昭和の終わりに廃止になった青函連絡船、
中学卒業の昭和60年から大学受験の昭和63年にかけて7回乗船しました。当時、旅客船は7隻就航、そして偶然にも各1回7隻すべてに乗船することができました。
昭和60年の春休み、高校進学を前に第1回、北海道国鉄ローカル線旅。
北海道に渡る初めての連絡船は八甲田丸。
本州に帰る船は摩周丸でした。
昭和61年の春休み、第2回の北海道ローカル線旅。
北海道に渡る連絡船は大切丸。
帰りは、接客サービスが省略された貨物航走専用船を客貨船に改造した石狩丸。
定期便を15分ほど先行する臨時便、青森で大阪行き特急白鳥の自由席に乗り継ぐため先行の臨時便に乗船しました。
昭和62年の春休み、第3回の北海道ローカル線旅。
北海道行きの船は十和田丸。
帰りはやはり白鳥の自由席に乗り継ぎのため、先行臨時便に就航、石狩丸同様貨物船改造の桧山丸でした。
昭和63年は大学受験で北海道へ、行きは飛行機でしたが帰りは国鉄利用。
7回目の連絡船は7隻目の羊蹄丸でした。間もなく廃止でこれにて青函連絡船の乗船おさめでした。
もう一隻乗船不可能な貨物列車航走専用船がありました。
渡島丸です。昭和62年行きの八甲田丸から、大荒れの津軽海峡を進む渡島丸。
青函連絡船廃止=青函トンネル開通から33年、私も歳を取るはずです!
中学卒業の昭和60年から大学受験の昭和63年にかけて7回乗船しました。当時、旅客船は7隻就航、そして偶然にも各1回7隻すべてに乗船することができました。
昭和60年の春休み、高校進学を前に第1回、北海道国鉄ローカル線旅。
北海道に渡る初めての連絡船は八甲田丸。
本州に帰る船は摩周丸でした。
昭和61年の春休み、第2回の北海道ローカル線旅。
北海道に渡る連絡船は大切丸。
帰りは、接客サービスが省略された貨物航走専用船を客貨船に改造した石狩丸。
定期便を15分ほど先行する臨時便、青森で大阪行き特急白鳥の自由席に乗り継ぐため先行の臨時便に乗船しました。
昭和62年の春休み、第3回の北海道ローカル線旅。
北海道行きの船は十和田丸。
帰りはやはり白鳥の自由席に乗り継ぎのため、先行臨時便に就航、石狩丸同様貨物船改造の桧山丸でした。
昭和63年は大学受験で北海道へ、行きは飛行機でしたが帰りは国鉄利用。
7回目の連絡船は7隻目の羊蹄丸でした。間もなく廃止でこれにて青函連絡船の乗船おさめでした。
もう一隻乗船不可能な貨物列車航走専用船がありました。
渡島丸です。昭和62年行きの八甲田丸から、大荒れの津軽海峡を進む渡島丸。
青函連絡船廃止=青函トンネル開通から33年、私も歳を取るはずです!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます