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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

豊橋鉄道渥美線を訪ねて (下) 元上田の緑編成

2010-07-27 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 (頂いたコメントへのレスはもう少々お待ち下さい m(_ _)m)
 豊橋鉄道の1800系標準編成は、鮮やかな赤ラッピングがキリリとした印象で、これはこれで良いのですが、今回の訪問にあたって最も期待していたのは、上田を経由して豊橋入りした2両を含む1810Fを記録することでありました。
 そもそもこの編成は、上田7251+7551をモ1860+ク2810と改番して1860を中間車扱いとしたうえで、三河田原寄りの1810は部品取り用として入線以来高師で放置されていたデハ7255を叩き直して上田組と連結させたものであるということで、他の編成と比べて非常に特異な来歴が目を引きます。



 しかしそれ以上に、個人的にグッと来るのは……他でもない鮮やかなエメラルドグリーンのラッピング! しかも、黄色い「なのはな」編成・青い「なぎさ」編成と異なり、正面貫通扉にカラフルな意匠が施されておらず、極めてシンプルな美しさを醸し出しているのがグッド♪ 
 というわけで、最初に新豊橋から三河田原へ向かう途中、高師の車庫に入庫していないのを確認して思わずガッツポーズ! (笑) その後は緑に包まれた交換駅を見定めて無事狙い通りのカットをゲット (^O^)。いや~梅雨明けのドピーカンが強烈で、撮影は頭クラクラものでしたが、頑張った甲斐がありました……。
 ちなみに、夏のスペシャルラッピングをまとった「なぎさ」は金曜日の訪問につき高師にて昼寝中、そして通常運行に入っていた「なのはな」は会心のカットを撮影出来なかったことにより、とりあえず記事には致しません (^^;)。また訪れて撮り貯める機会もあることでせう……(^^;;;

豊橋鉄道渥美線を訪ねて (上) 標準赤編成

2010-07-21 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 新幹線にせよ在来線にせよ、東海道を西へ西へと下って行き浜名湖を過ぎますと、ようやく長かった「静岡大陸」を横断しきったなぁ……という感慨が湧くものですが (私だけ? ^^;)、さらに間もなく豊橋に到着しますとさまざまな路線の車両が賑やかに出入りする光景に「いよいよ中京圏だ」という気分の盛り上がりを感じるものです。そんな豊橋を取り巻く鉄道は、個人的趣味から申しますと飯田線といい豊橋鉄道といい、じっくりと乗って撮ってみたいことは言うまでもないのですが、結局多忙の中で豊橋というスポットは通過してしまうことが常で、その都度後ろめたさを感じておりました (滝汗)。
 とくに豊橋鉄道渥美線は、返す返すも後悔すること尽くし……。釣掛天国だった80年代は「折角の半鋼製電車なのに行先表示が幕なのがアレだなぁ。だったら名鉄のAL車を楽しむ方が良いや」という、極めて浅薄で思慮深さゼロで青二才過ぎる発想のため一度も訪れたことはなく、名鉄7300系が大量に流入していた頃は非鉄だったのでありました……。今考えてみれば、パノラマカーの車体+扁平貫通顔+釣掛の7300系「しか来ない」状態なんて、超悶絶モノのときめき☆パラダイスなのではないか……としか思えないのですが (-_-;)。そして全車が東急7200系になったらなったで、当分変化はないというミョーな安心感が自分の足を豊橋から遠ざけることにもつながっていたのでした。結局、その元東急7200→1800系を訪ねたのも、沿線で用務があったついでに高師以北で乗っただけ……(汗)。
 


 しかし今や、本家東急で7600系の廃車が始まっていることも考えれば、豊橋鉄道では所属全車が元東急7200系で、しかも抵抗制御の下回りのまま活躍しているというのは奇跡に属すると思われます。そこで、先日の京都出張ついで鉄におきましては、往路豊橋途中下車としまして、積年の願望であった豊橋鉄道全線制覇(路面電車は数年前に乗って撮っております)・1800系激写を果たすことにしたのでした。
 新横浜から所要1時間5分の「ひかり505号」で一気にワープを終えて豊橋で下車したところ、時間帯が良いためかホーム上は出張族の皆様であふれ返りまくり (^^; ちなみにここだけのお得情報を……この列車、直前では禁煙席指定券は売り切れというのが常のようですが、自由席は新横浜でも余裕で空席いっぱい♪)。そんな新幹線から豊鉄新豊橋駅へ向かいますと、ををっ……いましたいました1800系! 新豊橋に到着した列車はすぐに折り返すのではなく、次の列車の到着と入れ替わりで発車しますので、とくにこの季節はホームで待たされることなく早速冷房車内で涼めるのが良いですね♪ しかも、ワンマン化されていない車内は(無人駅からの乗車の場合、昔ながらに車掌が補充券を売りに来るのも嬉しいことです ^_^)、東急時代の雰囲気そのまんま……。さっそく眼福を欲しいままにします (*^^*)。
 新豊橋から高師までは、基本的に「単線の池多摩線」あるいは伊豆箱根大雄山線?という雰囲気ですが、本当の見どころは高師から……。意外とアップダウンに富んだ緑の中を最高60km/h前後で進んで行き、適度に空いた車内で走行音を愛で田園風景を眺めるのは何とも気分が良いものです♪ 細かく観察してみますと、どうやら沿線で最も標高が高いのは高師近辺のようで、三河田原からの上り列車の方がよりダイナミックなモーター音を楽しめるように思われます (*^O^*)。
 三河田原まで乗り通した後は、車内から見定めた撮りやすそうな駅で途中下車しつつ手当たり次第に1800系を撮影したのですが (予報がハズレて梅雨明けの晴天となり、暑かった……@_@)、一見同じに見える1800系・標準赤編成 (そういう呼び方で良いのでしょうか?) も、菱パン編成とシングルアームパンタ編成が混在していて飽きが来ないですね……。
 そういえば、渥美半島の途中まで来たとなれば、さらにバスを乗り継いで伊良湖岬へ向かい、1000円高速の煽りを受けて間もなく消える伊勢湾フェリーに一度乗ってみたかったのですが……如何せん便数が少なく、さらに近鉄を乗り継いで用務先の京都に行くにしても、船と近鉄特急が少しでも遅れれば用務に間に合わないことが発覚し、出張ついでで乗るにはリスクが大きいため断念。乗らずに終わってしまうのか……。민주당のせいだ! (爆)

三岐751系(元西武新101系)に乗る

2009-10-02 07:45:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 今度の日曜日に予定されている西武横瀬祭りでは、恐らく西武秩父線40周年の祝砲を兼ねて、復活ベージュ顔の271Fが横瀬と西武秩父の間をピストン運転するそうですが、個人的には別の野暮用と仕事が入ってしまったため、撮影は他の皆さんにお任せ……。と申しますか、旧型電機が一堂に会する西武横瀬祭り、一度訪れてみたいのですが、大体仕事がかぶったりするんだよなぁ……(ボソッ)。
 というわけで、行けない代わりの前祝いで西武101系ネタをアップしてみることにしましょう。先月の関西出張では帰路に近鉄大阪~名古屋線を経由しまして、そのついでに久しぶりに三岐か養老鉄道に寄り道し、西武新101系改め751系か、養老の復活ラビットカー塗装を撮ってみようと思案していたのですが、養老は桑名口を訪れたところでラビットカーが大垣以北の運用または昼寝である場合とすればハズレくじでリスク高し……。ここはやはり三岐かなぁ、とぼんやり思っているうちに名古屋行き急行が近鉄富田に到着したところ、何と目の前には今年登場の751系が停車しておりましたので、こりゃあ三岐だ!と即決(笑)。
 そこで、改装成って間もない西口出札口にて東藤原までの切符を購入したところ、何と自販機での販売は近鉄のみで、三岐については何と何と硬券!! (*^O^*) いや~21世紀的な駅舎で硬券を購入できるとは全く想像だにしておりませんでした。切符購入後はホームに戻り、西武時代と全く代わり映えのしない751系の車内にさっそく入って涼んでいるうちにいよいよ出発進行~♪



 大型連休初日の昼下がりということで閑散とした車内の751系は、とりあえずフツーに一駅一駅停車して少しずつ客を減らしながら進んで行くわけですが……とにかく揺れが少な過ぎ!! これまで、三岐がやたらと揺れるのは軌道状態によるのだろうかと思っていたのですが、それはどうやら601系や101系に乗った際のDT21系コイルバネ台車の乗り心地の印象が強すぎたためのようで……FS系の空気バネ台車ではさすがに劇的に変わるものですね~。……って、そういえば801・851系もFS系だったはずですが、元西武701系は走行音ゆえにデンジャラスな印象が強かったりしたのでした (笑)。西武線内で101系や、同じ性能を持つNRA・4000系に乗りますと、どっしりと力強いモーター音に思わず聴き入ってしまうものですが、いや~三岐に持ってくるとこれほど「滑るように走る静かな乗り物」に思えてしまうとは……(^^;
 保々にて部品取り用101系の色褪せた車体を目にしたあとは、いよいよ藤原岳の麓へと次第に登って行く区間へ! 秋空はどこまでも高く、北勢の田園風景がどこまでものびやかに広がる中、咲き始めた沿線の彼岸花を揺らしながら進む751系……。線路端でファインダー越しに眺めれば、さぞかし鮮やかな色彩美の世界だったことでしょう。いっぽうの車内は、北勢中央公園口・大安・三里あたりでほとんどの客が下車し、3両編成では超もったいない状態に……(汗)。やがて丹生川・伊勢治田と二駅連続で鉄道趣味的に濃いぃ空間を眺めたのち、いよいよお楽しみの東藤原に到着~。西藤原へ向かう751系を後追い撮影したのでした(1枚目)。
 その後、西藤原から折り返して来たところを望遠で撮影してみたのですが、何やら今回アップした2カットはいずれも鶴見線を走っているかのような雰囲気となってしまいました(笑)。まぁ、それが東藤原という駅らしさ炸裂!ということでもあるのですが……。
 こんな感じで、三岐での活躍を始めた751系を記録してみたのですが、狭い種別幕に「ワンマン」「サイクルトレイン」という二つの情報を閉じ込めようとすると実に窮屈ですなぁ (笑)。シャッター速度を上げるとLEDが切れてしまい、行き先が判別しにくいのも残念ですが、まぁ2文字→保々、3文字→西藤原、4文字→近鉄富田だと理解すれば良し、ということでしょうか (^^;)。

北鉄石川線を訪ねて (下) 加賀一の宮寂雪

2009-04-14 09:27:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 今回の北鉄石川線再訪はもちろん、東急7000系や京王3000系の活躍を見てみたいという目的もあったのですが、それ以上に重きを置いていたのは……今秋の廃止が決まった鶴来~加賀一の宮間の積雪期お名残乗車でありました。
 かつて、北鉄石川線が「石川総線」だった頃に初めて訪れた際、加賀一の宮は正式には終着駅ではなく、ここからさらに白山下に至る「金名線」が存在していました。しかし、その実態はといえば……ネーミング通りに白山をトンネルで貫いて金沢と名古屋を結ぶという理想とはほど遠く、白山山麓を切り刻む手取川の峡谷を走る乗客僅少路線に過ぎませんでした。しかも1984年、手取川橋梁の土台を支える岩盤が崩壊の危機にあることが発覚したことで、朝夕のみの運行すら全面的に運休となってバス代行……。このため、中学校を卒業した1986年春 (年齢バレバレ ^^;) に初めて石川総線を訪れた私は「あと数年早く生まれていれば!」と思いつつ (中学時代のごく僅かな小遣いでは北陸ワイド周遊券を買うことが出来ず、18きっぷで乗れる夜行鈍行が存在しなかった北陸は遠い世界……。高校合格祝いでようやく念願の一眼レフと周遊券旅行を手にしたものです -_-;)、まだ雪がたんまりと残る加賀一の宮駅に降り立ったのでした。この時点での加賀一の宮駅は、一応まだ中間駅だったため交換設備を持ち、2番線まであったのですが、金名線の運休に伴い2番線には雪がうずたかく積もったままで、さらに南へと延びる線路や架線も、来るはずのない列車を待ちわびる寂しげな情景を繰り広げていたものです……。
 そんな加賀一の宮駅、1987年の金名線正式廃止後は棒線1本の線路配置となって今日に至っているわけですが、再訪にあたっては、もし初めて降り立ったときと同じような雪景色の情景であれば、当時をしのべて最高だなぁ……と思っておりましたので、雪がとにかく少なかった今冬にあって、↑このような究極の侘び寂びと言っても良い情景が展開していたことに、ただただ感激しました……(*^^*)。



 20年以上前と比べてほとんど変わり映えのない古びた駅 (変わったといえば駅名板ぐらいなものか……) でしばし激写したあとは、少々歩いて手取川の畔へ。堰堤から用水路が分けられ、道路と線路を挟んだ両側から怒濤のような水音が聞こえる……あたりが、石川線唯一 (?)・山深い雰囲気での撮影スポット! 訪れた日は、地元ファンの方にとっても待ちに待った積雪だったということで、加賀一の宮行き列車は数名の撮り鉄が撮影していましたが、折り返しの野町行きを撮影していたのはコンデジを持った地元ナンバーの方と私だけ。水音を除いて一切が静まりかえった中、一瞬タイフォンが響き渡り、カーブを縫って7000系が発車……。思うに、全国各地で展開されている東急7000系シーンの中でも、圧倒的に深閑とした雰囲気であることは間違いないでしょう……(十和田もそうだ、と言えるかも知れませんが、彼の地は起伏が緩い台地ですので、狭まった奥深さというのとは少々違うような気も ^^;)。
 こんな感じで、雪の加賀一の宮再訪にしみじみと満足した後は、折角なので次の電車を待つ傍ら、駅名の由来である白山比[くちへん+羊]神社を参拝してみようかと思ったのですが、時間の関係上なるべく早く鶴来まで戻って車庫に浸っていたい (笑) というわけで……鶴来まで歩いてみることに決定。ホントは並行するバス (金名線の代替) に乗ることが出来ればベストなのですが、日中は惨憺たる本数につき、歩くしかないという……。しかし、心配する必要は全くありませんでした。もともと石川線の線路は、鶴来の市街地を大きく迂回して走っているため、鶴来と加賀一の宮の直線距離は大したことはなく、早足で15分程度、旧家が立ち並ぶ味わい深い街並みをのんびり眺めながら歩いても25分程度しかかかりません。そして、鶴来の旧市街の南の果てのさらに奥に加賀一の宮駅があるのだ……ということも良く分かった次第。
 逆に考えてみると、中鶴来駅や加賀一の宮駅を鶴来市街の中ではなく周辺に立地せざるを得なかったことが、この区間での集客に大きく響き、地元民にとってもあってもなくても余り変わらず、ついに命取り・廃止決定……となったのだろうと思われます。とりあえず、神社への参拝や中鶴来駅前にある病院への通院には多少の不便をきたすでしょうが、代わりに鶴来駅前から小型のコミュニティバスを走らせれば十分間に合う程度でしょう。正月の参拝客輸送も、それこそ鶴来駅からバスでのピストン輸送や徒歩で十分という感じ……。むしろ、20年以上前の時点でも鶴来~加賀一の宮間は日中空気輸送だったことを思い出せば、よくぞ今まで残っていたものだ……というのが正直なところです。
 というわけで、現実的な算盤勘定に徹すれば「廃止やむなし」と思うのですが、これでまたひとつ、鉄道シーンにおける侘び寂び的情景が失われてしまうのは残念なことであります……。

北鉄石川線を訪ねて (上) 鶴来駅の邂逅

2009-04-11 08:19:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 富山地鉄での撮影を終えた後は特急「しらさぎ」で一気に金沢へ。この日は福井で発生した地震の影響で、5分後に発車する「サンダーバード」が運休となっており(指定券の購入者は涙目……)、「しらさぎ」自由席の乗車位置にはものすごい長蛇の列が出来上がっておりました。しかも、その富山駅1番ホームは高架化前の古き良き国鉄駅の姿で、「しらさぎ」入線の直前までは国鉄色のキハ58が停まっていたのですから、これは何とも言えない国鉄ムードの再現……でしたが、始発で窓際をゲットできるかどうか分からないヒヤヒヤ感は不要だなぁというのが正直なところ (汗)。幸いにして窓側に着席したあとは、高岡~倶利伽羅峠あたりの風雪の光景を存分に楽しみ、金沢で普通列車に乗り換えたあとはいざ、富山地鉄と同じく22年ぶりの再訪となる北陸鉄道石川線へ!
 道路を挟んでJR西金沢の向かいにある新西金沢駅は、かつては有人駅だったはずですが……いつの間にか無人駅となっており、先頭車の前後の扉から乗るようになっているとは……。そこにヌッと現れたのが、もと名鉄やオリジナルの半鋼製車ではなく、東急7000系にJR101系の下回り (一部台車は西武701系のもの) を組み合わせた7000系であるのも、何やら (元東急車に寄せる) 懐かしさと (何で釣掛来ないんだよ~という) フクザツさが入り交じったものを感じます (^^;)。
 新西金沢を発車した7000系は、まず野々市界隈の急カーブの連続を進んだ後、しばらく住宅街の小駅にこまめに停車するわけですが、そこそこ無難に進む乗り心地には……釣掛時代、カーブごとに派手に揺れ過ぎて、釣り輪が網棚支持棒にバチバチ当たりまくったのとは隔世の感を覚えます (笑)。あと、いつの間にか準急が全て消滅して普通列車のみの運行となっていますが (かつては限られた交換駅を活かしてパターンダイヤを保つため、日中の全列車が準急だったものです ^^;)、所要時間そのものは特に増えておらず、ほぼパターンダイヤを保っている……。ということは、HL制御の釣掛と101系の下回りとのあいだに、それほど大きな違いがあることを如実に物語っているように思われます。



 額住宅前の前後から家並みが次第に途切れ、うっすらと雪が残る雄大な風景の中をひた走る7000系……その床下から響き渡るのはMT46サウンド! しかも、午前中の鶴来・加賀一の宮行きの場合、ドアが開かない野町方の車両(電動車)は余程のことがない限り客が乗っていないような雰囲気でありまして、私が乗っていた列車でも一人で1両を独占可! というわけで、誰にも邪魔されずにMT46を存分に楽しめるという贅沢さを味わいまくり……(*^^*)。ただ、恐らく降圧改造などチューニングの違いのためか、秩父1000系とは音色がやや異なるような印象もありました。まぁ、私自身は「音鉄」を看板に掲げて活動しているわけではございませんので、あくまで印象ということで……(^^;
 そんなこんなで、石川線最大の要衝である鶴来に到着! 駅前広場は整備されているものの、駅舎が昔のままというのは嬉しい話です (*^^*)。ただ、昔と比べると客の数は少なく (野町行きを待つ客の少なさは気になるところ……)、たしか昔あったはずの立ち食い蕎麦 (その名もズバリ「白山そば」というネーミングだったと記憶) がなくなっているのは残念……。今回久しぶりに賞味するのを楽しみにしていたのですが (-_-;)。
 それはさておき、鶴来と言えば欠かせないのは車庫ウォッチ (^^)。さすがに昔の良き時代のように庫内での撮影希望を切り出すのは気が引けたのですが、その代わり今では幸いにして、駅周辺の土地区画整理によって実に都合の良い道路が出来上がっており (但し、この道路に出るためには駅北側の歩道橋か南側の踏切を経由する必要あり。かな~り遠回り ^^;)、そこから入庫中の車両を激写しまくることが可能です (^_^)v この日は7000系の原形顔車と、京王3000系あらため7700系がうまく並び、「渋谷対決」(笑) が展開していたのは何ともラッキーなことでした (*^^*)。両者とも、山手線や東急東横店で隔てられた東急・京王での現役当時は、まさかお互いに並ぶなどということは夢にも思っていなかったことでしょう (あ、でも東急車輌での製造時には並んだかも知れませんね ^^;)。