警察や社会ルールについて急に認める気持ちになった革命的な時期があります。1997年25歳の節目に猛烈な恋をしたのです。おれを強烈に否定してくれる貴重な人で、大人になった自由で調子に乗っている時期でしたから、おかげで目を覚まし地面に足を着ける事が出来ました。この駄目な頃の意識はガンダムで言うところシャアの急進的で横暴なイメージで、「社会が悪い!おれが正しい!」でした。野比太に憧れていた純朴な子供の時期もあるので、かなり遅い反抗期で調子に乗っていた一時的な暴走時代の様です。「アーティストって滅茶苦茶をやって研究しなけりゃハンパだぜっ!」ていう間違った妄想も原因です。まずステンドグラスの材料店を開くと、ゴミのモラル問題の洗礼を受けたのです。コンビニが隣だからか毎朝 宴の終わったまま、缶とタバコとカップ麺が丸く並んで人数まで確認出来る程そのままお帰りになるのです。ファミレスかっ!ってつっこみも出ずに悩みました。他にも糞尿モラルも厳しいよね。店長になって本当に全てのモラルや社会ルールって必要なものなんだな!と痛感したのです。たくさんの人と土地を共有して生きているのだからあらゆる因果応報を想像して行動しなければいけないな!とマトモなことを叫んだのです。こんなきっかけで混沌から秩序へと一瞬で反転したおれが見た「覚醒」のイメージは、眉間の重い扉をやっとこさ開くと、そこに一言「開けるな」って書いてあって、「ガ~ン!開けちゃったじゃん!」先にゆってよ~って、そっと閉める感じです。この構造はよくある「何かを探し求めて旅に行くがやっと見つけた所が元居た場所」的な真理で、探究心がある馬鹿な男っぽいミスです。まあ見つかったなら回り道も必然!前回のまど・みちを先生の話とも繋がりますが、「この世界には隠されているものなんてひとつもない、ただ見ようとしていないだけ!」っこれは我ながら名台詞が飛び出したぜ!観念的にクレイジーは意識的で全然クレイジーじゃない!表裏一体?つまり超越的な能力や、ニュータイプ、パワーを人は求めるけど、それを備えた人は超フツーの素晴しくマトモな感覚を備えた人間らしい人間が、元から備えているもので、あたりまえだったのだ!という事です。普通が超能力!