魂のロードマップはあなたの中にあります

本当は毎日生まれ変わっているのが私たち
いつだって限りない可能性の光が満ち溢れている

重なる領域

2018年09月29日 | スピリチュアル
コラボワークショップの当日の朝。

あきらかに、今までとは違う領域に進んだ感じがした。

そして、その日の夜に「私」は純粋な「意識」だと
ハッキリわかったということは既に書いたけど。

あれからも、少しずつ変化を続けている。


不思議なのが、あの日を境に再び光のガイドの存在を
近く…というか強く感じ出したということ。

融合してからは、4月・5月のような
「個」としてのやり取りではなくなり、「私そのもの」になっていった。


ところが最近、また感じるようになってきた。

「私そのもの」なんだけど…感じる。


何だろうと思った時に、ハッと気づいた。


5月の初めに「どんどん拡大していっている」
ということを光のガイドは言っていた。

肉体を脱いだ魂は、きっとものすごい勢いで拡大していくのだろう。

だから、いくら私の魂と光のガイドの魂が融合しても
肉体を持っていない魂のほうが、肉体を持っている魂よりも
桁外れに大きな拡がりを続けているのだろう。

果てしなく拡がる光のガイドの領域に対して
私の拡がっている領域は、きっとごくごくわずか。

そう言えば、4月下旬に…
「そもそも比較できるものではないけれど」と前置きしたうえで

「肉体を着ている自分はコップ1杯の水」で
「肉体を脱いだ自分は大海原」って光のガイドが言っていた。


だから、当たり前だけど。
いくら融合しても…肉体を着ている私の意識が、
光のガイドと同じ領域にまで拡がるはずがない。


ただ。
今までとはあきらかに違う領域の「重なり」が出現したことによって、
以前より近く強く感じるようになってきているのかなぁと。

だからと言って、数ヶ月前のような感覚ともちょっと違う。

遠いけど近い…矛盾しているようだけど、そんな感覚。


さらに不思議なのが、
ハイヤーセルフのほうが光のガイドよりも
ずっとずっと「私そのもの」という感覚が強いのは、
やっぱり「自分自身」だからかな?

忘れないように覚書も兼ねて。



横須賀美術館&かねよ食堂②

2018年09月28日 | お出かけ
さて、昨日の続き。

絵画鑑賞の後は、お腹を満たす為に「かねよ食堂」へ。


車での移動だったのですが…。

えーっと、ここ本当に入って行っていいの?
というか、そもそも車でこの先に入って行けるの?
というような場所を通って到着。




平日の昼間にも関わらず、あっという間に満席。

雑誌の取材も来ていた。

入口にこのお店の看板犬?がゴロリ。



挨拶をかわしてナデナデ。

友人は「そこまで大きいとやっぱり怖い~!」。

うん、確かにデカかった。
鳴き声も「バウ!バウ!!」だったし(笑)。


メニューが色々あって迷ったけど、鮪を使ったランチをオーダー。
野菜もたっぷりのサラダ感覚。




鮪と言えば、
刺身→わさび醤油→白いご飯→最高!のパターンでしたが。

グレープフルーツを使ったバターソースと
相性がこんなにいいなんて~と驚きの美味しさ。

食後には、アイス。



友人の提案で外の席に移って海を眺めながらいただきました。

本当に目の前、すぐそこが海。



お天気も良くて清々しかったー。

色々と計画をしてくれた友人に感謝!
ありがとう。



横須賀美術館&かねよ食堂①

2018年09月27日 | お出かけ
先日、友人に誘われて横須賀美術館に足を運んだ。

2015年に25歳という若さで早世した中園孔二さんの個展
「外縁ー見てみたかった景色」を見る為に。







若くして非凡な才能を発揮し、
東京藝術大学在学中より活躍していた中園孔二(1989〜2015)。
中園は型にはまらない奔放なイメージを次々に立ち上げる気鋭の画家として、
25年という短い生涯を終えた後も、
「Japanorama」(ポンピドゥー・センター・メッス、2017)、
「第7回モスクワ・ビエンナーレ」(国立トレチャコフ美術館、2017)など、
世界的に重要な展覧会への出品が続き、多くの人々にインパクトを与え続けている。

(美術手帖から抜粋)


強烈なインパクトのある絵だった。




「時間が止まっている」という印象を受けた。

そして、止まっている時間の中にご本人も永遠に埋もれてしまった…。

そんな感じがした。


「生きたい」という想いと「死にたい」という想いが
拮抗しているような作品が多かったように思える。

奇妙なんだけど、狂気のわずか手間にいる時が
彼にとっての心の平安だったのかもしれない…と感じた。

フッと来たのが。
最後は、その狂気の中に何かを見つけて逝ってしまったんだなぁと。



中園孔二さんと対照的だと感じたのが、2013年に見た牛尾武さんの日本画。
(2012年に虚血性心不全のため57歳で死去)

あの時は、絵から押し寄せてくる波のようなエネルギーを受けて
身体も小刻みに震えて、涙が溢れて嗚咽に。

と言っても、激しく強いものではなく、
切ないぐらいの優しさと哀しさのようなものを全身で感じたことを思い出した。

亡くなられた年に描かれた絵は、まるで牛尾さんの命が、
亡くなられてもなお…その絵の中で優しく息づいているように感じられた。

はかなさと強さ。

作品から感じられるものが年代によって変化して、
年を追うごとに…まるで悟りを開かれた方のような不思議な静けさと、
その静けさの中にあっても動き続け…抗うことの出来ない
大きな流れも同時に表現しているような、そんな感覚だった。


何かに抵抗し続けた方が、あきらめの中に見つけた心の平安。


絵は、作者が亡くなった後も饒舌に語るものだなぁと感じた。


さて。
美術館を出て、次に向かった先は「かねよ食堂」。

併設されているレストランも雰囲気が良くて、
前回はそこを利用したが、
(この日、美術館はガラガラなのにレストランは満席)
今回は違う場所へと友人が連れて行ってくれた。


それにしても。
「かねよ食堂」って、ザ・昭和な名前だわ~。
どんなところだろ。
海の家みたいな感じと聞いていたけど…。

(続く)



抗わない

2018年09月26日 | スピリチュアル
抗わない…ということを最近さらに強く感じる。

でも、それは何もしない…ということではなく。

屁理屈、言い訳、尻込みをせずに、
おこった現実と向き合うという感じに近い。

すぐに誰かの、何かのせいにしたり、
もしくは逃げる口実をあれこれ探すのをやめる。


どうする?

どうしたい?

アクションを起こしたあとに、何が見たい?何を感じたい?

ならば〇〇しよう、△△をやってみよう。

もちろん、あえてやらないという選択肢もある。



いずれにしても、決める。動く。



そこには正しいも、間違っているもない。

言ってみれば、目の前の出来事をまず受け入れる。
そこに、無理やり意味付けする必要もない。

何で?何で?といくら考えても、わからない時はわからない。

時間の経過に伴ってわかる時もあるし、
やっぱりわからないこともある。

でも、それでいい。

そこに執着するのは時間の無駄だなぁとわかってきた。


不思議だな~、面白いな~と思うのが。

肚をくくると、やっぱり自分の予想をはるかに超えて
物事が解決するし、進むし、流れていく。

先日もまさにそういったことがあって
「ん?何がおこった?」と一瞬ポカン。

何が何だかわからないうちに、まわりが動いてくれて…
拍子抜けするぐらいスムーズに物事が運んでしまった、という体験をした。


実は、今朝も「お!」ということがあったばかり。


役者はそろっているんだなぁということも感じた。
本当に無駄なものは何もない。



マロンクリームたっぷりのパンケーキ

2018年09月25日 | スイーツ&グルメ&料理
JOURNAL STANDARDが提案するパンケーキ専門のカフェ。


友人と軽くランチでも…と立ち寄ったので、
当初は食事系のものを食べる予定が…。

たっぷりのマロンクリームに大好きなナッツ。
これを見てしまったら、食べるしかない!


いやはや、美味いのなんのって(笑)
ラズベリー(ドライ)の酸味がアクセント。
苦手な生クリームも重すぎず、ペロリ。
 

美味しかった~。
ご馳走様でした。


ちょっと、ハマりそう。