車の中で、桜田淳子さんのライブ盤をよく聴く。
そうすると、テレビとは違った心地よさが伝わる。
なぜだろうと、長らく疑問に思っていた。
それは、躍動感だろうと思っていたが、では、なぜ躍動感なのかがよくわからなかった。
今日、たまたま、山口百恵さんの『乙女座宮』を聴いた。
そのときに、何か言いようもない感覚を覚えた。
それは、明らかに淳子さんとは違っていた。
今日、車の中で聴いていたのは、淳子さんのリサイタルⅣ『ドミニク』だった。
車を降りた私の頭には曲の余韻が鮮明に残っていた。
これだと思った。
ビブラートという言葉に行き着くのに、さほど時間はかからなかった。
ビブラートは、邦楽では多用されるが、洋楽では、必要な時以外は多用されないようである。
つまり、歌謡曲では、ビブラートを使うことは、歌をうまく聞かせる技術なのである。
淳子さんは、レッスンで、ビブラートに逃げないように指導されていたという記憶がある。
当時の歌手は、百恵さんに限らずほとんどの歌手がビブラートを多用している。
ロングトーンのとき、声帯を震わせた方が、うまく聞こえる。
表現を変えればプロらしいということだろう。
しかし、それは日本でのことであり、世界に目を向けると、スタンダードではないようである。
日本語は一音で一つの文字を表し、音楽では一つの音符となるからであろう。
淳子さんの声は、洋楽に合うし、コンサートでも洋楽のナンバーが多い。
そのことは、今に残される音源を聴けばだれでも納得できることだろう。
前回、バンドとの呼吸の話を書いたが、リズムだけではなく、そうした振動する声より、ストレートな声の方が、バックバンドとの相性がいいと思う。
淳子さんは、バンドの前で歌うのを好み、バンドマンは淳子さんを好んだのはそういうことに起因しているようでならない。
淳子さんの歌は、大きく口をあけ、マイクに頼らず、音程を正確にとらえようとする。
学校で教わる歌い方そのものである。
歌はかくあるべきとの信念をもって、そこを目指したとすれば、絶句するしかない。
くしくも、それは、後輩の松田聖子さんにより完成し、今のアイドルに引き継がれているような気がする。
まさに、正統派の系譜、アイドルの王道というしかない。