前回(2016年8月14日)に投稿しました「長野市安茂里小西組の神楽屋台」について山嵜儀作の古文書から製作裏話を紹介します。
小西組の神楽の正面です。(前回のブログに神楽の他の写真あり。)
山嵜家に神楽屋台の製作に関連した資料(入用日記)が残されています。
まず表紙ですが、「明治29年4月 安茂里村(現 長野市安茂里)小西組大神楽入用日記覚 山崎義作」
と書いております。
2P目です。ヒノキ材木代に7円を見積もっています。
3P目。彫金師に依頼した金具代が16円とかかっています。木彫に目が行きがちですが彫金師の細かな仕事も注目すべきですね。
4P目。彫物に関する見積書です。山嵜儀作は建築本体と彫刻の両方に精通していましたので、小西組神楽は全てに関わっています。
大工(建築本体)手間扶持 165人、一人につき1日30銭。 → 〆て49円50銭。
彫工(彫刻部分)手間扶持 188人、一人につき1日30銭。(後の部分に本当は35銭ですが30銭にサービスしたと書いてあります。) → 〆て56円40銭。
*手間 1人(1工と記載されることもあり)=ひとりの職人が1日働いたとしてカウント
明治28年12月から明治29年4月までで仕上げたことがわかります。
参考までに、明治30年頃の物価ですが、米10キロ 1円12銭、ビール大瓶 19銭、教員初任給 月 8円で、当時の1円は2万円くらいの感覚でしょうか。
神楽製作を、だいぶ安く請け負っています。且つ短期間に仕上げていたと思います。(明治28年には、須坂市八幡町墨坂神社拝殿、中野市新保豊田神社拝殿の棟梁も山嵜儀作はやっています。)
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