今までいた世界がクルンとひっくり返った。
何かが入れ替わったというか、逆転したような…そんな感覚。
長い間、幽閉されていた場所から解放されたような感じもする。
昨年もらった「正気に戻ったね」というメッセージは、このことだったんだ。
語彙力に乏しい私があれこれ言葉を紡いでも、
言いたいことのほんのわずかしか表現できないけれど。
記しておきたいという想いが、こうやってパソコンに向かわせている。
以前は、「自分」の中に「流れ」のようなものを感じていた。
でもこの時点では、「自分」と「流れ」には僅かであっても分離感があった。
今は「流れ」そのものが「自分」という感覚になった。
(だから世界がクルンとひっくり返ったように感じられた)
こうやって言葉にすると大差がないように見えるけど、ものすごい違いがある。
いつ頃からかハッキリとは覚えていないけど、昨年の夏後半ぐらいから。
朝起きた瞬間から、まだ何も始まっていないのに「幸せだなぁ」と感じられる。
そして、夜眠る間際にも「なんて幸せなんだろう」と感じられる。
生活が激変したとかそんなことはない。
表面上は何も変わらない。
「幸せだ」と感じる何か対象があるわけじゃない。
ただただ幸せだと感じる。
それまでは。
何かが手に入ったからとか、何かが達成できたからとか、
何かをしてもらったからとか。
出来事に反応する形で「幸せ」だと感じていた。
(それもありだと思っている)
だから…ただ幸せだと感じている状態に「あれ?」。
無理に感じようとしていたわけでもなかったし、
もちろん「フリ」をしていたわけでもなかった。
どこで何をしていても感じることに安らぎを覚えながら、
変化していく過程で起こることなのかしらと思っていた。
でも、その状態が一過性のものではなく継続していること。
そして、そうなる前の状態には戻れないこと。
さらに、ここ数日の覚書に記したような体験が重なり、
ようやく「始まる」という静かな喜びが溢れてきている。
これがゴールではないということ。
通過点に過ぎずこれからが「始まり」。
正気に戻ったうえで。
つまり、本質に目覚めたうえで。
この人生を生きるのが魂の「醍醐味」になっていくんだなぁと思う。
きっと、どんな体験も味わい深くなっていく。
何かが入れ替わったというか、逆転したような…そんな感覚。
長い間、幽閉されていた場所から解放されたような感じもする。
昨年もらった「正気に戻ったね」というメッセージは、このことだったんだ。
語彙力に乏しい私があれこれ言葉を紡いでも、
言いたいことのほんのわずかしか表現できないけれど。
記しておきたいという想いが、こうやってパソコンに向かわせている。
以前は、「自分」の中に「流れ」のようなものを感じていた。
でもこの時点では、「自分」と「流れ」には僅かであっても分離感があった。
今は「流れ」そのものが「自分」という感覚になった。
(だから世界がクルンとひっくり返ったように感じられた)
こうやって言葉にすると大差がないように見えるけど、ものすごい違いがある。
いつ頃からかハッキリとは覚えていないけど、昨年の夏後半ぐらいから。
朝起きた瞬間から、まだ何も始まっていないのに「幸せだなぁ」と感じられる。
そして、夜眠る間際にも「なんて幸せなんだろう」と感じられる。
生活が激変したとかそんなことはない。
表面上は何も変わらない。
「幸せだ」と感じる何か対象があるわけじゃない。
ただただ幸せだと感じる。
それまでは。
何かが手に入ったからとか、何かが達成できたからとか、
何かをしてもらったからとか。
出来事に反応する形で「幸せ」だと感じていた。
(それもありだと思っている)
だから…ただ幸せだと感じている状態に「あれ?」。
無理に感じようとしていたわけでもなかったし、
もちろん「フリ」をしていたわけでもなかった。
どこで何をしていても感じることに安らぎを覚えながら、
変化していく過程で起こることなのかしらと思っていた。
でも、その状態が一過性のものではなく継続していること。
そして、そうなる前の状態には戻れないこと。
さらに、ここ数日の覚書に記したような体験が重なり、
ようやく「始まる」という静かな喜びが溢れてきている。
これがゴールではないということ。
通過点に過ぎずこれからが「始まり」。
正気に戻ったうえで。
つまり、本質に目覚めたうえで。
この人生を生きるのが魂の「醍醐味」になっていくんだなぁと思う。
きっと、どんな体験も味わい深くなっていく。