企業不祥事では、企業は不祥事を隠し通そうとし、それが発覚すると責任者がその場逃れの形だけの謝罪で済ませ、肝心の不祥事を起こした原因や経緯についての説明責任を果たそうとしない。それで結局、不祥事を繰り返す――こんな場面を国民は何度見てきたことか。どうやら朝日新聞社もこの例外ではなさそうである。
説明責任を果たしてない
朝日記者が捏造(ねつぞう)した取材メモに基づき虚偽報道を行った問題で、秋山耿太郎社長が陳謝の記者会見を行い、箱島信一取締役相談役(前社長)がその責任を取って日本新聞協会会長を辞任することを表明した。
秋山社長は虚偽報道について「朝日新聞のみならず、新聞全体に対する信頼を傷つける結果になった」と陳謝し、「『解体的な出直し』に不退転の決意で臨む」と述べた。だが、信頼回復から程遠い会見と言わざるを得ない。
そもそも朝日への不信感は何も今回の虚偽報道で起こったのではない。今年に入って一月の「NHK番組改変報道」、四月の「武富士ウラ広告費」、八月の「NHK取材資料流出」、そして八月末の「捏造メモ虚偽報道」と、立て続けに不祥事が起きている。
その間、朝日の責任者は一度も記者会見をせず、不祥事を隠し通そうとする態度に終始していると批判されてきた。この疑問は今回の記者会見でも拭(ぬぐ)えていない。秋山社長は「説明責任に対する認識の甘さがあったことを反省し、おわびする」と述べたが、肝心の説明責任を果たそうとしなかったからである。
捏造メモ報道に対して朝日は「信頼される報道のために」委員会を設置し、取材現場の実態や問題点を再点検するとしている。しかし、同委員会の中身を詳しく説明していない。発表によれば、吉田慎一・常務取締役(編集担当)を委員長、東京、大阪、西部、名古屋各本社の編集局長を副委員長とするとあるだけだ。
これは、編集部門の幹部をずらりと並べて委員会をつくっただけのことである。いったい誰が委員で、どのような手順で点検するのか、関係者や読者にきちんと説明があってしかるべきだが、それが今なおない。
何よりも問題なのは、不祥事の核心の「NHK番組改変報道」について、真相究明を相変わらず行おうとしていないことである。
記者会見で秋山社長は「七月二十五日に特集の記事を掲載して、一応の社としての区切りをつけたつもり」と述べ、この対応が独り善がりでないか、社外の有識者で評価してもらっているとしている。これは呆(あき)れた認識の甘さである。
「改変報道」問題は、取材テープによるものとみられる「社内資料」の流出問題が加わり、真相究明が不可欠になっている。「圧力」を掛けたとされた政治家、それに受けたとされたNHK幹部から再三にわたり回答を求められている。それに答えず、事実関係を明確にしないままで流出問題の謝罪文を送り、受け取りを拒否されてもいる。それを「区切りをつけたつもり」とはどういう認識なのか。有識者に聞くまでもなく独り善がりな態度と言うほかあるまい。
NHK問題から逃げるな
これでは「解体的な出直し」は望むべくもない。秋山社長は記者会見で「すべてを洗い直してすべてを見直す」と述べているが、それならなぜ「NHK番組改変」報道の真相究明から逃げるのか。ここにメスを入れない限り、信頼回復などあり得ないと知るべきだ。
世界日報 2005年9月10日
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説明責任を果たしてない
朝日記者が捏造(ねつぞう)した取材メモに基づき虚偽報道を行った問題で、秋山耿太郎社長が陳謝の記者会見を行い、箱島信一取締役相談役(前社長)がその責任を取って日本新聞協会会長を辞任することを表明した。
秋山社長は虚偽報道について「朝日新聞のみならず、新聞全体に対する信頼を傷つける結果になった」と陳謝し、「『解体的な出直し』に不退転の決意で臨む」と述べた。だが、信頼回復から程遠い会見と言わざるを得ない。
そもそも朝日への不信感は何も今回の虚偽報道で起こったのではない。今年に入って一月の「NHK番組改変報道」、四月の「武富士ウラ広告費」、八月の「NHK取材資料流出」、そして八月末の「捏造メモ虚偽報道」と、立て続けに不祥事が起きている。
その間、朝日の責任者は一度も記者会見をせず、不祥事を隠し通そうとする態度に終始していると批判されてきた。この疑問は今回の記者会見でも拭(ぬぐ)えていない。秋山社長は「説明責任に対する認識の甘さがあったことを反省し、おわびする」と述べたが、肝心の説明責任を果たそうとしなかったからである。
捏造メモ報道に対して朝日は「信頼される報道のために」委員会を設置し、取材現場の実態や問題点を再点検するとしている。しかし、同委員会の中身を詳しく説明していない。発表によれば、吉田慎一・常務取締役(編集担当)を委員長、東京、大阪、西部、名古屋各本社の編集局長を副委員長とするとあるだけだ。
これは、編集部門の幹部をずらりと並べて委員会をつくっただけのことである。いったい誰が委員で、どのような手順で点検するのか、関係者や読者にきちんと説明があってしかるべきだが、それが今なおない。
何よりも問題なのは、不祥事の核心の「NHK番組改変報道」について、真相究明を相変わらず行おうとしていないことである。
記者会見で秋山社長は「七月二十五日に特集の記事を掲載して、一応の社としての区切りをつけたつもり」と述べ、この対応が独り善がりでないか、社外の有識者で評価してもらっているとしている。これは呆(あき)れた認識の甘さである。
「改変報道」問題は、取材テープによるものとみられる「社内資料」の流出問題が加わり、真相究明が不可欠になっている。「圧力」を掛けたとされた政治家、それに受けたとされたNHK幹部から再三にわたり回答を求められている。それに答えず、事実関係を明確にしないままで流出問題の謝罪文を送り、受け取りを拒否されてもいる。それを「区切りをつけたつもり」とはどういう認識なのか。有識者に聞くまでもなく独り善がりな態度と言うほかあるまい。
NHK問題から逃げるな
これでは「解体的な出直し」は望むべくもない。秋山社長は記者会見で「すべてを洗い直してすべてを見直す」と述べているが、それならなぜ「NHK番組改変」報道の真相究明から逃げるのか。ここにメスを入れない限り、信頼回復などあり得ないと知るべきだ。
世界日報 2005年9月10日
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