散歩の帰りに村の神社に立ち寄る。神社の脇に設置されている,先の大戦で国に殉じて戦地に散った人を祀った殉国の碑の前で一礼する。まだ新しい花が活けてあった。近所の人なのか、遺族の人なのかは不明だが、折りにふれ献花している人がおられるのは明らかだ。

ぼっこし大工が当地区の自治会長を務めた時に、毎年秋の神社の例大祭と同時に、この碑の前に遺族をお迎えし玉串を奉った殉国祭を遺族の出席者の減少や近隣自治会での廃止などの理由で廃止した経緯があるので、胸の内に去来する一抹の思いが甦る。
石碑の裏に20代から30代までの16名の当自治会出身者の氏名と行年、戦没地が記されている。中華民国、中国、シベリア、ソロモン群島、比国、硫黄島など、遠く祖国を離れ、国の為と命じられ、異国の地に散った方々の無念を、今の時代に想い起こす人々がどれだけ居るのでしょうか?
ぼっこし大工の父親も中国の南方とか言っていましたが、幸い命有って帰国した為に私がこの世に生を受ける事が出来た訳ですが、あまり戦地での事は多くを語りませんでしたが、迫撃砲の破片が腕に刺さり、傷跡にハエが卵を産みつけたとか、マラリアに感染した話や、顔を洗っていた時に銃の流れ弾が洗面器に落ちて来たなどの話を生前話していた事を想い出す。

ぼっこし大工が当地区の自治会長を務めた時に、毎年秋の神社の例大祭と同時に、この碑の前に遺族をお迎えし玉串を奉った殉国祭を遺族の出席者の減少や近隣自治会での廃止などの理由で廃止した経緯があるので、胸の内に去来する一抹の思いが甦る。
石碑の裏に20代から30代までの16名の当自治会出身者の氏名と行年、戦没地が記されている。中華民国、中国、シベリア、ソロモン群島、比国、硫黄島など、遠く祖国を離れ、国の為と命じられ、異国の地に散った方々の無念を、今の時代に想い起こす人々がどれだけ居るのでしょうか?
ぼっこし大工の父親も中国の南方とか言っていましたが、幸い命有って帰国した為に私がこの世に生を受ける事が出来た訳ですが、あまり戦地での事は多くを語りませんでしたが、迫撃砲の破片が腕に刺さり、傷跡にハエが卵を産みつけたとか、マラリアに感染した話や、顔を洗っていた時に銃の流れ弾が洗面器に落ちて来たなどの話を生前話していた事を想い出す。