高知ファンクラブ

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一宮・薊野史跡巡り5〈土佐神社2〉

2012-02-13 | 2011年2月~の記事

以下に述べる史跡巡りの地図です。参考にしてください。

 なお、「旧関川家資料館」「一宮城跡」は次回に記述予定です。

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禊岩(みそぎいわ、土佐神社境内)

 土佐神社の境内西方の志那祢川は禊川といって、心身を清める禊の神事がおこなわれていたそうだ。

 

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 この岩は禊神事を行う斎場に古くから祀られていたもので、志那祢川の河川改修により境内のこの場所に遷したものとある。

 祭祀上、重要な岩で、祓所の神として人々の心身を清めるご神徳があるとのこと。

 

土佐神社御旅所

 場所は、土佐神社の楼門から南へ「JR一宮駅」前まで1km余り、さらに西300m弱の大谷川に架かる「一本松橋」の所の鳥居が目印である。

 

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 志那祢祭の神輿が土佐神社から御神幸して、仮に鎮座する場所である。

 御神幸の歴史は、古くは浦の内の「鳴無(おとなし)神社」へ、江戸時代から五台山北麓の「小一宮様(土佐神社離宮)」へ、ともに土佐神社の南まで海であったことから御船で御神幸した。

 明治13年(1880)に、この御旅所に珍しい神殿造りの建物が建立され、それ以来、現在まで御神幸が続いている。

 

東天神社 

 場所は、土佐神社境内の東側の車道を北に行った山沿いの三叉路の手前にあり、土佐神社の末社である。

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 「土佐郡一宮村合社帳」(明治3年(1870))によれば、土佐神社丑寅の方角(北東)東ノ元の山上に鎮座とあったが、近年まで現在より約百㍍東方の山腹にあった。

 平成10年(19989月の大雨により境内が崩壊のおそれがあったので現在地に遷したもの。

 東一宮の氏神様として親しまれる。

 

西天神社

 場所は、一宮小学校正門から250m北にあり、土佐神社の末社である。

 

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 鎮座がいつかは不明だが、土佐神社年表によれば、寛文101670)建立。

 社殿は天満宮御紋の彫刻や天満宮の表額があり、祭日が25日の「天神の日」であることから、菅原道真公をお祭りした神社と考えられている。

 西一宮の氏神様として親しまれる。

 ちなみに、「天神の日」の由来は次のようである。

 天神とは天の神で天変地異を支配するといわれ、雷はその神威とされていた。右大臣に昇進した菅原道真は左大臣藤原時平の讒訴(ざんそ)で太宰府に左遷されて没した。

 死後、都に雷や天変地異が頻発し、人々は道真の祟りと恐れ、天の神と道真が結びつき、さらに道真が優れた学者であったことから、学問の神としても祀られるようになった。

 道真の生誕日が625日、太宰府左遷が125日、没日が225日といわれ、毎月25日が「天神の日」で、天神の縁日ともなったという。

 

綱掛松 

 場所は、県道384号線(旧国道32号線)の、業務用スーパーの少し東北へ行った道脇(コンビニ「如月」の向かい側)にある。

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 「土佐神社御旅所」で述べた浦の内の「鳴無(おとなし)神社」までの御神幸に、神輿を乗せた御座船の綱を掛けた松があった所という。昔はこの辺りまで海であったことを想うと不思議である。

 土佐神社の由緒地として管理され、枯れ朽ちた松に替わって、数年前に植えた若松が、いにしえの場所であることを伺わせる。


HN:バンダナ

 

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