「古田史学の会」の今後の繁栄を願うものとして、以下のことを提案させていただきます。
趣旨は「門戸」を広く開放することであり、投稿論文に対する活発な意見交換を可能にすることです。
以前会報に書かれてあった意見で「会報」が「難しい」というものがあったように見受けられました。また「上城氏」の意見にもあったように「学説」ないしは「意見」を投稿しても、なかなか「双方向」的な結果に至らない場合がほとんどと思われ、「建設的」な議論となっていないのが現状ではないでしょうか。(古賀-内倉間の議論など典型的です)
また、別の問題として、現在の会報の中身を見ると、「七世紀」の「律令制」確立時点の研究が少ないように思えます。実際には「既存学説」ではこのあたりが一番多く、かなり充実しています。これに対して、「古田史学」はその部分でやや「非力」なのではないでしょうか。
既存学説を唱える彼らの多くが「律令制」に焦点を当てるのは、「日本国」の成立というものと「律令制」の成立・施行が「重なっている」という視点があるからと思われます。「律令制」の中身を丹念に点検・研究することで「原日本国」の原象が浮かび上がるというのは「既存学説」によって立つものであろうとそうでなかろうと、共通する真理であると思われるものです。
この部分は「既存学説」においてもかなり若い方々の研究成果が多くを占めており、その成果はもちろん「近畿一元論」的「限界」がある中ではありますが、数量としてはかなりのものではあります。これらについて「新しい切り口」で「古田史学」としての研究が多く為されて然るべきと思われますが、実際にはほぼ見受けられません。例えば「私」が会員になって以降の投稿記事(一〇一号)以降にはその様なものは「皆無」ですし、過去遡ってもほぼ見られません。これはある意味「停滞」であり「打破」する必要があります。
この「律令制」に関する事は「一例」にしか過ぎませんが、このような現状は「会員」の構成(年齢)とも関連していると考えられ、議論を深めるためには「若い」方々の参入を促す必要があると思われます。既存学説でも若い「少壮」の研究者によるものが多いのは「律令制」をテーマとしているものの多くが(いやそれに限りませんが)「立論」が複雑であり、資料の収集等時間と手間をかなり要するものが多く、「スタミナ」と「根気」が必要だからではないでしょうか。このような「元気」な年代の会員数が余り多くないと推定されることが「停滞」の原因とも考えられます。
たとえば、現在会報は「印刷」されたものを二ヶ月に一回郵送しているわけですが、それは「会員」の多くが「ネット」と接することの少ない、或いは「ネット」を使いこなせない年齢層であるという事情があるのではないかと思われ、その様な人達を「主たる」層としているかぎりは新しい命題、新しい研究成果の応用というものもかなり困難なものとなってしまうと思われます。
また出来上がったものが「大論文」であった場合には「会報」には「紙幅」の関係から載せることは出来なくなり、かといって「古代に真実を求めて」はその発行が「一年に一回」ですから、ペースが遅すぎて、現代的でない、というよりそれ以前に「一年後」生きているか死んでいるかという残り少ない人生の長さとも関係してきます。(笑いごとではないのです)
そのような「ジレンマ」を回避、改善するためには、「紙」による「会報」というものを全面的に改め、「ネット」をメインとすることとする事しかないと思われます。これは「ネット」に親和性のある「若い人」の、「会」への誘導を計るためにも、現時点では「絶対」に必要なことと考えられます。
「古賀氏」による「洛中洛外日記」の閲覧者数がかなり多いのは、そのこと(「ネット」をメインとすること)の必要性と重要性を如実に示しているといえます。そのような「ネット」への親和力というものが、「会」の一面(側面)ではなく、「メイン」(正面)であるというように方向を変更する事が必要ではないでしょうか。
この事は「投稿」論文などの取り扱いにおいても大幅な変更を行うべき事を示していると思われます。
「会報」に代えて、「サイト」を発表の場にする、と言う事は「即時性」と「速報性」が重視されることとなるわけですから、「投稿」と「掲載」の時間間隔の短縮は「必ず起きること」でもあり、また「起きなければならないこと」でもあります。
投稿された論文等々(紀行文、書評など)については「原則」として「全て」、あらかじめ決められた「編集委員」において「査読」の後意見を付してサイトにアップロードすることとするべきでしょう。もちろん、「それ以前」と思われるもの(未熟なもの)については本人へ差し戻す措置をとることとするべきですが。ただしこれも問題点を付記した上でのこととすべきです。
以前「洛中洛外日記」に「投稿論文採用の可否」について「基準」らしきものを示していましたが、「不採用」となった場合でも、その理由が知らされなければ、基準を示されても意味を持ちません。自分の場合がどれに当てはまるのかが分からなければ、書き直しすら出来ないのです。面倒でもそれは「必須」と思われます。
また、サイトに掲載された「論文」が全て「会」の「お墨付き」が付いているわけではないことを示すのも大事なことです。現在は「会誌」等に掲載された場合、一種「権威化」している可能性があり、その場合、そのような「論文」が「一人歩き」していくという場合も考えられ、それは「会」としてのコメントないしは立場の説明なしの状態では大いにあり得る話です。投稿された論文にどのような問題があるのか、それを編集委員がどのように認識しているのかを示すことで、「会」と「会報」の方向性とレベルの維持を可能にできます。
また、掲載された論文については、「随時」会員諸氏から「批評」を受けることとするべきであり、それも「サイト」にアップする事が必要です。またその「批評」に対する本人からの「回答」ないしは「意見」を寄せてもらう事とし、これもまた同様に「サイト」にアップすることとします。(これも随時)これら「応酬」が可能であるのは「会員」であることの特権であり、他の会によってはそのような形態をとっているところも現にかなりあるようですが、このようなことは「開かれている」イメージを作ると共に、「批評」と「応答」が「公」になることにより、多くの会員、非会員においても問題点の共有が可能となります。その様な事は「学問」の前進に深く寄与すると思いますがいかがでしょうか。
以上、はなはだ「雑駁」であり、また「稚拙」な意見ではあり、また現実的ではないという誹りもあるでしょうが、「会」と「会報」、および「会のホームページ」等を「活性化」し、より多くの人達に見てもらい、さらに考えてもらう事を意図しそこへ誘導するために、現状に対する「見直し」案として提案するものです。
ご検討の程よろしく御願いいたします。