今、自分に何が起こっているのだろう…と思うことが続いている。
展開が早すぎるし、起こる前の状態に戻れない。
というより。
本当は戻ることなんて出来ないということが実感を伴って押し寄せてきている。
何とか書き記していきたい。
昔の体験を思い出した時。
そこに何も(思考や感情)紐づいていないということに気づいた。
ここでいう「昔」って、数年前でも、数十年前でも、昨日でも同じ。
記憶喪失になったわけではないので、丸ごと忘れてしまったということではない。
ちょうど映画のスクリーンに上映されている様子を眺めているような感じで、
静かに淡々とただ観ている。
あの時〇〇で、悔しい~とか、腹が立った!とか、悲しかったとか。
あるいは、嬉しかったとか、楽しかったとか。
そういったものが何もくっついていない。
記憶をたどっていけば、そうだったなぁ…ぐらい。
(だからと言って、今…体験していることに何も感じないということではない)
以前だったら。
もう過ぎたことなのに延々と悩んだり。
あれこれ思い出して怒りがとまらなくなったり。
原因を探してよけいに混乱したり。
とまあ…頭の中は休む間もなく、ああでもないこうでもないとグルグルグルグル。
そしてグッタリ。
・・・だったのに。
余計なグルグルを全く持ち越ししていない!
いったい何が起きたんだろう????
その時、受け取った映像が印象的だった。
(理解しやすいように比喩でもらったみたい)
ドミノのようなものが一列に…延々と並んでいる。
正面から見ると全部が繋がっているように見える。
でも、真横から見ると一つ一つは隙間があって実は繋がっていない。
繋がっているように見えて、実は繋がっていない。
何だか「だまし絵」のような感じ。
「記憶」と「時間」という言葉が来て拡大意識に解説してもらった。
起こる出来事の一つ一つがドミノ(体験)。
それを繋げようとしているのが私たちの思考。
実際にはどうやったって繋がらない。
なぜなら、あらたなドミノが現れたら、その前のドミノは消滅しているから。
でも、映像のように…人は古いドミノが残っていると思い込んでいる。
これが「記憶」で「個」だと思い込んでいる私の頭の中で起こっていた。
起こった出来事はそこで終わり。
で、次の出来事が起こって、またそこで終わり。
だから常にあたらしいドミノ(体験)が出てくるだけ。
でも、消滅したドミノを記憶の中に閉じ込めて。
理由をつくってせっせと繋げようとしたり、あるいは繋がっていると勘違いして
苦しんだり奮闘しているのが私たち。
実体のない記憶にとらわれる必要はないんだよ。
なぜなら全てが「今」で完結して、またあらたに完結する。
それを今まさに…体験しているんだよ。
うん、確かに。
いつもだったら、同じパターンに陥りそうなシーンで全くそうはならず。
だから、後になってから逆に「あれ?」。
こんなことが何回も続いて、ますます「???」
気づいたら…あれやこれやと余計な思考を持ち越ししていない。
もちろん、その時々で感情(喜怒哀楽)は起こるけど。
そこに後から色々な考え(妄想)をくっつけることをしていない。
というか、もう…どうやったってくっつけられない。
だから、あれこれ引きずってもいない。
と自分のことなのに、びっくり。
人って「記憶」を繋げて、それを「時間」と認識しているのかな?
とにかく「思考」グルグルの世界がなくなった。
そしてグルグルの世界がなくなってみて初めてわかった。
それがどれだけしんどかったのか。
比喩のドミノで解説してもらったように。
本当はどんどん新しいドミノが生まれ続けているのに。
それしかないのに。
消えてしまったものにばかりにエネルギーが向いていたことを。
今この瞬間を味わうだけでよかったんだ。
「個」だと思い込んでいる自分が透明になっていけば、
「本当」の自分があらわれる…。
あらわれたら、もうそれでしか生きられない。
・・・みたい。
展開が早すぎるし、起こる前の状態に戻れない。
というより。
本当は戻ることなんて出来ないということが実感を伴って押し寄せてきている。
何とか書き記していきたい。
昔の体験を思い出した時。
そこに何も(思考や感情)紐づいていないということに気づいた。
ここでいう「昔」って、数年前でも、数十年前でも、昨日でも同じ。
記憶喪失になったわけではないので、丸ごと忘れてしまったということではない。
ちょうど映画のスクリーンに上映されている様子を眺めているような感じで、
静かに淡々とただ観ている。
あの時〇〇で、悔しい~とか、腹が立った!とか、悲しかったとか。
あるいは、嬉しかったとか、楽しかったとか。
そういったものが何もくっついていない。
記憶をたどっていけば、そうだったなぁ…ぐらい。
(だからと言って、今…体験していることに何も感じないということではない)
以前だったら。
もう過ぎたことなのに延々と悩んだり。
あれこれ思い出して怒りがとまらなくなったり。
原因を探してよけいに混乱したり。
とまあ…頭の中は休む間もなく、ああでもないこうでもないとグルグルグルグル。
そしてグッタリ。
・・・だったのに。
余計なグルグルを全く持ち越ししていない!
いったい何が起きたんだろう????
その時、受け取った映像が印象的だった。
(理解しやすいように比喩でもらったみたい)
ドミノのようなものが一列に…延々と並んでいる。
正面から見ると全部が繋がっているように見える。
でも、真横から見ると一つ一つは隙間があって実は繋がっていない。
繋がっているように見えて、実は繋がっていない。
何だか「だまし絵」のような感じ。
「記憶」と「時間」という言葉が来て拡大意識に解説してもらった。
起こる出来事の一つ一つがドミノ(体験)。
それを繋げようとしているのが私たちの思考。
実際にはどうやったって繋がらない。
なぜなら、あらたなドミノが現れたら、その前のドミノは消滅しているから。
でも、映像のように…人は古いドミノが残っていると思い込んでいる。
これが「記憶」で「個」だと思い込んでいる私の頭の中で起こっていた。
起こった出来事はそこで終わり。
で、次の出来事が起こって、またそこで終わり。
だから常にあたらしいドミノ(体験)が出てくるだけ。
でも、消滅したドミノを記憶の中に閉じ込めて。
理由をつくってせっせと繋げようとしたり、あるいは繋がっていると勘違いして
苦しんだり奮闘しているのが私たち。
実体のない記憶にとらわれる必要はないんだよ。
なぜなら全てが「今」で完結して、またあらたに完結する。
それを今まさに…体験しているんだよ。
うん、確かに。
いつもだったら、同じパターンに陥りそうなシーンで全くそうはならず。
だから、後になってから逆に「あれ?」。
こんなことが何回も続いて、ますます「???」
気づいたら…あれやこれやと余計な思考を持ち越ししていない。
もちろん、その時々で感情(喜怒哀楽)は起こるけど。
そこに後から色々な考え(妄想)をくっつけることをしていない。
というか、もう…どうやったってくっつけられない。
だから、あれこれ引きずってもいない。
と自分のことなのに、びっくり。
人って「記憶」を繋げて、それを「時間」と認識しているのかな?
とにかく「思考」グルグルの世界がなくなった。
そしてグルグルの世界がなくなってみて初めてわかった。
それがどれだけしんどかったのか。
比喩のドミノで解説してもらったように。
本当はどんどん新しいドミノが生まれ続けているのに。
それしかないのに。
消えてしまったものにばかりにエネルギーが向いていたことを。
今この瞬間を味わうだけでよかったんだ。
「個」だと思い込んでいる自分が透明になっていけば、
「本当」の自分があらわれる…。
あらわれたら、もうそれでしか生きられない。
・・・みたい。