「この世界に生まれてきてくれてありがとう」
そんな言葉が、先日…ふわっと湧いてきて自分でも驚いた。
お誕生日でも何でもない普通の日。
でも心の奥底から
「この世界に誕生してくれてありがとう」という想いが湧いてきた。
親に「産んでくれてありがとう」なんて話はよく聞くけれども。
自分が自分に対して
「この世界に生まれてきてくれてありがとう」なんて、思ったこともなかった。
・・・でも。
そもそも「普通の日」なんてものはなくて、「毎日が誕生日」なのかもしれない。
そう思った時に、昔…似たような言葉を目にして、
「なんてお気楽な」
「子供じゃあるまいし」
「そんな能天気なこと思えるわけないじゃない」
呆れながらも、そこに「羨望」が入り混じっていたのに
気づかないフリをしていたことを思い出した。
自分の中に潜む無価値感に悩んでいる人は多いし、そもそも気づいていない人もいる。
無価値な自分を価値あるものにしようと、あの手この手で証明しようと奮闘する。
どうしたら、自分で自分の価値を認められるだろう。
どうしたら、他人に自分の価値を認めてもらえるだろう。
どうやったら、自分で自分をかけがえのない存在だって思えるんだろう。
・・・なぜ、私は。
自分を愛せないんだろう。
肉体を持ってこの世に生まれることが「分離」の始まり。
そこから自分の存在の意味を探し始め、自分の価値を証明することに多くの時間を費やす。
その過程を無駄だとは全く思っていないし、
散々やり尽くして「不完全な私」を受け入れて、
その「不完全さ」を愛することが出来るようになると思っている。
「不完全」という言葉の解釈も色々あると思うけど。
私の中では「不完全」=「肉体を着ている私」。
不完全な人間が「愛」を知りたい、見つけたい、
そう思いながら生きていることがたまらなく愛しい。
「この世界に生まれてきてくれてありがとう」
そんな言葉が、先日…ふわっと湧いてきて自分でも驚いた。
お誕生日でも何でもない普通の日。
でも心の奥底から
「この世界に誕生してくれてありがとう」という想いが湧いてきた。
親に「産んでくれてありがとう」なんて話はよく聞くけれども。
自分が自分に対して
「この世界に生まれてきてくれてありがとう」なんて、思ったこともなかった。
・・・でも。
そもそも「普通の日」なんてものはなくて、「毎日が誕生日」なのかもしれない。
そう思った時に、昔…似たような言葉を目にして、
「なんてお気楽な」
「子供じゃあるまいし」
「そんな能天気なこと思えるわけないじゃない」
呆れながらも、そこに「羨望」が入り混じっていたのに
気づかないフリをしていたことを思い出した。
自分の中に潜む無価値感に悩んでいる人は多いし、そもそも気づいていない人もいる。
無価値な自分を価値あるものにしようと、あの手この手で証明しようと奮闘する。
どうしたら、自分で自分の価値を認められるだろう。
どうしたら、他人に自分の価値を認めてもらえるだろう。
どうやったら、自分で自分をかけがえのない存在だって思えるんだろう。
・・・なぜ、私は。
自分を愛せないんだろう。
肉体を持ってこの世に生まれることが「分離」の始まり。
そこから自分の存在の意味を探し始め、自分の価値を証明することに多くの時間を費やす。
その過程を無駄だとは全く思っていないし、
散々やり尽くして「不完全な私」を受け入れて、
その「不完全さ」を愛することが出来るようになると思っている。
「不完全」という言葉の解釈も色々あると思うけど。
私の中では「不完全」=「肉体を着ている私」。
不完全な人間が「愛」を知りたい、見つけたい、
そう思いながら生きていることがたまらなく愛しい。
「この世界に生まれてきてくれてありがとう」