ありつけたし、麻雀したり、ギャグ考えたり、
楽しいことばかりでした。
 一つだけ嫌なことは、一緒に風呂屋に行くこと。
彼の逸物は、すさまじくでかい。
わたしは、日本人で、このでかい逸物は、・・・。
アメリカで、「エロビデオ」を見た時、彼を超える黒人がいると言うことを確認しました。

 今となっては、すべて「走馬燈」のようなよもやま話です。 再見

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