風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

『 The rain in Spain 』~発声の魅力~

2012-09-24 03:22:18 | 日記
『今夜は最高』での場面で、『マイ・フェア・レディ』の『The Rain In Spain』を見ると、実に楽しくなる。

まずこの演出の優れたところを取り上げてみよう。

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オリジナルの映画『マイ・フェア・レディ』
The rain in Spain stays mainly in the plain.
(スペインの雨は主に広野に降る)

これは「ヒギンズ教授」が「イライザ」に与えた「練習句」で、その特徴は、各単語が韻を踏んでいることだ。

韻を踏んだ「早口言葉」で、
「ai」とならずに「ei」
と正しく発音する事によって、ロンドン下町のコックニー特有の訛を矯正しよう、というのがこの歌だ。

因みに、マイ・フェア・レディという本作品の表題も、実は「Mayfair Lady」であり、「ロンドンの高級住宅街メイフェアに住む淑女」というのを、「コックニー訛」によって訛って「マイ・フェア・レディ」になってしまったと言う、実に気がきいた、洒落っ気のあるタイトルとなっている。
もちろん、掛詞なのだが。

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オリジナルがこのように凝った作りとなっているなら、『今夜は最高』の作品も凝っている。

まず、タモリさん
『ボウズがビョウブにジョウズにボウズの絵を書いた』

淳子さん
『ボンズがビョンブにジョンズにボンズの絵を書いた』

とでもなるのだろうか。

韻の踏み方も、早口言葉の選定も見事というしかない。
これをパロディーと言うには勿体無い。
放送作家高平 哲郎さんの力量がわかるというものだ。

演出がいいと、淳子さんもこれに応える。

もちろん、お笑いなしの真剣勝負で取り組む。
いつもながら、そこまでやらなくてもと思うぐらいだが。

しかし、ここで注目したいのは、淳子さんの発声だ。

口を横に大きく広げたり、縦に割ったり、その口の動きは、『アニー』で相当鍛えた、と思わずにはいられない。

もともと、デビュー当時から、言葉が単語としててはなく、一つ一つの『音』として、クッキリして聞きやすいし、強弱も細かく、抑揚もある。
彼女の朗読は、確かにうまい。今さら言うまでもないが。

もちろん、デビュー当時から、彼女に訛りなど感じたことはなかった。
秋田から上京して、わずか5ケ月にもかかわらず。

将来を夢見て、本を朗読し、テレビで標準語を覚え、日常でも標準語を使い、日記を書き、詩を覚え、歌を歌い、少女ながら努力したことだろう。

しかし、この映像では、表情筋が、顔の表情をつくるように、声の表情を作っているのだと思うばかりだ。

唇を、正確に、早く、動かす技術こそが、淳子さんの声を作っている。この映像を見て確信した。

NHKのビックショーでの、スキャットもみて欲しい。あの鍛えられた口の動きはいつ習得したものだろうか。
神津善行さんとのスキャットのデュエットも絶妙だった。

淳子さんは、いろいろな音色の声をもつが、アニメ『まことちゃん』に即興で挑戦するシーンがあり、これがなかなか聞き応えがある。これも、日頃のトレーニング無しには、語れぬ技だろう。

モノマネ以外でも、コントの声もはまっている。

ドラマの小浪ちゃんの声はキレがある。

『病院坂・・・』は、岩下志麻さんばりの凄みを予感させる。

彼女が、言葉というものに対して、特別な思いを持ち、精進してきた。
天性の才能にもまして、努力の人だったといえるであろう。

水着で見せる『割れた腹筋』が、彼女の努力を物語るのかもしれない。
山口百恵さんも認めるその努力を。

デビューした年、花売り娘の格好で、観客席から登場した淳子さんだが、
イライザの花売りと重なるのは、私だけだろうか。
それにしても、キレイな日本語を奏でる一人であったと思う。


追伸
20歳過ぎの淳子さんのインタビューを聞いていると、実は、兼高かおるさんの発声を思い出す。

矛盾する言い方かもしれないが、上品な、たどたどしさと言った感じだ。
演じている時とのギャップを感じる。

やはり、本来の東京弁ではないからだろうか。そういう私も田舎ものだから、余計にそう感じるのかもしれない。

円熟の味ーサンタモニカの風

2012-09-21 13:55:05 | 日記
79年を語る時がきた。
この年、21歳の並外れた才能を観ることができた。

桜田淳子さんの成長は著しい。

ハツラツとした眩い輝きの頃は終わり、芸能生活7年目を迎え、既にベテランの域に差しかかる時だった。

歌、ドラマ、お芝居、映画、コント、彼女のパフォーマンスは各方面に渡っていた。

本来、淳子さんは、演劇志望であることは、周知のことであるが、この年の2月、NHKのビックショーというステージを経て、ファンに一つの記念碑を残してくれた。

その淳子さんの代表作の一つ『サンタモニカの風』は、そんな彼女の円熟期のものである。

エレガントという言葉が、ぴったりだった。

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唄 桜田淳子
作詞 阿久悠
作曲 萩田光雄


来て 来て 来て 来て サンタモニカ
来て 来て 来て 来て サンタモニカ

夜のホテルの窓に
もたれかかってぼんやり
風に吹かれていたら
不意に電話が鳴った

きっとあなたと思い
白い受話器を握れば
只の友だちからの
妙にはしゃいだ電話

あなたが来たら ハネムーン
あなたなしでは メランコリー

来て 来て 来て 来て サンタモニカ
来て 来て 来て 来て サンタモニカ
サンタモニカから愛をこめて
風の言葉を送ります

浅い眠りの果てに
ひとり夜明けの珈琲
シュガー落してのめば
朝の光がさした

時の流れの早さ
昇る朝日に思えば
愛の残り時間
後はわずかになった
二人でいれば ハネムーン
一人きりなら メランコリー

来て 来て 来て 来て サンタモニカ
来て 来て 来て 来て サンタモニカ
サンタモニカから愛をこめて
風の言葉を送ります

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阿久悠さんが、21歳の淳子さんの成長を綴ったものである。

出だしは、『来て来て』と直線的だが、エアコンのCM用として、判りやすい表現になっている。

『夜のホテルの窓に
もたれかかってぼんやり』

から、本来の阿久悠さん特有の情景描写がたんたんと綴られていく。

そして、その繊細な描写の中に、女性の心理が巧みに織り込まれていく。

待ってる女性の思いが、『夜』と『夜明け』の2枚のフォトとして、忠実に描かれている。

それが、この曲だと思う。
実に鮮やかな風景だ。

サンタモニカの風の一押しYouTubeは、『YOUNG OH! OH!』だと思う。

『エレガント・ステージ』と名付けられた、3曲のミニステージで、その前のリップスティックもいい。
真ん中で『ワンスアポン ア タイム』を挟むが、実はこれが素晴らしい。

この3曲、YouTubeの淳子さんの数ある歌唱シーンでもベストなものだと思う。

声量、高音の伸び、低音の深さ、文句なしだ。振り付けも優雅な色を添えている。
ビックショーのステージ経験が結集していると思う。

円熟という言葉が相応しい。
この年の『病院坂の首縊りの家 』の名演へとつながって行く。

淳子さんの『円熟の79年』を代表するものだったといえるであろう。


追伸 この曲の出始め、『スター交歓図裁判』の証人尋問で、トップバッターとして法廷に立ったことがある。
涙の会見があり、これをどう考えるか、意見の別れるところではあるが、淳子さんが、大人になるステップだったと理解している。

サンタモニカの風という爽やかさの対照として、そんなことが脳裏をよぎる。

蛇足ながら、先日、誤って『井戸を掘った人』を掲載してしまいました。
こちらは、別ブログに移しました。
今回、そう言った意味も含めて、79年のナショナルCMソング『サンタモニカの風』をアップしました。

しかし、偶然とはいえ、私の二つのブログは、読まれる方が、異なることに気づきました。

本来、このブログは、淳子作品を問い直すものであり、『何をか言わんや』は、淳子さんそのものに向けられた否定評価を見直すものです。

いづれも、プロトタイプの未熟さがあることは、言うまでもありませんが、いづれ、どなたかが完成品を語り継いで頂けるものと信じています、

それが、淳子さんなら嬉しいのですが。

あなたのすべて

2012-09-15 14:37:54 | 日記
何がいいといっても、その立ち居振る舞いがいい。

三人娘の涙の卒業式、武道館コンサートでの映像だ。
淳子さんの歌唱シーンは最高だ。
この映像は、私の聖域のひとつだ。

楽曲は、『あなたのすべて』

衣装は、ティンカーベルを髣髴とさせる、青いミニにシルバーの星があしらってある。

前年の紅白で着用したもので、淳子さんのお気に入りのステージ衣装なのであろう。

次の『気まぐれヴィーナス』でも着たことがあるほどだ。
もっとも、このときは、お母さんの一声で、以後、着用を止め、赤いホットパンツに変更したという記憶がある。

正に、淳子さんにしか着れない。というより、似合わないステージ衣装だ。

しかし、この衣装に惑わされないで欲しい。
実は、このときの立居振る舞いにこそ、淳子さんが表現されている。


ファンの手拍子に合わせ、手拍子を8回うちながら、ゆらゆらとステージ中央に位置合わせする。

そして、ファンに一礼する。

この一連の自然な動作をみるにつけ、この当時のアイドルの完成度の高さを感じずにはいられない。

語るには惜しいが、気持ちを記録にとどめたいと思う。

ステージ中央に立った淳子さんは、深々と最敬礼するのだが、ヒールも含めて二等身の体が、しなるようにほぼ二つ折りになる。

が決して、首は下がっていない。背筋は伸び、鮮やかな角度だ。

所要時間はほぼ3呼吸分とパーフェクトな長さだ。

そして、流れ星が尾を引くように、スーット元のポジションに戻っていくのだ。

その後、右手で、若干乱れた髪を自然な動作で修正し、4回ほど指を鳴らしながら、徐々に演奏にあわせていく。


そして、歌唱に入っていく。

『もう、どこへも行かないでお願いです。
とても一人では、明日から歩いて行けないのです。』

最初、訴えかける表情で通すのかと思えば、
『歩いて行けないのです』のところでは、少し笑みを浮かべて、のぞき込むような表情になるのが、何とも愛くるしい。

さしづめ、ティンカーベルならこんな小悪魔的な表情を浮かべるのだろうか。
『天使』というより『妖精』に近い感じだ。

世の中の男子ティンエージャーで、この段階で落ちる人は多いかもしれない。
まさに、危険水域に入り、警告音が聞こえてきそうだ。

そして、

『あなたの手、あなたの目、あなたの胸』

と、弾丸のような言葉を、3発打ち込まれると、胸が苦しくなるだろう。

しかも、マイクを持ち替え、差し出された左手の平から、妖精の粉が四方に放たれる。
すると、辺りがキラキラしてくる、そんな感じだ。

『いいえ、そのすべて近くに感じたい私です。』

とうっとり言われると、ティンカーベルに誘われて、宙をも飛んでいる気持ちになるから不思議だ。

『そっと重ねた、あなたの口付けを、愛と思ってもいいのでしょうか。』

と高らかに歌い上げて、星空の遊泳を楽しんだ後、いっしょに地上に降り立つ。

『紫の夜に、白い花が咲いて、そして、季節が春になっていったのです。』

紫は、古来より高貴な色を表現するものであり、闇に包まれ、そして『初めての夜』を静かに迎える。

『あなたのすべて』には、桜田淳子のすべてが凝縮された歌といっていいと思う。

70年代生きてて、ほんとに良かった。
なんとも幸運だったとしかいいようがない。



追伸 淳子さんにクレームがあるなら、歌いだしの礼をするとき、
『どうも ありがとうございます。』というのだが、
語先後礼ということなら、若干ではあるが、お辞儀のタイミングが早いかな。

しかし、これとて、曲のタイミングを考えるとき、ぎりぎりだったと思う。
絶妙のタイミングと理解したい。

淳子さんに贈る詩

2012-09-08 10:13:42 | 日記
70年代の正統派アイドル桜田淳子さんに、捧げたいと思う。

中島みゆきさんの『小石のように』を贈りたい。この歌は、79年オールナイトニッポンのエンディングでも流れていたように思う。

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山をくだる流れにのせて
まだ見ぬ景色あこがれ焦がれ
転がりだす石は16才
流れはおもい次第

旅をとめる親鳥たちは
かばおうとするその羽根がとうに
ひな鳥には小さすぎると
いつになっても知らない

おまえ おまえ 耳をふさいで
さよならを聞いてもくれない
とめどもなく転がりだして
石ははじめて ふりむく

川はいつか幅も広がり
暗く深く小石をけずる
石は砂に砂はよどみに
いまやだれにも見えない

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い
石は砂に砂はよどみに
いつか青い海原に

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むには まだ早い
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ

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みゆきさんにしては、何か、軽やかなメロデイラインに乗せて、詩がとうとうと流れていく感じがする。

アルバム『親愛なる者へ』の中でも印象に残る。

詩は、非常に写実的である。少し解釈してみたい。

主人公を『石』に、人生を『川』に、目撃者を『鳥』に、目標を『海』に、故郷を『山』に喩えている。

そして、それぞれが微妙なタッチで描かれていく。

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故郷を離れ、芸能界を目指す私は、夜行列車の中で、友の手紙を読みながら、ステージで歌う夢を思い描いていた。数え年で16歳のことだった。

朝、車窓から、鳥の親子が見えた。子供は十分大きくなって、巣立ちが近づいて見えたが、子を思う親鳥の仕草を見ていると、両親の顔が思い浮かぶ。

こんどは、転がる私を見て、鳥が『どこに行くんだい』と叫ぶのも聞かずどんどん海を目指して行く。
その度にだんだん私は削れていく。『石は砂に砂はよどみに』徐々に周りの環境に同化していく。

しかし、周りから気づかれなくなっても、石は石である。
いつしか、目標だった海に達するのだ。

そして、ふたたび、故郷に帰っていく。

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このみゆきさんの詩を読んで、淳子さんは、どう思うだろうか。

もう目標は達成したから、後は子供たちに夢を託すと、カッコいいことを言うのだろうか。

そうではないはずだ。まだ、削れてはいないと、私は信じる。
まだ『海まで百里』ある。
下流では、川の分岐は多い。

どうか、道に迷うことなく、自分の信じる道を選んで欲しい。
待ってる人は、多いと思う。

最後の試練のときかもしれない。これからもいばらの道かもしれない。

それでも、青い鳥は羽ばたくと硬く信ずる。

『追いかけてヨコハマ』の魅力

2012-09-02 12:06:20 | 日記
『追いかけてヨコハマ』を一押しするファンはどの位いるか興味がある。

中島みゆきさん提供の二作目だ。

まず、中島みゆきの楽曲には、微妙な角度があるように思う。

聞けば中島みゆきの曲だとわかるのは、そんな所にある。

冒頭部分を取り上げてみよう。
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追いかけてヨコハマ あの人が逃げる
残した捨てゼリフに誰か見覚えはありませんか

追いかけてヨコハマ あの人がいつも
この街をほめたことだけが裏切りの手がかりです

旅の仕度をした人ばかり どうしてこんなに通るのでしょう
ヨコハマヨコハマこの船は 街ごと運んで旅ですか

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イキナリ反対の言葉を投げかけてくる。
『追いかけて』と『逃げる』
『セリフ』と『見覚え』(本来なら聞き覚えのはずだ)
『ほめる』と『裏切る』

この語感のコントラストが、この曲全体の違和感を産み出している。
そして、この違和感こそが、中島みゆきの描き出す『情念の世界』だと思う。

そして、同じような言葉の繰り返しにより、だんだん聞き手をその世界に引きずりこむ。

そして、それは、メロディラインと相まると、何か、ますます座りが悪くなり、違和感が残る。それが、中島みゆきの曲の持つ角度だと思う。

中島の曲は、時代を映し出しているが、どこか屈折している感じがする。その屈折率が微妙なのだ。

中島みゆきが、70年代、80年代、90年代、2000年代と世代を超えオリコン1位を取っている理由が垣間見える。

淳子さんはどうか。
演じるのは一流だが、本来、一途で真っ直ぐな性格だ。
そこが、この曲との角度の差を産んでいる。

そして、価値観が異なる。

この曲は、横浜を意識して異国情緒をオリエンタル風にアレンジしている。

中島みゆきが歌う場合、ビートを聞かせて、追いかけるイメージを増幅させている。
しかも、歌声の調子から追いかける女性に強さを感じる。
いずれ、逃げる男は、捕まるだろうことが予感させられる。
1979年の男女間の距離感をこう表現している。

淳子さんの曲は、フラットになる。それは、センチメンタルジャーニー(感傷旅行)で、追って見たものの、結局、傷ついた女性をイメージさせられる。

見方を変えればば、男に対するそこまでの執念が感じられない。多分、去る者は追わない。
彼女のこれが本能なのであろう。

しかし、この差は妥当なのであろう。
20歳の淳子さんに、男を追い詰める情念があったら怖い。
やはり、傷つく乙女で折り合いのつく所だと思う。

やはり、この人の曲は、年齢に応じた青春を歌いあげるところに真骨頂がある。
そういった意味では、二十歳前後の淳子さんの失恋の代表曲と言える。

決して、中島ワールドに、引きずり込まれなかった。

そのことは、逆に、作詞家、作曲家にとっては不満が残ったことであろう。
すぐに、研ナオコがカバーし、翌年、自身がカバーすることになる。

やはり、淳子さんは、エレガントを貫いた点では、ブレはない。

欲をいえば個人的には、淳子さんなら、むしろ、庄野真代のマスカレードのようなアレンジの方があっているように思ったり、ニューヨーカーが好みそうなラテン系でありながらこってりしてなく、軽い感じがいいかな、なんて思うのは邪道だ。

やはり、淳子さんの曲の聴き方は、
『好きになるまで、黙って聞く』
『良さを体に叩き込む』
ことに尽きる。

追伸
中島みゆきさんは、『アザミ嬢のララバイ』や『時代』も印象に残る。

オールナイトニッポンも軽妙なトークで楽しかった。
しかし、最初、松坂慶子さんがゲストで出たときは、ほとんど喋れなくて、逆に松坂慶子さんがリードして、番組が進行したことを思い出す。
美女にコンプレックスを感じていたそうである。
案外みゆきさんも可愛い面があったりしたのを思い出す。