古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

会に対する提言について

2018年12月09日 | 古代史

「古田史学の会」の今後の繁栄を願うものとして、以下のことを提案させていただきます。

趣旨は「門戸」を広く開放することであり、投稿論文に対する活発な意見交換を可能にすることです。

 以前会報に書かれてあった意見で「会報」が「難しい」というものがあったように見受けられました。また「上城氏」の意見にもあったように「学説」ないしは「意見」を投稿しても、なかなか「双方向」的な結果に至らない場合がほとんどと思われ、「建設的」な議論となっていないのが現状ではないでしょうか。(古賀-内倉間の議論など典型的です)
 また、別の問題として、現在の会報の中身を見ると、「七世紀」の「律令制」確立時点の研究が少ないように思えます。実際には「既存学説」ではこのあたりが一番多く、かなり充実しています。これに対して、「古田史学」はその部分でやや「非力」なのではないでしょうか。
 既存学説を唱える彼らの多くが「律令制」に焦点を当てるのは、「日本国」の成立というものと「律令制」の成立・施行が「重なっている」という視点があるからと思われます。「律令制」の中身を丹念に点検・研究することで「原日本国」の原象が浮かび上がるというのは「既存学説」によって立つものであろうとそうでなかろうと、共通する真理であると思われるものです。
 この部分は「既存学説」においてもかなり若い方々の研究成果が多くを占めており、その成果はもちろん「近畿一元論」的「限界」がある中ではありますが、数量としてはかなりのものではあります。これらについて「新しい切り口」で「古田史学」としての研究が多く為されて然るべきと思われますが、実際にはほぼ見受けられません。例えば「私」が会員になって以降の投稿記事(一〇一号)以降にはその様なものは「皆無」ですし、過去遡ってもほぼ見られません。これはある意味「停滞」であり「打破」する必要があります。

 この「律令制」に関する事は「一例」にしか過ぎませんが、このような現状は「会員」の構成(年齢)とも関連していると考えられ、議論を深めるためには「若い」方々の参入を促す必要があると思われます。既存学説でも若い「少壮」の研究者によるものが多いのは「律令制」をテーマとしているものの多くが(いやそれに限りませんが)「立論」が複雑であり、資料の収集等時間と手間をかなり要するものが多く、「スタミナ」と「根気」が必要だからではないでしょうか。このような「元気」な年代の会員数が余り多くないと推定されることが「停滞」の原因とも考えられます。
 たとえば、現在会報は「印刷」されたものを二ヶ月に一回郵送しているわけですが、それは「会員」の多くが「ネット」と接することの少ない、或いは「ネット」を使いこなせない年齢層であるという事情があるのではないかと思われ、その様な人達を「主たる」層としているかぎりは新しい命題、新しい研究成果の応用というものもかなり困難なものとなってしまうと思われます。
 また出来上がったものが「大論文」であった場合には「会報」には「紙幅」の関係から載せることは出来なくなり、かといって「古代に真実を求めて」はその発行が「一年に一回」ですから、ペースが遅すぎて、現代的でない、というよりそれ以前に「一年後」生きているか死んでいるかという残り少ない人生の長さとも関係してきます。(笑いごとではないのです)
 そのような「ジレンマ」を回避、改善するためには、「紙」による「会報」というものを全面的に改め、「ネット」をメインとすることとする事しかないと思われます。これは「ネット」に親和性のある「若い人」の、「会」への誘導を計るためにも、現時点では「絶対」に必要なことと考えられます。
 「古賀氏」による「洛中洛外日記」の閲覧者数がかなり多いのは、そのこと(「ネット」をメインとすること)の必要性と重要性を如実に示しているといえます。そのような「ネット」への親和力というものが、「会」の一面(側面)ではなく、「メイン」(正面)であるというように方向を変更する事が必要ではないでしょうか。

 この事は「投稿」論文などの取り扱いにおいても大幅な変更を行うべき事を示していると思われます。
 「会報」に代えて、「サイト」を発表の場にする、と言う事は「即時性」と「速報性」が重視されることとなるわけですから、「投稿」と「掲載」の時間間隔の短縮は「必ず起きること」でもあり、また「起きなければならないこと」でもあります。
 投稿された論文等々(紀行文、書評など)については「原則」として「全て」、あらかじめ決められた「編集委員」において「査読」の後意見を付してサイトにアップロードすることとするべきでしょう。もちろん、「それ以前」と思われるもの(未熟なもの)については本人へ差し戻す措置をとることとするべきですが。ただしこれも問題点を付記した上でのこととすべきです。 
 以前「洛中洛外日記」に「投稿論文採用の可否」について「基準」らしきものを示していましたが、「不採用」となった場合でも、その理由が知らされなければ、基準を示されても意味を持ちません。自分の場合がどれに当てはまるのかが分からなければ、書き直しすら出来ないのです。面倒でもそれは「必須」と思われます。
 また、サイトに掲載された「論文」が全て「会」の「お墨付き」が付いているわけではないことを示すのも大事なことです。現在は「会誌」等に掲載された場合、一種「権威化」している可能性があり、その場合、そのような「論文」が「一人歩き」していくという場合も考えられ、それは「会」としてのコメントないしは立場の説明なしの状態では大いにあり得る話です。投稿された論文にどのような問題があるのか、それを編集委員がどのように認識しているのかを示すことで、「会」と「会報」の方向性とレベルの維持を可能にできます。

 また、掲載された論文については、「随時」会員諸氏から「批評」を受けることとするべきであり、それも「サイト」にアップする事が必要です。またその「批評」に対する本人からの「回答」ないしは「意見」を寄せてもらう事とし、これもまた同様に「サイト」にアップすることとします。(これも随時)これら「応酬」が可能であるのは「会員」であることの特権であり、他の会によってはそのような形態をとっているところも現にかなりあるようですが、このようなことは「開かれている」イメージを作ると共に、「批評」と「応答」が「公」になることにより、多くの会員、非会員においても問題点の共有が可能となります。その様な事は「学問」の前進に深く寄与すると思いますがいかがでしょうか。

  以上、はなはだ「雑駁」であり、また「稚拙」な意見ではあり、また現実的ではないという誹りもあるでしょうが、「会」と「会報」、および「会のホームページ」等を「活性化」し、より多くの人達に見てもらい、さらに考えてもらう事を意図しそこへ誘導するために、現状に対する「見直し」案として提案するものです。

ご検討の程よろしく御願いいたします。

コメント

谷本様のコメントに対して

2018年12月09日 | 古代史

谷本様より「古田史学会報一四八号」をみて)という当方の記事に対し、コメントが寄せられました。

以下にその一部(全体は「コメント欄」を参照してください)をご紹介すると共に当方の意見を書かせていただきます。

>基本的に他人のブログの場で歴史研究の詳細を記述することはしておりませんので、予め御了承ください。

当方が提示した問題には「ブログ」の上では答えないということのようですが、元々直接応答が得られるとも思っていなかったのでその点については特に問題にすることは考えていません。ただ谷本様の論について「看過」できなかっただけです。しかしその根拠となる部分は「会報」に未掲載ですから(以前送付はしましたが…)、そのまま「会報」誌上での議論にはなり得ないものです。(だからこそネットで議論しているわけですが)

>貴殿の書いたものが匿名の筆者によって批評され、それがネットで公開されていることも知らされず(匿名筆者が親切にもURLを知らせてくることは通常想定できません)、貴殿の御意見や反論を発表する機会も無いままに、批評された事実も知らないままに他の人にはその批評が知れ渡るという状況を考えてみて下さい。それでも構わないというのは貴殿の勝手ですが、そうした(書く者と批評される者との)立場の不公平さを容認する姿勢が小生にはとても気になります。

「私」のスタンスを説明しただけであって、それ以上ではありません。私はそれが匿名であれ、なんであれ「議論に値するかどうか」だけを見ているものであり、向かい合うべきものと認めたものであればそれに対して反応することとしています。それが私のスタンスと言うだけですから、その姿勢を他人に押しつけてはいません。
ちなみに「署名」があったとしても今回のように「知見」の中に入らなければ同じことなのではないですか。それとも「署名評論を書いたので見てください」とお知らせを必ずしなければならないと言うことなのでしょうか。そのような慣行があるとは存じておりませんが…。
その意味で私は「ネット検索」で自分の議論に対する反応は随時確認しています。そのような中に見るべきものもあるかもしれませんから。

>なお、プロフィール欄の猫の写真や「実はバルカン星人だといううわさも・・・」の記述から、実は表示が本名である、と推量しろというのは、ちょっと無理ではないでしょか?(それとも、小生の様な指摘がある場合を想定しての「匿名ブログではなく、実名である」という逃げ道を作っていたということなのでしょうか?うがった見方で申し訳ありませんが、そう推測されても仕方のない記述様態ではないのでしょうか?)

「実名です」とは確かに書いてはいませんが、そもそもそのようなことをあえて記載する必要性はないと考えただけのことです。「逃げ道」の意味が良くわかりませんし「猫」の写真は関係ないと思いますが。

谷本様も言われるように「日本の古代史/歴史の研究を健全に発展させてゆきたいという思いは同じくしていると思っています」ので、記事内容について前向きに取り上げて頂ければ幸いです。
山田様のブログのコメントにも書きましたように私の論を踏まえまた喝破して「干支の一年異なる暦」の存在を立証されるなら喜ばしいことと考えていますので、更に研究が進むことを願っています。

以下以前書いた記事です。何かのご参考まで。

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/7efea600a66e2dc051b383309d481743 以下一連の記事

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/967b20763416bf5deecaefe51a42c44c

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/25cbf6ce30b467af1df953acd5143c10?fm=entry_awc

また「周正仮説」を唱えた「洞田氏」の論も参考になると思います。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai5/horadata.html

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