魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

知らない味を知る楽しみ

2021年01月23日 | スイーツ&グルメ&料理
口にしたことがないけれど…。
惹かれるものは「どんな味だろう?」とすぐに作ってみたくなります。
 
 
♡チーズ里芋もち
 
里芋は、煮っころがしかお味噌汁に入れるぐらいだったのですが、「チーズ」に惹かれて♪
 
柔らかくなるまで熱を通した里芋をマッシュして下味をつけます。
後は、ハムとチーズを包んで焼くだけ。
(軽く焙った海苔で巻いても美味しいらしい)
 
口当たりは軽めだけど、意外と腹持ちが良くて美味しかった〜。







♡カマンベールチーズ&ミニトマトの炊き込みご飯
 
「え〜!」と思ったのですが…。
好奇心には勝てず作ってみました。


 
結果は、うまい!!(鬼滅の刃の煉獄さん風に・笑)
…で、つい食べ過ぎてしまいました(^_^;)


 
炊き込みご飯というより、リゾットみたいな感じ。
他にも食材を色々入れたくなってしまいそうだけど…あえてシンプルに徹したほうが美味しいのかも。
 
 
番外編
♡ミニストップのソフトクリーム
 
あの…風にはためくのぼりが目に入ってしまったんです。
 
「ショコラいちごソフト」。
チョコソースにピスタチオ&ローストアーモンド、ほろ苦ワッフルコーン。
 
き、きになる。
 
でも…コロナの関係でイートインは不可。
うーん、早足で帰ればなんとかいける!
 
ということで、カップではなくワッフルコーンにてお持ち帰り。
美味しゅうございました。


目ヂカラの強いオトコ

2021年01月22日 | ジジくん
久しぶりのジジさん(=^・^=)


 
 
今年の5月に10歳になるけど、ますますパワーアップされています。
 


 
不定期に開催される夜中の大運動会もなかなかのもの…。
 
 
1階から2階へ。
2階から1階へ。
縦横無尽に巨体を走らせ、立ち止まっては雄叫びをあげる。
 
 
あの…もう少しお静かにしていただけませんか(^_^;)
と思いつつ…かなり笑える。



 
 
彼の為に、先月購入した専用のコタツもお気に召していただいたようです。



 

…にしても。 
だんだん「人」っぽくなっていく。




大元に還っていく

2021年01月21日 | 目覚め
昨日、備忘録として記した記事の続き。
 
ドミノを使った比喩で受け取った内容は、今の私にとてもわかりやすかった。

でも、消えてしまったドミノ(体験に伴う感情)はどこにいくんだろう?
とフッと疑問がわいてきた。
 
 
すると、映像とメッセージが湧き出てきたので、これも忘れずに。
 
 
常に新しく生まれ続けている「今」とその体験に伴う感情は、
「個」だと思い込んでいる私の頭の中に蓄積されるのではなくて…もっと別の場所。
(って、どこかにその場所があるわけではないけど)
 
 
「あぁそうか…大元に還っていくんだった」と思い出された。
この時に「思い出した」という感覚があまりにも自然で「おや?」。
 
 
さらに補足をしてくれるような映像があらわれた。
わかりやすくする為に、感情を球体(エネルギー)と仮定した時。
その時々で球体は「怒」だったり「悲」や「悔」だったり。
あるいは「嬉」や「喜」や「楽」だったり。
 
 
それこそ体験によって色々な質の球体(エネルギー)になるけれど、
大元に還る時には無色透明というか…
ただの球体(エネルギー)になって吸い込まれように戻っていく。
(無色透明という表現が今いちかもしれないけど)
 
 
海辺の砂浜で、色々な形を作っても波が来ると跡形もなく消える。
別のものを形づくるけど、また波が来て跡形もなくそれは消える。
 
 
作ったものは波にさらわれてなくなるけど、
砂粒そのものは消えているわけではなくて海に還っていくだけ。
 
 
・・・とここまで書いて気づいた。
昨年から湧きおこる「それ」が…何を言わんとしているのか。
 
 
それを、これからご縁のある方と共振することによって、
言葉を超えた…「何か」(って、これもオートフォーカスだからお任せだけど)
をお渡ししていく。

 
私たちは、どうやったって間違えようのない道を間違えようもなく歩いている。



 

記憶と時間~備忘録として

2021年01月20日 | 目覚め
今、自分に何が起こっているのだろう…と思うことが続いている。
展開が早すぎるし、起こる前の状態に戻れない。
 
というより。
本当は戻ることなんて出来ないということが実感を伴って押し寄せてきている。
何とか書き記していきたい。
 
 
昔の体験を思い出した時。
そこに何も(思考や感情)紐づいていないということに気づいた。
 
 
ここでいう「昔」って、数年前でも、数十年前でも、昨日でも同じ。
記憶喪失になったわけではないので、丸ごと忘れてしまったということではない。
 
 
ちょうど映画のスクリーンに上映されている様子を眺めているような感じで、
静かに淡々とただ観ている。
 
 
あの時〇〇で、悔しい~とか、腹が立った!とか、悲しかったとか。
あるいは、嬉しかったとか、楽しかったとか。
そういったものが何もくっついていない。
記憶をたどっていけば、そうだったなぁ…ぐらい。
(だからと言って、今…体験していることに何も感じないということではない)
 
 
以前だったら。
もう過ぎたことなのに延々と悩んだり。
あれこれ思い出して怒りがとまらなくなったり。
原因を探してよけいに混乱したり。
とまあ…頭の中は休む間もなく、ああでもないこうでもないとグルグルグルグル。
そしてグッタリ。
 
 
・・・だったのに。
余計なグルグルを全く持ち越ししていない!
いったい何が起きたんだろう????
 
 
その時、受け取った映像が印象的だった。
(理解しやすいように比喩でもらったみたい)
 
 
ドミノのようなものが一列に…延々と並んでいる。
正面から見ると全部が繋がっているように見える。
でも、真横から見ると一つ一つは隙間があって実は繋がっていない。
繋がっているように見えて、実は繋がっていない。
何だか「だまし絵」のような感じ。
 
 
「記憶」と「時間」という言葉が来て拡大意識に解説してもらった。

起こる出来事の一つ一つがドミノ(体験)。
それを繋げようとしているのが私たちの思考。
 
 
実際にはどうやったって繋がらない。
なぜなら、あらたなドミノが現れたら、その前のドミノは消滅しているから。
でも、映像のように…人は古いドミノが残っていると思い込んでいる。
これが「記憶」で「個」だと思い込んでいる私の頭の中で起こっていた。
 
 
起こった出来事はそこで終わり。
で、次の出来事が起こって、またそこで終わり。
 
 
だから常にあたらしいドミノ(体験)が出てくるだけ。
でも、消滅したドミノを記憶の中に閉じ込めて。
理由をつくってせっせと繋げようとしたり、あるいは繋がっていると勘違いして
苦しんだり奮闘しているのが私たち。
 
 
実体のない記憶にとらわれる必要はないんだよ。
なぜなら全てが「今」で完結して、またあらたに完結する。
それを今まさに…体験しているんだよ。
 
 
うん、確かに。
いつもだったら、同じパターンに陥りそうなシーンで全くそうはならず。
だから、後になってから逆に「あれ?」。
こんなことが何回も続いて、ますます「???」
 
 
気づいたら…あれやこれやと余計な思考を持ち越ししていない。
もちろん、その時々で感情(喜怒哀楽)は起こるけど。
そこに後から色々な考え(妄想)をくっつけることをしていない。
というか、もう…どうやったってくっつけられない。
だから、あれこれ引きずってもいない。
と自分のことなのに、びっくり。
 
 
人って「記憶」を繋げて、それを「時間」と認識しているのかな?
とにかく「思考」グルグルの世界がなくなった。
 
 
そしてグルグルの世界がなくなってみて初めてわかった。
それがどれだけしんどかったのか。
 
 
比喩のドミノで解説してもらったように。
本当はどんどん新しいドミノが生まれ続けているのに。
それしかないのに。
消えてしまったものにばかりにエネルギーが向いていたことを。
 
 
今この瞬間を味わうだけでよかったんだ。
「個」だと思い込んでいる自分が透明になっていけば、
「本当」の自分があらわれる…。
 
 
あらわれたら、もうそれでしか生きられない。
・・・みたい。 
 
 

94歳の小学生

2021年01月18日 | 日記
岡田歩さんがシェアしてくれていた映画を先日観に行ってきました。
ちょうど予定していた日が、緊急事態宣言が出る直前。
席もガラガラで、ほぼ貸切状態でした。




ケニアが舞台となる映画は、パスカル・プリッソン監督の「GOGO 94歳の小学生」。公式HP
主人公は94歳のプリシラ・ステナイ、通称GOGO。
子供3人、孫22人、ひ孫52人、助産師歴75年の女性(身長180㎝!)。


授業の様子や修学旅行先でのあれこれ、愛くるしいひ孫や友人とのやり取りなど。
映像は淡々と流れていくんだけど、涙と鼻水でグズグズになってしまった(^_^;)


この日は映画館だけじゃなく、銀座も人が少なくて。
余韻を楽しみたくて、映画館のすぐ近くのお気にいりのカフェへ「凛」へ。
ここもお客さんが少なくて、カウンターは私ひとり。
心おきなく…浸ってから帰りました。

時には、こんな過ごし方もいいなぁ♡