台湾での話。もちろん、日本にも当てはまる。私もその中に入ると思う。
いろいろなお年寄りと接する。その時に一番見るのは、その人の表情。目、口、笑顔があるなし 。昔ケネディという大統領が「40過ぎたら、自分顔に責任を持て」と言った。
今は、その意味は、少しわかる様になった。残念ながら、私は、責任を持つほど、熟成していない。人のことは、何とか言って、自分は、それから逃れようというのは、卑怯です。私自身の顔が年相応であるか、自信がない。ただいつもニコニコしていることだけ。
ま、とりあえず、楽しく物事をやろうと思っているだけです。
私の周りには、そういう円満な人もたくさんいます。千惠さん・りゅう先生など ある一定の知性をもって、穏やかな生活が顔に出る。
ところが図書館でお年寄りを見ていると、まるで子供同じ。自分が座席がないと、いらいら。盛んにここあいていないか、自分が座ることだけ考えている。てまた、そう言う人に限り、図書館を昼寝の場所としていることが多い。涼しいし、新聞もたくさんある。どうやら、本は、余り見ない、読まないようだ。新聞を穴の空くほど、読むというより、めくり合う。そして、次の新聞へと。
そして、自分のが終わると、自分の読みたい新聞めがけて、相手に要求する。図々しいと思いながら、言われた人は、従っているようだ。
゛子供とまったく同じ。自己の欲望に一直線。ま、もしかしたら、私も、その1人かも。
それは、「マック」でも感じました。マックでおしゃべりしているお年寄りがたくさんいる。私は、ただ観察しているだけ。見ていると、人が話そうが何しょうと自分の話を展開している。私にも同様な欠点がある。人が話しているときは、待つ。当たり前のことが年取ると、出来なくなっているのか・・・。同時話している風景をよく見かける。当事者は、充分それで通じているのだろう。もちろん、個人差があり、充分に話を聞いて、ゆっくり、自分の話を展開する人も居る。
よく年取ると、子供に戻ると言う話。
そうかもしれない。仕事を持っているときは、我慢していた物が何の拘束が無くなり、
自己本位になるのかもしれません。家族構成とか環境によって、まったく違う場合もあるかもしれません。
年取って、しっかり年輪を重ね、どっしり生きて居る方もたくさんいることだろう。
自己の趣味・学習・サークルなどに忙しい人もたくさんいるようだ。サークルとは、スポーツ、ダンス・卓球・絵画などの趣味。
年取っていても「かわいい」と思われる方も多い。私が毎日通る商店街に夕方必ず、
集まり、おしゃべりしている10人ぐらいの歳寄り集団。毎日、必ず夕方、四時頃から5時半ぐらいまで。ま、この人達の表情は、実に明るい。一番上の方は、84歳と言っていた。80代 70代 60代。年齢は、千差万別。私が通ると、お茶飲んでいけと誘ってくれる。いつもありがとうと言って、辞退する。たまには、一緒の時もあるが、話題が途切れてしまうので、遠慮している。日本も台湾歳寄りの数がどんどん増える。
60以上の方の居場所作りが急がれる。老人ホームとかではなく、自然に互いに、気の合う者同士が話したり、
くつろいだり出来る場所。日本の老人大学のような老人サークル。お金を余り掛けずに毎日充実した老後を過ごせる環境作りが台湾も、日本も急がれているのかもしれない。
働ける環境と居場所づくり。長生きすることが、幸せを実感できる社会作り。
口で言うほど、簡単では無さそう。
再見。
いろいろなお年寄りと接する。その時に一番見るのは、その人の表情。目、口、笑顔があるなし 。昔ケネディという大統領が「40過ぎたら、自分顔に責任を持て」と言った。

今は、その意味は、少しわかる様になった。残念ながら、私は、責任を持つほど、熟成していない。人のことは、何とか言って、自分は、それから逃れようというのは、卑怯です。私自身の顔が年相応であるか、自信がない。ただいつもニコニコしていることだけ。
ま、とりあえず、楽しく物事をやろうと思っているだけです。
私の周りには、そういう円満な人もたくさんいます。千惠さん・りゅう先生など ある一定の知性をもって、穏やかな生活が顔に出る。
ところが図書館でお年寄りを見ていると、まるで子供同じ。自分が座席がないと、いらいら。盛んにここあいていないか、自分が座ることだけ考えている。てまた、そう言う人に限り、図書館を昼寝の場所としていることが多い。涼しいし、新聞もたくさんある。どうやら、本は、余り見ない、読まないようだ。新聞を穴の空くほど、読むというより、めくり合う。そして、次の新聞へと。
そして、自分のが終わると、自分の読みたい新聞めがけて、相手に要求する。図々しいと思いながら、言われた人は、従っているようだ。
゛子供とまったく同じ。自己の欲望に一直線。ま、もしかしたら、私も、その1人かも。
それは、「マック」でも感じました。マックでおしゃべりしているお年寄りがたくさんいる。私は、ただ観察しているだけ。見ていると、人が話そうが何しょうと自分の話を展開している。私にも同様な欠点がある。人が話しているときは、待つ。当たり前のことが年取ると、出来なくなっているのか・・・。同時話している風景をよく見かける。当事者は、充分それで通じているのだろう。もちろん、個人差があり、充分に話を聞いて、ゆっくり、自分の話を展開する人も居る。
よく年取ると、子供に戻ると言う話。
そうかもしれない。仕事を持っているときは、我慢していた物が何の拘束が無くなり、
自己本位になるのかもしれません。家族構成とか環境によって、まったく違う場合もあるかもしれません。
年取って、しっかり年輪を重ね、どっしり生きて居る方もたくさんいることだろう。
自己の趣味・学習・サークルなどに忙しい人もたくさんいるようだ。サークルとは、スポーツ、ダンス・卓球・絵画などの趣味。
年取っていても「かわいい」と思われる方も多い。私が毎日通る商店街に夕方必ず、
集まり、おしゃべりしている10人ぐらいの歳寄り集団。毎日、必ず夕方、四時頃から5時半ぐらいまで。ま、この人達の表情は、実に明るい。一番上の方は、84歳と言っていた。80代 70代 60代。年齢は、千差万別。私が通ると、お茶飲んでいけと誘ってくれる。いつもありがとうと言って、辞退する。たまには、一緒の時もあるが、話題が途切れてしまうので、遠慮している。日本も台湾歳寄りの数がどんどん増える。
60以上の方の居場所作りが急がれる。老人ホームとかではなく、自然に互いに、気の合う者同士が話したり、
くつろいだり出来る場所。日本の老人大学のような老人サークル。お金を余り掛けずに毎日充実した老後を過ごせる環境作りが台湾も、日本も急がれているのかもしれない。
働ける環境と居場所づくり。長生きすることが、幸せを実感できる社会作り。

口で言うほど、簡単では無さそう。
再見。
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