風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

淳子さんに贈る詩

2012-09-08 10:13:42 | 日記
70年代の正統派アイドル桜田淳子さんに、捧げたいと思う。

中島みゆきさんの『小石のように』を贈りたい。この歌は、79年オールナイトニッポンのエンディングでも流れていたように思う。

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山をくだる流れにのせて
まだ見ぬ景色あこがれ焦がれ
転がりだす石は16才
流れはおもい次第

旅をとめる親鳥たちは
かばおうとするその羽根がとうに
ひな鳥には小さすぎると
いつになっても知らない

おまえ おまえ 耳をふさいで
さよならを聞いてもくれない
とめどもなく転がりだして
石ははじめて ふりむく

川はいつか幅も広がり
暗く深く小石をけずる
石は砂に砂はよどみに
いまやだれにも見えない

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い
石は砂に砂はよどみに
いつか青い海原に

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むには まだ早い
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ

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みゆきさんにしては、何か、軽やかなメロデイラインに乗せて、詩がとうとうと流れていく感じがする。

アルバム『親愛なる者へ』の中でも印象に残る。

詩は、非常に写実的である。少し解釈してみたい。

主人公を『石』に、人生を『川』に、目撃者を『鳥』に、目標を『海』に、故郷を『山』に喩えている。

そして、それぞれが微妙なタッチで描かれていく。

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故郷を離れ、芸能界を目指す私は、夜行列車の中で、友の手紙を読みながら、ステージで歌う夢を思い描いていた。数え年で16歳のことだった。

朝、車窓から、鳥の親子が見えた。子供は十分大きくなって、巣立ちが近づいて見えたが、子を思う親鳥の仕草を見ていると、両親の顔が思い浮かぶ。

こんどは、転がる私を見て、鳥が『どこに行くんだい』と叫ぶのも聞かずどんどん海を目指して行く。
その度にだんだん私は削れていく。『石は砂に砂はよどみに』徐々に周りの環境に同化していく。

しかし、周りから気づかれなくなっても、石は石である。
いつしか、目標だった海に達するのだ。

そして、ふたたび、故郷に帰っていく。

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このみゆきさんの詩を読んで、淳子さんは、どう思うだろうか。

もう目標は達成したから、後は子供たちに夢を託すと、カッコいいことを言うのだろうか。

そうではないはずだ。まだ、削れてはいないと、私は信じる。
まだ『海まで百里』ある。
下流では、川の分岐は多い。

どうか、道に迷うことなく、自分の信じる道を選んで欲しい。
待ってる人は、多いと思う。

最後の試練のときかもしれない。これからもいばらの道かもしれない。

それでも、青い鳥は羽ばたくと硬く信ずる。