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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

三岐鉄道80周年 (1) HMつき101系

2011-07-25 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 三重県の北勢地方を走る三岐鉄道は、当初の遠大な目標であった岐阜県への直通こそ実現していないものの、地域密着型の旅客輸送に加えて藤原岳で産出されるセメント・石灰石の輸送で賑わっているのみならず、最近では近鉄が見放した特殊狭軌・北勢線の経営を引き継ぎ様々なリニューアル策を講じるなど、地方交通の担い手としての今後の発展に期待せずにはいられません。そんな三岐鉄道が一昨日に開業80周年の節目を迎え、記念イベントを大々的に開催するとのことでしたので、ここは是非……ということで早朝の新幹線と近鉄を乗り継いで訪れてみました。
 今回のイベントはあくまで三岐線中心でしたが、折角この界隈を訪れて一日乗車券で乗る以上是非北勢線にも乗り、阿下喜への上り勾配の連続をゆく釣掛の絶叫を楽しみたい……ということで、朝8時過ぎに西桑名駅へ。8時6分発の東員行には、三岐線での出発式よりも前にフライングで80周年HMが取り付けられており (汗)、これに乗りたい……と思ったものの、生理現象ゆえに断念 (^^;;)。次の8時23分発・阿下喜行に乗っていよいよ釣掛の旅Go!と意気込んだものの、あろうことか発車直前、そしてさらに馬道にて部活の練習試合のために大量のDC・JCが乗り込んで来てしまい、心の底から釣掛サウンドを楽しむのは楚原までお預けとなってしまいました (そして、HMつき編成は東員にて昼寝モードに……汗)。しかし、楚原からは車内スカスカ! 名物の眼鏡橋を渡ってから麻生田に至るまでの数分間、窓全開の状態で連続釣掛ノッチオンに酔いしれたのでした……。



 阿下喜到着後は、駅前の「軽便鉄道博物館」にて展示されているモニ226の模様を記録したのち (改めて記事にする予定です)、あろうことか駅前タクシーが全く不在のため伊勢治田駅まで猛暑の中ダッシュ (@_@)。いかん……炎天下の車庫イベントに臨む前に汗まみれとなり体力を使ってしまった……という心配が募りましたが、やって来たクモハ101のクーラーと走行音に癒やされ (^_^)、さらに保々駅にて電車での来客に漏れなく配布していた「かき氷無料券」に「ありがたや……」の一言。保々まで乗った列車は記念HMつきのクモハ103+104に車両交換され、関係者の敬礼に見送られて富田へと発車して行きました♪
 というわけでその後はまず、車庫イベントでのグッズ即売会の列へ。三岐・北勢両線の現行ダイヤ及び80周年記念切符のほか、鉄コレ第7弾として出た601+1602にお布施。鉄コレは既に持っているのですが……大量に作りすぎたためか市場でのだぶつきが目立ち、「いかん……三岐車両の鉄コレはもっといろいろ企画して欲しいのに (もと小田急や相鉄、それにオリジナル車など、結構濃いぃ顔触れ揃い)、このままでは後が続かなくなってしまう。今後のためにも在庫処分に協力させて頂き、フリーランスに改造するなり下回りをGM板キット車に流用するなりしよう」という次第です (汗)。グッズ購入のあとは、撮影会場にて展示車両と戯れつつ、HMつき編成が保々を通過する頃合いを見計らって付近の線路端に移動し走行シーンを撮影~♪ ドピーカンに猛烈な湿気で「うう辛い……」と思いつつも、しかしこれもHM編成を撮るためということで忍耐……。しかしそういうときに限って、通過時には頭上に雲がかかってダメダメになるという、何とも残念な空模様を恨まざるを得ないという……。というわけで、結局晴れた状態で撮影出来たのは、正面に大して光が当たっていないカットばかりとなってしまいましたが、取り敢えずこれだけ撮れればまぁまぁといったところでしょうか? (^^;) HMは北勢線ともどもしばらく装着し続けるようですので、また改めて撮影に出かけてみたいものです。
 なお、この日の圧倒的な目的はHM付き電車ではなく……続きは改めて (^^;

風雪えちぜん鉄道 (上) 悪路に挑む6101形

2011-03-28 12:10:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 震災に追い打ちをかけるように長く厳しい寒さが続いてきた昨今ですが、それでも確実に春はやって来ます。今日は何と、東京でソメイヨシノが開花したとか。つい数日前までは堅いつぼみのままだったような気がするのですが、やはり自然の巡りは偉大だなぁとしみじみ。
 厳しい時期や困難に見舞われながらも、不死鳥のように見事な復活を遂げた鉄道として、えちぜん鉄道の存在を思い出すのは私だけではないでしょう。半年の間に二度立て続いた正面衝突事故により国土交通省から運行停止命令を受け廃線の危機に陥った京福福井ですが、それを救い見事に再生させた越前国の人々の心意気に学びたいものです……。去る1月中旬、京都出張のついでに久しぶりに雪のえちぜん鉄道を訪れた際には、風雪に負けず走る電車、そして定時運行を確保しようとする関係者の皆様の心意気に大いに心打たれたのですが、今改めて「復活」「復興」という言葉を思い浮かべるとき、雪国に生きるえちぜん鉄道の姿を思い浮かべます。



 そんなえちぜん鉄道、訪れたのは恥ずかしながら2003年夏の部分開業 (永平寺口まで) 以来7年半ぶり (滝汗)。高校生の頃にも訪れた好きな路線だけに、もっと頻繁に訪れたかったのはやまやまですが……何故か間が開いてしまった……。
 その間に起こった最大の変化といえば、愛知環状鉄道で余剰となった100形 (片運Mc→えち鉄入線時に両運化)・300形 (両運Mc) を譲り受けた6001・6101形の大量入線でしょうか。両形式の区別は主に、前者がMT46、後者がMT54を装備していることによるようですが、後に6001形のMT46はMT54に換装されたため、両者の違いは素人目には少なくなっているのでしょう。この元愛環車の導入の結果、京福福井から継承した大量の釣掛2101形のうち、非冷房車を中心に相当数の車両が廃車となってしまい (現在2101形は基本的に朝夕ラッシュ&多客時専用)、2101形の凄まじい釣掛サウンドを愛でる向きにとっては残念ではありますが、確かブレーキが1両に1系統しかないという理由で2101形を常時2連で使用せざるを得なかったえち鉄にとっては、愛環が単行運転可能な20m車を大量放出したことはまさに渡りに船だったのでしょう。
 このように6001・6101形は釣掛党からみて憎まれ役のはずですが、個人的には前パンと幌!という黄金の組み合わせ、そして重厚なボディに傑作えち鉄塗装……ということで、近年の地方私鉄車両としては最高傑作のひとつと呼ぶべき車両ではないかと思っております (*^O^*)。愛環時代には個人的非鉄期と重なっていたこともあって「ふーん」としか思わなかったのですが……それが一気に印象が変わったのは塗装の威力によるところが大きいのでしょう。鉄コレでもえち鉄バージョンはすぐに売り切れ、愛環バージョンは長く売れ (以下略)。
 そんな6101形のゆったりとしたボックスシートに腰掛け、雪化粧した九頭竜川沿いの峡谷美を眺め、MT54の低いうなりに耳を傾け (但し電圧が異なるためかサウンドはJR線内と比べて弱々しいような)、雪にまみれた姿を激写し……。湿雪が重く降り積む中でも「鉄」的ハートは熱くたぎらずにはいられないのでした。

福井鉄道冬物語 (3) 元美濃町線880形

2011-03-04 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 名鉄岐阜600Vから福井鉄道に転じた車両のもう一つの主力として、もと美濃町線のモ880にも注目しないわけには行きません。かつて昭和50年代中頃、広島や長崎など各地でカルダン駆動を装備した軽快な雰囲気の新型車が登場し、「路面電車ルネッサンス」がしばしば喧伝されていましたが、美濃町線にもそんな流れの一環として1980年にモ880が登場し、主に各務原線新岐阜~田神経由の1500V~600V直通運用に充当されたという話題をRF誌やRJ誌で目にした私は、小学生ながらも思わずブッたまげたのを思い出します。「あのパノラマカーの名鉄に、こんな小さな電車が走る路線が存在し、しかも大きな電車が走る路線に乗り入れて来るとは……」と (^^;)。そして翌1981年にはRJ誌の特集「電車の時代」で岐阜600Vの現状が詳しく紹介され、岐阜市内・美濃町・揖斐谷汲の各線にモ880を旗手として様々な車両がひしめいていることに圧倒されたものです……。もっともその結果、岐阜600Vに対する関心は圧倒的に揖斐谷汲線に向かってしまいまして、中学高校時代は休み期間のたびに (?) 通ったものの、美濃町線に乗ったのは撮り鉄趣味が復活した約10年前だったという……(^^;)。それでもモ880の存在は、子供心に名鉄岐阜600Vの存在を強烈に印象づけたという意味で、個人的には記念すべき存在です。



 そんなモ880のデザインは、何と言っても田の地窓であるという点で個人的にモ770よりも俄然お好みではあります。しかし1月の訪問時は、しばらく田原町界隈で撮っていても来るのはモ770ばかり……。勿論モ770も標準塗装であれば御の字ですが、その次にやって来たのが同じモ770の全面広告編成であったりするとプチ退屈状態に……(^^;)。そこで「仕方がないなぁ……200形も来ないようだし、早々に福井鉄道は切り上げてえちぜん鉄道に転戦しよう。でもその前に、改良後初訪問となる福井駅前の様子ぐらいは見ておこう」と思いまして武生行きに乗り、市役所前に着いたところ、ををっ、ようやく来ましたモ880! そこで福井駅前にて待ち構え、時折激しくみぞれが打ち付ける中で麗しの標準塗装姿を激写したのでした♪
 それにしても、モ770は最初から鉄道線区間で75km/h程度の急行運転をすることを前提として製造されたのに対し、モ880は余りスピードを出すことが出来ない (?) 美濃町線用であっただけに、果たして福井鉄道の直線区間などでヘタらないのだろうか?と転出時に思ったものです。実際、福井鉄道入線にあたっては高速化改造が加えられたものの、調子が悪く故障が続出したとか。それでも最近は何とか改良が重ねられ、安定的に運用に入っているようですので目出度しですね~。
 こんな感じで久しぶりの福井鉄道訪問を楽しんだあとは、これまた久しぶり (新規開業した2003年7月以来……^^;) となるえちぜん鉄道訪問を果たしたのですが、何せ福井市内は雪の予報にもかかわらずみぞれしか降らないため、まずは「嗚呼……九頭竜川沿いの深い雪景色は期待薄か」と思いつつ、JR福井駅改札前の「今庄そ○」をすすったのでした。しかしその後、福井駅前の日常風景からは想像も出来ないとてつもない展開が待っていようとは……。

福井鉄道冬物語 (2) 元揖斐線770形

2011-02-28 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 先月の福井鉄道訪問時には最初からいきなり復活急行色の203Fを引いてしまった私ですが、ラッシュアワーが終わる午前9時前後以降ではあくまでラッキーで偶然な出来事に過ぎないようで……途中で交換した201・202Fはそのまま武生にて昼寝となってしまい、日中の福井鉄道は名鉄岐阜600V出身車両の天国となっています。個人的にはこれまで、福井に転じてからの岐阜600V車両の様子を撮影したのは、営業運転開始前に工場で整備されている様子のみでして、自走しているところを乗って撮るのは初体験でしたので、これはこれで非常に楽しみなことでありました。しかし……高床編成の活躍を眺めるのも楽しみである以上、出来れば200・610形と入り乱れての運行であれば有り難いことは言うまでもなく……203Fが武生へと去ったのちは完全に「名鉄福井600V線」状態になってしまい、少々「何だかなぁ~」な気分を禁じ得なかったのも確かです (^^;)。



 とはいえ、訪れた日は標準塗装車が多数運用に入っていたことにつきましてはやはりラッキーですね♪ 周知の通り、経営のダウンサイジングを進めて来た名鉄は、岐阜600Vの経営のみならず子会社・福井鉄道への出資も引き上げてしまいましたが、その名鉄が福井鉄道に最後に残したのが岐阜600V車両と美しい新塗装 (そして名鉄本社ロゴに似せた福井鉄道ロゴ) だったのではないかと思います。
 揖斐線の急行用として新造された770形は、戦前製旧型車目当てで揖斐線に通っていた当時高校生の私からみて超敵役な存在でありまして、新造ホヤホヤの770形を「あな憎し」という視線で睨みつけていたものです (^^;;;)。しかし今にして思えば、770形は併用軌道での小回りの効く運転と郊外線での高速運転を両立させ (福井鉄道転出時にさらなる高速対応とした模様)、デザイン的にも実に穏健にまとまった秀作であることは疑いなく、そんな770形が爽やかな塗装とともに主力として大活躍しているのは嬉しいことですね……(*^^*)。
 と申しますか……バリバリの新車だと思っていた770形が、いつの間にか車齢24年であるという事実が信じられないのですが……。自分もオッサンになるわけですな (爆汗)。
 ちなみに、773+774の2連 (2枚目の画像) は、クリスマスも過ぎたというのに天井が派手な電飾によって彩られ、床面にはチェスの目のような白黒模様の敷物が……(@o@)。そんな車内インテリアの落ち着きのなさは、ミ○ーカとは別の意味で天下一品ですらありました (^^;;;)。

福井鉄道冬物語 (1) 往年の急行塗装203F!

2011-02-24 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 早いもので約1ヶ月以上前の話となってしまいましたが (^^;)、1月の京都出張のついでに福井界隈を久々に訪ねた際の記録をぼちぼちアップしたく存じます。
 京都にて青帯205系を撮影したのち「サンダーバード1号」の客となり、雄琴で現れた積雪が堅田以遠で急激に増えて行く光景に「京都のベッドタウンと言っても厳冬の雪国じゃん・・・」という驚きを感じている間もなく、永原~近江塩津界隈ではついに猛吹雪の世界に突入! そこで「こ、これは……目指す福井鉄道でも雪景色をかきわけ走る電車を激写出来るのだろうか?!」という期待が高まったものの、北陸トンネルを抜けて武生に着く頃にはみぞれに変わり、「雪とみぞれでは全然違う……う~んどうしよう」という落胆のまま、ビシャビシャな駅前通りを歩いて武生新あらため越前武生駅に向かったのでした。当初の目論見では、雪降りしきる西武生あらため北府(きたご→難読駅名の仲間入り? ちなみにこの駅名は既に廃線となって久しい南越線で用いられていたようです。駅の位置は北陸線を挟んで反対側ですが……) にて駅撮りをしたのち福井市内に移動することを考えていたのですが、気分は萎え気味……。
 しかし、越前武生駅に着いたところ……改札口の奥で扉を開き客を待っていたのは何と!往年の急行塗装を復活させた203Fではありませんか! 約5年ぶりの訪問で一番撮りたかった編成が目の前で発車待ちしており、今さら北府駅までダッシュしても間に合わないとなれば、これはもうそのまま田原町まで乗り、その力強い走りと懐かしい車内を楽しむ他に選択肢はありません (笑)。



 というわけで、ただでさえ昭和30年代の日車気質に満ちた古めかしい車内にプレスドア・国鉄近郊形電車の廃車発生品と思われるボックスシートが鎮座する光景と、MT46近似のモーター音が奏でるハーモニーを心の底から味わいつつ、田原町まで約1時間の旅を楽しんだのでした♪ 武生や鯖江から福井市内へはJRの方が最早圧倒的に速く、随所に急カーブが点在する古い線路を走る福井鉄道には分がないことは否めませんが、それでもJR駅からは遠い交換可能駅ではコンスタントに客を集め、地域の足として何とか健闘している姿を見て取ることが出来ます……。とくに通学生が集中する時間には名鉄岐阜600V出身車ではかなり苦しいと思われることから、圧倒的に大型車である200形にはまだまだ老骨鞭打っての活躍が期待されているのでしょう。
 そして200形といえば……間もなく長電2000系が引退することから、今後は富山地鉄20系列と並んで、昭和30年代に生まれた日車地方私鉄ロマンスカーとしての貴重な価値をますます輝かせることになるでしょう! 今回は他の2編成を撮りそびれましたが (途中で交換したものの、ともに武生到着後入庫……-_-;;)、う~ん、乗って良し、撮って良しな福鉄200形。何度でも通って楽しみたいものです。
 そんなことを考えているうちに列車はやがて軌道線内に入り、市役所前では一旦スイッチバックして福井駅前に寄り道することから、速攻で下車して激写! (^o^ 1枚目) その後は福井駅前から戻って来た列車に再び乗って田原町へ~。今回は福鉄・えち鉄共通フリー切符(土日限定で激安!な1200円!) を利用していますので、このような小まめな利用も大いに可能♪ もっとも、市役所前から田原町まで歩いても10分少々ですが……(^^;)。終点の田原町では、午前中の早い時間で下校となった近所の高校生が古いホームにあふれ、203Fは余裕の収容力を活かして折り返して行ったのでした……。嗚呼!雪と福鉄急行色……最高です (*^^♪)。