あしあと

愛悠館動物慰霊センター12年の歩み。趣味のマラソン、俳句のことや愛犬花ちゃんのこと。好きな小説や映画の話し。

ドキュメント膵臓癌64~オキシコンチン

2011-03-25 01:38:05 | Weblog
3/24(木曜日)
昨日、今日と痛みのコントロールが効かず、ブログの更新も手が付けられない。
昨夜からオキシコンチンが、一日30mgから50mgに増量され、それに伴いレスキューも一回一袋から二袋になった。
当然副作用も大きくなり、猛烈な睡魔に襲われ思考力が低下し、幻覚も見え始める。
これ以上増量することは絶対に避けたく、明日から始まる放射線治療の効果にすがるような思いで期待している。

夕方、十日振りほどに浴槽に浸かる。

ドキュメント膵臓癌63~大阪市立大学付属病院

2011-03-23 06:47:31 | Weblog
3/22(火曜日)
放射線治療の予備検査のため、ストレッチャーで病院の搬送車に乗り込み、10:30に多根総合病院を出発して大阪市立大学付属病院へ向かう。
四女が付き添って、すべて対応してくれた。
医師から治療の内容や副作用についての説明を受け、一時間余りベッドに横たわり、CT検査を待つ。
CTで放射線を照射する正確な位置を決め、身体にマーカーで十字の印を付ける。
治療の開始が3/25(金曜日)に決定する。
治療時間は約10分、治療回数は10回で終了が4/8(金曜日)の予定となる。
15:00前に多根総合病院に帰り着く。

昨夜あれだけ便が出たのに、相変わらずというか、一層食欲がない。

長女、K女史来たる。

ドキュメント膵臓癌62~フン闘記

2011-03-22 09:03:29 | Weblog
今朝は10時間近く熟睡して、7時頃目覚める。
疼痛あり、レスキューを飲む。

ブログ「あしあと」を開くと、「花冠」同人で千葉在住のAさんから、激励のコメントが入っている。
先日の大地震で、少なからず被害を受けられたにも拘らず、逆にお見舞いを頂いてしまった。

二時頃長男来たる。薬の副作用に便秘が重なり全く食欲がないので、マクドでハンバーガーとカフェオレ、それにハーゲンダッツのアイスクリームを買って来てもらったが、結局アイスだけしか喉を通らなかった。

夕方、まるで宅配便のように、DVDやら本やらを持って、妻が来てくれる。

妻が帰ったあと早速、「THE LONGEST DAY~史上最大の作戦」を見る。
1962年にアカデミー賞撮影賞/特殊効果賞を取った作品で、英・米・独・仏四ヶ国のスタッフと、ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、リチャード・バートンなど48名の当時の大スターを集結すると言う、今では考えられないスケールで作られた作品である。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦、いわゆるDデイを描いたもので、「プライベート・ライアン」の冒頭シーンはこの映画を下敷きに作られたものであろうと思われる。

半分見終わったところで、妻の持って来た寿司を六貫食べる。
不思議なことに、寿司だけはなんとか食べることができる。
しかし、一緒にリクエストしたキリン・フリーは、残念ながら苦くて飲めなかった。

食後、「徳川家康」の第一巻を読み始める。もし今回26巻を読破できれば、六度目と言うことになる。

木曜日以来四日間便秘が続いているので、明日の市大付属病院の受診のことを考えて、車椅子でトイレに行ってみる。
何回か息んであと少しというところまで来て止まってしまい、それからは妊婦のように、深呼吸をしては息み、深呼吸をしては息みを繰り返すもまるで"石"でも詰まっているかのように動かない。
腰痛の方も気になるの、取り敢えずでナースコールを押す。
看護師から、その状態であれば浣腸が有効かも知れないと言われ、試みてみる。
しかし、便意は激しくなるものの、尚も頑として"石"は動かない。
そうこうするうちに、息は乱れ吐き気を催し脂汗まで出始め、腰も痛くなり出す始末。
ギブアップして一旦ベッドに戻り、便器を当ててもらうも出るわけもなく、おむつをして様子をみるが、ますます状態が悪くなる一方である。
最後の手段として、便を軟化させる薬を飲み、入り口を塞いでいる"石"は指で掻き出すという荒療治をすることになる。
横向きに寝て、看護師に見を委ねる。
指を差し込みぐりぐりと、"石"を砕いて掻き出しているのが分かる。しばらく苦痛に耐えて見てみると、いくつかの"石ころ"が掻き出されていた。
それからすぐにトイレに行きしばらく息むと、突然猛烈な便意が襲って来て下腹部に激痛が走り、思わず両側のパイプを握って腰を浮かせる。
すると、劇画風に言えば「ずっこ~んっ!という感じで便が出た。
立ち上がって見てみると、象の糞とも思えるほどの巨大便が、便器の底に沈んでいた。
一度に脂汗も引き、目の前の霧が晴れて、地獄から天国に戻されたような気持ちになる。
そのままシャワー室に行って下半身を洗ってもらいながら、思わず看護士の肩を叩いて「助けてくれてありがとう!命の恩人やっ!」と叫んでしまった。
薬剤の副作用の恐ろしさ、便秘の恐ろしさを初めて思い知らされた。

ドキュメント膵臓癌61~慰霊祭

2011-03-21 05:34:44 | Weblog
今日は午後から愛悠館動物慰霊センターで月例慰霊祭が行われる予定で、二ヶ月ぶりに参加者の皆さんとも顔を合わせるつもりでいたが、残念ながら今回は諦めざるを得なくなってしまった。
妻と長男と三女、それに店長が力を合わせて、慰霊祭を無事滞りなく勤めてくれることであろう。

俳誌「花冠」の同人の先輩からブログに激励のコメントをいただいたので、二十日ぶりに三句詠んで投稿する。
正岡子規のように、病苦に喘ぎながら俳句を詠み続けるということは、凡人にはそうそうできるものではない。

14:00、看護士の介助で車椅子に乗り、約1週間ぶりにシャワーを浴びる。
浴室の鏡に映った、自分の姿を見てぞっとする。
ナースセンターの体重計で計ってみると、やはりまた1kgほど減っていた。

夕方、慰霊祭が無事に終わり、会食している旨のメールが届く。
その席に私がいないことが淋しいと、一言認められてあるが、その淋しさやもどかしさ は私とて同じである。

その淋しさを慰めるように、7時頃長女と次女来たる。
手作りのオムライスを三人で食べ、缶コーヒーを飲んで9時近くまで談笑する。

ドキュメント膵臓癌60~知恵袋2

2011-03-20 04:21:02 | Weblog
3/19(土曜日)
昨日の知恵袋の回答では、放射線治療はあくまでも腰椎に転移した癌の進行を抑え、痛みを取り除くものであり、他の部位へ転移した癌の進行を食い止めることはできないと言う内容で、少なからず落ち込んでしまった。
しかし、抗癌剤治療に救いの道はないものかと、さらに質問を投げかけてみた。
すると今日、同じ回答者から下記のような回答が寄せられて来て、そこに微かな光明を見い出すことができたような気がした。

3/17(木曜日)
<質問>
腰椎への転移癌の質問に、回答を頂きありがとうございました。病院で、取り敢えず飲み薬だけでも抗癌剤治療を始めるよう勧められています。放射線治療と抗癌剤治療を並行して行ってもよろしいんでしょうか。
3/18(金曜日)
<回答>
docterhawkさん
切除不能膵癌に対する治療の一つとして5-FUを併用した
化学放射線療法があります。放射線治療に化学療法を加
えることで治療成績が向上することが示されています。ただ
現在は化学療法の成績が向上したため、Gemcitabine単剤
による化学療法が標準治療です。

前回回答したように、腰椎転移に対する放射線治療は症状
緩和が目的であって、疾患の治癒を狙ったものではありま
せん。腰椎への放射線治療に化学療法を同時併用すること
で制御期間の延長などが得られる可能性はありますが、臨
床試験でそれを証明した報告はないため、実験的治療と言わざるを得ません。

腰椎転移の症状が出ていないなら、TS-1などの内服抗癌剤で
まず全身化学療法を行うことは妥当な選択です。ただ、全身状
態が悪くないなら、Gemcitabineを用いるのが標準です。
Gemcitabine+TS-1という併用療法が現在試みられており、もし
かしたらGemcitabineの併用を見越してTS-1を進めているのかも
しれません。きちんと計画された臨床試験なら乗ってみるのもよいと思います。

従って回答としては、
・腰痛などの症状がないならまずは化学療法のみ始めるべき。
症状が出てきたら放射線療法を単独で行う。
・既に腰痛などの症状が出ているなら、放射線治療単独で治
療を行うべき。放射線治療終了後は化学療法単独で治療を進める。
・化学療法単独のRegimenはGemcitabine>5-FU, S-1。
となります。

16:00頃、四女が彼氏を連れて来たる。ベッドに寝たままの初対面となってしまったが、なかなかの好青年で少しほっとする。

夕方、妻と次女夫婦が、DVDブレーヤーを買って来てくれる。

今日は一日中安静にしていたせいか、殆ど痛みを感じることもなく過ごせた。幸せだ。

ドキュメント膵臓癌59~知恵袋

2011-03-19 02:15:16 | Weblog
レスキューの力を借りずに、5:00まで熟睡。
今日から、オキシコンチンが一回二錠から三錠(1錠5mg)、つまり一日30mgに増量し、そのかわりにレスキューの服用は止めることになる。

鮭と白菜の漬物で朝食を済ませる。

先日、Yahooの知恵袋に投稿しておいたら、今朝下記の通りの回答があったので転載する。

<Yahoo知恵袋>
[質問]
膵臓から腰椎に転移した癌に、放射線治療は有効でしょうか。
また、放射線治療とは具体的にどの様な治療を、どの位の期間行うのでしょうか。
お教え下さい。
[回答者=docterhawkさん]


腫瘍内科医です。
転移性骨腫瘍に対する放射線治療は日常診療として行われます。目的は除痛と病的骨折の防止です。
あくまで症状を緩和するための治療であって、癌を治す治療ではありません。脊椎に転移している時点で癌は全身に広がっており、手術・放射線治療などの局所治療では根治できません。抗癌剤(化学療法)も根治させる事は不可能で、腫瘍の増大を抑えることで症状の緩和を何
とか期待できるというレベルです。
従って、痛みがなく神経症状もない場合に放射線治療を行う事は稀です。放射線治療は一度しか行えないので、治療によって痛みが取れるというメリットが期待できるシチュエーションで行うのが一般的です。
施設によって異なりますが、脊椎の場合1回3Gy、週5日10回/2wというのが私の施設の標準的照射法です。

この回答から判断すると、放射線治療で痛みを軽減したあと、出来るだけ早い時期に、抗癌剤治療を開始しなければならないと言うことになる。
しかも、抗癌剤治療が最善の効果を発揮したとしても、全身に転移している可能性がある癌を、完全に押さえ込むことは不可能である。
詰まりは自分自身が末期癌患者であることを、自覚する時が来たと言うことである。
日常生活を送れるまでに回復するのか、あと何年それを続けることができるのか、今後の治療に全てを託して待つほかないのであろう。

昼食前、痛みを殆ど感じなくなったので、看護婦の助けを借りて起き上がり、コルセットを着けたあと立ち上がってみた。
薬のせいで少し頭がふらついたが、看護婦に抱えられるようにしながら、廊下を少し歩いてみた。昼食も椅子に座って摂り、歯磨きも洗面所に行って済ませた。
四日ぶり二足歩行ができた嬉しさのあまり、看護婦に写真を撮ってもらい、家族全員にメールを送る。

しかし、しかし、暫くうとうととしかけた頃、激しい痛みがぶり返して来て、結局は夕食は取れずに眠る羽目になってしまった。
それでも22日の市大病院の受診は、なんとか粉せる目処が立ったと思えば、良しとしなければ思う。

ドキュメント膵臓癌58~排便

2011-03-18 06:10:34 | Weblog
3/18(木曜日)
4:00頃疼痛あり。レスキュー服用。7:00頃、再度服用。
痛みが引いた頃、朝食が来る。
完食。

主治医より大阪市立大学付属病院の診察日が、3/22(火曜日)に決定したことを告げられる。

13:00 新しい鎮痛剤の点滴を打つ為、歯の検査をする。

四女が、炒飯とわかめスープを作って来てくれる。完食。
食後、少しマッサージをして貰う。
妻も色々なご飯グッズを持って来る。
便秘が四日間続いているので、少しむかつきがある。

夕方、グルグルっと便意があり、二度も排便。軟便。
お腹がすっきりとする。
ベッドに横たわったまま、看護師に便を採って貰うことにも、すっかり慣れてしまった。

お腹がすっきりしたのに、夕飯はあまり進まず、粥を2/3と妻が持ってきた鰆の塩焼きを半切れ、釘煮、白菜の漬物をようやく食べ切る。

今日から、新しい鎮痛剤の点滴が始まる。

ドキュメント膵臓癌57~平穏な一日

2011-03-16 21:47:26 | Weblog
3/16(水曜日)
あれだけ多種多様な鎮痛剤を飲んだ所為か、朝までぐっすりと眠る。
11:00頃、妻が来る。
夕べの地震の所為もあってか、かなりやつれて見える。
暫くして、生駒から義姉が二人揃って来る。
お見舞に持って来てくれた苺大福を、早速にぱくつく。
妻が持って来てくれためばるの煮付けをおかずに、昼食を平らげる。

義姉らの帰り際に、長女と四女が来る。
主治医の紹介状を持って、長女らに大阪市立大学付属病院に行って貰う予定であったが、病院から直接郵送されたそうで、わざわざ行く必要がなくなった。
時間ができたので、娘たちが二人掛かりで丹念に体を拭いて、痛みを感じることもなく着替を終える。
三人で苺大福を食べながら、ひと時談笑する。

夕食も釘煮と漬物で、大振りの茶碗一杯の粥を完食。
デザートに干し柿とBIOを食べる。

あくまでも鎮痛剤が効いてあるだけのことで、病状が決して良くなっているわけでもないのだが、痛みが和らぐと言うことは、心まで明るく安らいで来る。
今日は久々に、平穏な一日を過ごすことができた。

ドキュメント膵臓癌56~増えていく鎮痛剤

2011-03-16 09:43:39 | Weblog
3/15(火曜日)
再入院して初めての朝を迎える。夜中に何度か目が覚めたが、睡眠は十分に足りている。
8:00過ぎにオキシコンチンを服用するも、じっとしていても疼くような痛みがある。
山口医師の指示で更に別の鎮痛剤を服用し、やっと痛みから開放される。
朝食のロールパン2個、牛乳1パック、少量の缶詰のみかんとバナナのデザートを、一時間位かけてやっと完食。
放射線治療を控えて、食べることが今や使命であるから、たとえどんなに不味くとも、出されたものは残さず食べようと思う。

痛みが日に日に強くなっていく。
ハイペン、オキシコンチンを一日二回、それらに加えレスキューと呼ばれる即効性のある鎮痛剤が新たに追加された。
痛みが増していくに従い、薬の種類や量をどんどんと増やしていくことになるらしい。
兎も角今は、放射線治療に全てを託すほかないのであろう。

再入院する時点では、鎮痛剤の処置をしてもらって三日ほどで退院、自宅から放射線治療を受ける大阪市立大学付属病院に通院するつもりであったが、この分ではそれはとても無理である。
多根病院から大阪市立大学付属病院まで、送迎のサービスがあるらしく、車椅子や最悪ストレッチャーでも可能らしい。
大阪市立大学付属病院に入院して治療を受けられれば申し分ないので、明日主治医に願い出てみる。

昼食は粥、卵豆腐半切れ、玉葱の味噌汁、それになんの味付けもしていないキャベツとほうれん草の温野菜。
これも一時間ほどかけて、ようやく完食。

夕方、四女がK女史の手作りカレーを持って来てくれる。
体を拭いて着替えもして、夕食を一緒に食べようと楽しみにしていたが、激しい痛みのため断念する。

四女を帰したあと、レスキューを飲みしばらく眠る。

20:00過ぎ、ベッドを少し起こして、なんとか一人でカレーライスを1/3ほど食べる。

夜、末梢神経の痛みに効果がある、リリカと言う薬が追加される。

ドキュメント膵臓癌55~再入院

2011-03-15 08:34:21 | Weblog
3/14(月曜日)
無理が祟ったのか、朝から激痛で動けなくなってしまった。
鎮痛剤を多めに飲むも効果なく、妻から主治医の山口医師に電話で、緊急入院の許可を得て、止む無く119に緊急搬送を要請する。
生まれて初めて、救急車で運ばれる。
狭くて安定の悪いストレッチャーに寝かされて、どこをどう走っているのか分からないまま運ばれて行くのは、結構ストレスを感じるものである。30分程で病院に到着。

直ぐに山口医師の問診のあと、痛み止めの点滴を受けながら、血液検査、レントゲン、CT検査を受ける。

ベッドから担架、担架から病院のストレッチャー、さらにレントゲン台とCTの検査台への乗り降り、そして最後に病室のベッドへ移される間、計8回激痛に叫び声を上げる。

救急外来の診察室でしばらく待ったあと妻とともに、山口医師から検査結果と今後の治療方針について説明を受ける。

結果は、前回のレントゲン、CTと比べて特に変化は無く、新たな損傷は見当たらないとのこと。
治療方針は先ず麻薬系鎮痛剤オキシコンチンを一日二錠服用して痛みを押さえ込み、16日(水曜日)に紹介状とデータをもらい、大阪市立大学で放射線治療を受けることとなる。
この放射線治療の効果に、全てを託したい。

急な入院で一般病棟にはベッドに空きがなく、12階の緩和治療の病室に入る。
四人部屋とはいえ旧館とは比較にならない位、ゆったりとして設備も整っている。
まさかこんなにも早くここに入るとは思ってもみなかったが、一日も早く、放射線治療を受けることができるよう、只管耐えなければならない。