小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その10 とぼけ顔のチャーミングなシーサー
とぼけ顔のチャーミングなシーサー
とぼけ顔のチャーミングなシーサー
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その10 とぼけ顔のチャーミングなシーサー
とぼけ顔のチャーミングなシーサー
とぼけ顔のチャーミングなシーサー
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その9 屋敷のつくり
赤瓦の伝統的な屋敷はこのような間取りが
一番座(応接間)
大きな島材(島で育つイヌマキが貴重材として使われるとか・・・)を使った柱や貫(ぬき)(木造建築で柱等の垂直材間に通す水平材)
天井や床には、竹の簀子(すのこ)で暑さをしのぐ工夫がされていました。
床の畳の下に竹の簀子(すのこ)が敷かれていました
雨で土が流れるのを防ぐ工夫が、瓦で・・・
開催日時:平成24年2月4日(土)13時~17時(12時30分開場)
開催場所:すこやかセンター伊野1階大会議室
いの町1400番地
その他:入場無料・定員200名(事前参加申込みお願いします)
※詳細はパンフレット.pdf をご覧ください。裏面が参加申込書になっていまうs。
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その8 赤瓦
お父さん(小浜真英氏)と一緒に瓦職人として働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏に案内していただきました 。
修復用に保存している赤瓦を取り出して、組み方を説明をしていただきました。
出典:沖縄大百科 赤瓦
【あかがーら】 赤瓦は沖縄に定着しているように思われがちだが、昔は灰色系の瓦が主流で、赤色系の瓦が現れるのは18世紀だという。このころ社寺や役所などの建設が盛んになり、瓦需要がにわかに高まった。そこで経済的な理由で、各地で瓦生産が可能な赤瓦が生産されるようになったという。
赤瓦は男瓦(ウーガーラ)と女瓦(ミーガーラ)から構成されている。男瓦は半円筒型の一端に玉縁(たまぶち)という部分がついている。玉縁とは接続部のことで、これと女瓦で一組となる。女瓦は平板を少し反らせた形で、女瓦を葺き並べた継目の上に、男瓦をかぶせて葺く。瓦のジョイント部分は漆喰で塗り固めるため耐震耐風に優れた瓦となる。
なお瓦葺きが一般に認められたのは明治以降のことで、漆喰のシーサーを屋根に置く風習もこの頃から始まったようだ
赤瓦は男瓦(ウーガーラ)と女瓦(ミーガーラ)から構成されている。男瓦は半円筒型の一端に玉縁(たまぶち)という部分がついている。
女瓦は平板を少し反らせた形で、女瓦を葺き並べた継目の上に、男瓦をかぶせて葺く。瓦のジョイント部分は漆喰で塗り固めるため耐震耐風に優れた瓦となる。
修復用に保存している赤瓦を取り出していると、瓦と瓦の隙間から「サソリ」が・・・
日本にもサソリがいることを知りました。
赤瓦と漆喰で屋根を仕上げた職人が、家主にお礼として
余った瓦片と漆喰でシーサーを作り屋根に飾りました。
それが原点です!
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その7 吠えているシーサー
吠えているシーサー
吠えているシーサー、茶目っ気のある吠え方を感じる作品ですね。
岡田以蔵、幕末の京で「人斬り以蔵」でおそれられた暗殺者ではある。
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その6 大きな牙をむいているシーサー
大きな牙をむいているシーサー
大きな牙をむいているシーサーですが、その姿になんとも愛嬌を感じます。
小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その5 にらみを利かすシーサー
にらみを利かすシーサー
にらみを利かすシーサーの躍動感・迫力を感じます
今年の4月29日念願の店舗をもてました!久礼八幡宮の公園前青いテントが目印です。
こだわりの鮮魚はもちろん完全ワラ焼き鰹タタキや自家製ウツボのタタキ自慢の品々
取り揃えています!!近くにお立ち寄りの際は是非、気軽に声かけてください
待っちょります
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その4
毬を持つシーサー
私が持っているガイドブックでも、お父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーが紹介されておりました。
毬を持つシーサー
魔除けとして家を守るシーサーの数は、竹富島では100を超えると言う。個性あふれるシーサーを観察して歩くのも楽しい。
小浜真英 氏作のシーサー は、晩年になるほど個性にあふれて、深みのある表情がなんともいえない味をかもし出しているように思われます。
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その3
魚をくわえたシーサー
魚をくわえたシーサーとして、良く紹介されます。
出典:ウイッキペディア シーサー
シーサーは、沖縄県などでみられる伝説の獣の像。建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つ。
名前は「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものである。八重山諸島ではシーシーともいう。
スフィンクスや中国の石獅(石獅子、en:Imperial guardian lions参照)、日本本土の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンもしくは犬と伝えられている。
元々は単体で設置されていたものだが、おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、阿吽像一対で置かれることが多くなった。阿吽の違いにより雌雄の別があり、各々役割があるとする説もあるが、研究文献等にそのような記述は見られず、近年になって創作された俗説である可能性が強い。
各戸の屋根の上に置かれるようになったのは、庶民に瓦葺きが許されるようになった明治以降である。それまでは、寺社や城の門、御獄(うたき)、貴族の墓陵、村落の出入り口等に設置されるのみだった。材質は石や陶器(素焼きまたは本焼き)、漆喰(しっくい)によるのが基本だが、近年ではコンクリートや青銅製のものもある。
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)
(四国42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)09/11/27)
出典:四国ネット・・・42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)
仁王門があり、石段を登ると鐘楼、左の奥まったところに本堂、大師堂がある。本堂左手にはかつての通夜堂がある。
縁起によれば、大同二年、この地を巡錫していた大師は、牛をひいていた老翁に出会いすすめられるままにこの牛にのった。すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見した。
この宝珠は大師が唐におられるとき、有縁の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東へ向けて投げた宝珠であった。大師はこの地こそ霊地と直感し、楠で大日如来を刻み、その尊像のマユの間に宝珠を納めて本尊とし、堂宇を建立して一 山仏木寺とした。
その後牛馬安全の守り仏むして信仰をあつめた。宗尊親王の護持仏や西園寺氏の祈祷ならびに菩提所となったこともあり、慶安以降は藩主の保護によって伽藍は再建された。
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ
栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ
(四国42霊場 仏木寺(ぶつもくじ)09/11/27)
瓦職人、小浜真英 氏作のシーサー その2
かってお父さんと瓦職人をしていた息子・小浜健作氏は、今は大きなホテルの料理人として働いています。
今回の石垣島訪問で、兄の娘婿・小浜純次氏と一緒に弟・健作氏の話を聞き、お父さんと一緒に瓦職人として活躍していた時のことを聞く事が出来ました。
話を聞いた翌日、竹富島にお父さん作のシーサーの写真を取りに行く事を話すと、弟・健作氏が連絡を取ってくれて、お父さんと一緒に働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏が急きょ案内していただける事になりました。
石垣市の離島ターミナルからフェリーがおおよそ30分間隔で出ており、竹富島へは約10分で着きます。
港で待っていてくださった木村さんの車で、町並みまで運んで戴きました。
車の中から、瓦職人として使っていたコテを見せてくれました。相当使い込んでいることが一目で分かりました。
ブーゲンビリアなどの咲き誇る「民宿 松竹荘」には、初期に作られていたもの(左)と新しく作られたシーサーの2対が、歴史を感じさせていました。
石垣市内のお土産屋さんに吊されていました。
瓦職人、小浜真英氏とその息子・健作氏
2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。
娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。
娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して今年の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。
これまで2回 石垣島に行った時は、娘夫婦が石垣島や西表島・竹富島を案内してくれており、特に竹富島は印象に残り、ブログにも訪問記を書きました。
娘婿のお父さんは、今は高齢(76歳)で病院で介護のお世話になっておりますが、
かっては瓦職人として活躍し、竹富島の赤瓦の屋根にあるシーサーのかなりの部分が、お父さん(小浜真英氏)が作った物であることを知りました。
前回、竹富島の「町並み」を案内してくれた時、娘婿はお父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーをほとんど知っており、教えてくれました。
小浜真英氏の息子・健作氏(左)と兄の娘婿・純次氏(右)
かってお父さんと瓦職人をしていた息子・健作氏は、今は大きなホテルの料理人として働いています。
今回の石垣島訪問で、兄の娘婿・純次氏と一緒に弟・健作氏の話を聞き、お父さんと一緒に瓦職人として活躍していた時のことを聞く事が出来ました。
話を聞いた翌日、竹富島にお父さん作のシーサーの写真を取りに行く事を話すと、弟・健作氏が連絡を取ってくれて、お父さんと一緒に働いていて、今も竹富島でお土産用の焼き物などをしていると言う木村泰司氏が急きょ案内していただける事になりました。
毎日新聞 日曜くらぶ 2003年(平成15年)5月25日(日曜日) の特集記事より
赤瓦をふく作業の手を休め、語らう小浜真英さん(右)、健作さん親子。黄土色の漆喰は、乾くと白い色に変わる
弟・健作氏が大切に保存していた当時の、毎日新聞 日曜くらぶ 2003年(平成15年)5月25日(日曜日) の特集記事と、
下の2枚の写真を見せてくれました。
私が持っているガイドブックでも、お父さん(小浜真英氏)が作ったシーサーが紹介されておりました。
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)
出典:四国ネット・・・41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)
南伊予路をたどる。山の傾斜は急で海へせり出し、海面はおだやかで大小の島が浮び美しい。宇和島から約十㌔ほどで三間平野に出る。寺は三間平野を見下す小高い山の上にあり、山上に諸堂が建ち並んでいる。
縁起によれば、大同二年二月初午の日、弘法大師がこの地へ巡錫すると、白髪の老翁に導かれた。そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置し、稲荷山龍光寺と号し、四国霊場の総鎮守とされた。
その後人々から稲荷寺として信仰され、明治の廃仏毀釈で旧本堂は稲荷社となり、これまで稲荷の本地仏であった十一面観世音が本尊となった。
いまも参道入口に鳥居があり、正面石段を登りつめたところが稲荷社で、本堂は参道途中の左手に、大師堂は右手にある。地元の人からは「三間の稲荷さん」と親しまれ、商売繁昌や開運出世を願う人が多いという。
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ
栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ
(四国41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)09/11/27)
(四国41霊場 龍光寺(りゅうこうじ)09/11/27)