松岡徹の「一生懸命」

日本共産党・熊本県議「松岡徹」の日々の体験・活動、「県政だより」などを発信します。

義母の死を悼む

2012-02-21 08:33:52 | 日記

 つれあいの父が亡くなり、年老いた義母一人になってしまったので、娘であるつれあいが義母の世話をしなければならないーということになって熊本市渡鹿に移り住んで約3年間、義母と同居しました。義母は心優しい人で、いつも「ご苦労ーさん」「「いってきなっせ」「お帰り」「ありがとう」という言葉をかけてくれました。ここ半年は病院、特養ホームをったりきたりでしたが、「癒しの〇〇さん」と言われていたそうです。

 つれあいにとっては、このうえなくつらい、悲しいことです。

  1昨年夏、義母のことをブログに書きました。採録して追悼にかえたいと思います。「お母さん、若いころからいろいろお世話になりました。ありがとうござくぃました」(徹)

 私が現在居住しているのは熊本市渡鹿です。義理の父が亡くなり88歳の義母一人が渡鹿に住む状況になりました。娘である妻が一緒に住むのが一番いいということになりました。私は県議(1期)時代も含め熊本市長嶺に住み、地元での応援も受けてきただけにずいぶんと悩みました。しかし「もし義母が一人で住んでいて何かあったら(現に危うく火災を起こそうとしたこともありました)」と思い、長嶺の地元の人たちには事情を知ってもらう挨拶状を届け、2年前に渡鹿に転居しました。

 義母の介護では妻も大変ですが、実の母子のやり取りやふれあいを聞いたり、接したりしていると、「やっぱりこうしてよかったなー」と思ったりします。そんな義母が、デイケアに行ったり、家にいたりのなかで、「外に出たい」といいます。義母は義父が元気なころは車であちこちに行っていたので、車でうろうろするのが大すきなのです。多忙ななかなか義母のその思いになかなか応えられないできました。特に最近は参議選などの関係でやっていませんでした。

 「2時間プラン、熊本港から金峰山越えコースのドライブ」を妻と立て実行しました。熊本港岸壁では「いわし」が釣れていました。釣り好きだった義父を思い出すのか大変うれしそうでした。河内へ向かう道路沿いで、「回転饅頭」と「たこ焼き」を買いました。饅頭を「うまい。うまい」と食べてくれました。金峰山の道沿いでは、ブドウ、ナシ、桃を買いました。2時間ちょっとの義母、妻、私のドライブでした。「港とか金峰山にはもう行けんと思うとったけん。今日はよかったー。とおるさん、アリガト」と義母が大変喜んでくれました。「忙しくても、こういう孝行はチョコチョコせんといかんね」と妻と話したことでした