風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

続 果てなく続くストーリー

2023-10-08 01:45:14 | 日記

5年ほどある前になるだろか、ある雑誌で桜田淳子さんのインタビュー記事が掲載されていた。

10年間で芸能活動の決算をするという内容だったかと思う。

 

この記事を読んで、強い感銘を受けた。

緩和されたとはいえ、根本的問題が解決してない状況で、逆風が吹くだろうことが容易に想像された。

これは残されたファンに向けられたものと理解している。

 

僕はそわそわした。自分は何を返すべきか、どうやって、状況を分かち合えばいいのかと。

 

淳子さんの過去の曲を聴いていると、妙な力が湧いてくる。

それは、青春時代から体に刻み込まれたものなのであろう。

深夜放送で歌声が聞こえてくるのを心待ちにしながら勉強していた記憶とともに。

 

そこで、60歳を迎えたことを契機に、大学でもう一度勉強してみようと考えた。

職場や家族や親せきからも、『えらいね』と言われたが、止めても聞かないだろうという気持ちが、多分に含まれていたように思う。

 

幸い、若い時に取得した単位が加算されたので、2年編入が認められた。

しかし、ここに誤算があった。

何せ40年ほど前の単位など、何の役にも立たず、数学の微分積分、行列などに苦しみ、

物理、化学など忘れた状態で、力学の計算をする羽目になった。

また、製図、実験、工作など、20歳前の人に交じって参加しなければならない。

60歳の初老を周囲がどのように接するか、滑稽であっただろう。

 

本来なら、3月に卒業するところであったが、どうしても取りたい単位が残ったため、卒業をこの9月にすることにした。

そして、64歳で工学の学士として学位記(卒業証書)を取得することができた。

 

しかし不思議なことで、毎日レポートに追われた生活に慣れ勉強癖がつくと、今でも勉強せずにはいられなくなった。

今では、仕事の合間に、何の資格を取ろうかと考えたり、通学は大変だからいっそ放送大学で博士号にチャレンジしようかと考える始末である。

新しい知識を得るとアドレナリンが噴出してくる。より幸せな気持ちになる。

この年になって、そうした気持ちになれるのは幸せなことである。

 

桜田淳子さんという芸能人は、歌、踊り、お芝居と芸能の道を究める向上心が強かったと聞く。

それは、単なる利害打算ではなく、こうしたことが人としての幸福度を高めていたのではないかと思う。

 

 

まもなく、宗教法人としての解散命令請求が司法の手にゆだねられる。

解散命令が出されるか、認められないのか。出されるとしてもそれはいつになるのか。

それは正直わからないし、そのことにさしたる興味はない。

 

一つだけ言えることは、この30年間に起こったことは、桜田淳子さんをターゲットにした芸能問題ではなく、政治問題であり、報道の問題であり、国際問題であることがはっきりしたことである。

そういう意味では、別のブログ『何をかいわんや』で書いたことが確認できたことにほっとしている。

 

そうした状況下で、桜田淳子さんが、どういう選択をするにせよ、受け入れる用意はある。

そして、それを批判する人がいたとしても、それは、もはや見識を疑われるのではないだろうか。

時代の潮目は変わったと思う。

 

いずれにしても、僕らは長い時を待ったのだから、それが幸せな結末であることを信じている。

それが、僕らにとっての『果てなく続くストーリー』である。

 

(この記事は、今の生の思いをつづっているため、表現や時系列は多少前後することがある。)

 

 


続 蒼い時

2022-10-14 00:41:00 | 日記
『彼女ほど何に対しても素直で、真剣な女性を私は知らない。』
この一節の引用元は、書くに及ぶまい。

彼女とは桜田淳子さんのことで、書いたのは、山口百恵さんで、引退して間もなくの時だ。

しかし、『蒼い時』で、この一節とその下りは必要だったのだろうか。

僕らは、淳子さんの一途な真面目さが好きだった。飾りのないまっすぐな歌い方がそれを表している。
それは、青春の在り方そのものだったからだ。

下りの締めくくりは、『自分自身が苦しくなってしまう一番の原因である』と書かれているが、正直なところ、貶めるように思えてならなかった。

今、再び、淳子さんの宗教問題が脚光を浴びている。
宿命を背負わされての30年は、どうだったのだろうか。

旧統一協会の良さは、全くと言っていいほどわからない、淳子さんが信じていることを尊重しようと思っているに過ぎない。

相手が誰であれ、笑顔を届けようとする思い。それが、桜田淳子という生き方なのだろうと思う。

法律を捏ね回す人、うわべを見て判断する人には、わかってもらう必要はない。

そして、淳子さんは、これまでも、これからも、決して苦しくなっていない。

もし、百恵さんが、『続 蒼い時』を、書いてくれたら、そう代弁してくれるだろう。

僕は、それを信じている。






見えてきたもの

2022-08-28 11:08:00 | 日記
気乗りしないことではあるが、書き留めておこうと思う。

白昼、堂々と暗殺が行われた。
この事件を正当化する理由など、存在する必要はないと思う。

しかしながら、犯人の背後関係がクローズアップされ、問題点がすり替わっている。

そして、桜田淳子さんの信仰問題、広告塔問題にまで波及していると言っていい状態になっている。

1992年当時は、桜田淳子さんが一身に、バッシングを受けたが、今は、政治のあり方に及ぼうとしているところが異なる。
ただ、残念ながら、憲法が危惧するような政教分離にはならず、数人の政治家が、スケープゴートにされ、問題が終息すると思う

それは、あの時、淳子さんがバッシングされ芸能界から離れ、それと共に報道が終息したのとさして変わりはあるまい。

マスコミにとっては、記事が売れればいいのだし、将来のネタに結びつくように、着陸点を探すことは、ジャングルをさすらうハイエナとさほどは変わらないように思う。
無論、それが認められた社会であるから、悪いわけではない。

私にとっての光明は、統一協会問題は、私たちが面白おかしく扱うより政治的に深い話であることを確信できたところにある。

抗えない力があるかもしれないけれども、この問題が、政治性を帯びれば、桜田淳子さんに降りかかる難問は、通過点の一つであったことが明らかになる日もそう遠くはないと思う。

その日が来ることを信じている。






正統派の系譜~王道のアイドル

2021-12-01 20:44:03 | 日記

車の中で、桜田淳子さんのライブ盤をよく聴く。

そうすると、テレビとは違った心地よさが伝わる。

 

なぜだろうと、長らく疑問に思っていた。

それは、躍動感だろうと思っていたが、では、なぜ躍動感なのかがよくわからなかった。

 

今日、たまたま、山口百恵さんの『乙女座宮』を聴いた。

そのときに、何か言いようもない感覚を覚えた。

それは、明らかに淳子さんとは違っていた。

 

今日、車の中で聴いていたのは、淳子さんのリサイタルⅣ『ドミニク』だった。

車を降りた私の頭には曲の余韻が鮮明に残っていた。

 

これだと思った。

 

 

ビブラートという言葉に行き着くのに、さほど時間はかからなかった。

 

ビブラートは、邦楽では多用されるが、洋楽では、必要な時以外は多用されないようである。

つまり、歌謡曲では、ビブラートを使うことは、歌をうまく聞かせる技術なのである。

 

淳子さんは、レッスンで、ビブラートに逃げないように指導されていたという記憶がある。

当時の歌手は、百恵さんに限らずほとんどの歌手がビブラートを多用している。

 

ロングトーンのとき、声帯を震わせた方が、うまく聞こえる。

表現を変えればプロらしいということだろう。

しかし、それは日本でのことであり、世界に目を向けると、スタンダードではないようである。

日本語は一音で一つの文字を表し、音楽では一つの音符となるからであろう。

 

淳子さんの声は、洋楽に合うし、コンサートでも洋楽のナンバーが多い。

そのことは、今に残される音源を聴けばだれでも納得できることだろう。

 

前回、バンドとの呼吸の話を書いたが、リズムだけではなく、そうした振動する声より、ストレートな声の方が、バックバンドとの相性がいいと思う。

 

淳子さんは、バンドの前で歌うのを好み、バンドマンは淳子さんを好んだのはそういうことに起因しているようでならない。

 

淳子さんの歌は、大きく口をあけ、マイクに頼らず、音程を正確にとらえようとする。

学校で教わる歌い方そのものである。

歌はかくあるべきとの信念をもって、そこを目指したとすれば、絶句するしかない。

 

くしくも、それは、後輩の松田聖子さんにより完成し、今のアイドルに引き継がれているような気がする。

 

まさに、正統派の系譜、アイドルの王道というしかない。

 

過去から未来へ―淳子と百恵の交差線

2021-10-03 10:00:00 | 日記

桜田淳子さんの『Thanks45』のブックレットの冒頭に、『過去は未来につながっている』とある。

 

過去も未来も時間の中にある。

ここで、表現されているのは、精一杯歌い続けたということだと思う。

 

歌唱シーンの一つ一つには魂が感じられる。

しかも、より高いものを求め続けたということだ。

 

もちろん、山口百恵さんも、そのことに変わりはない。

 

よく似た二人の分岐点には何があるのだろうか。

 

それは、『時間』というものだろう。

 

山口百恵さんは、1980年に最盛期を迎え、トップのまま引退した。

 

頂点で時間はとまった。

そして、再び回り続けることは無い。

トップなのだから、それで、十分満足できるものである。

 

桜田淳子さんは、デビュー前から、目標を定め努力を重ねた。

まわりのスタッフも、そんな彼女を高みに連れていきたいと願っていた。

それは、リサイタルの音源を聞けばよくわかる。

テレビでの歌唱シーンをはるかに凌駕するものである。

彼女の歌声はもちろんだが、バンドとの一体感、躍動感が素晴らしい。

よく人馬一体というが、その呼吸には息をのむといっても過言ではない。

音の一つ一つが生き物のように感じられる。

聞けば聞くほど、新鮮な発見がある。

 

同世代の僕らは、その歌を聴き、励まされ、共に成長しようとしていたのではないだろうか。

もちろん成長の先にいつも明かりがあるわけではない。

それでも、日々成長することに意味がある。

 

もちろん、成長の過程で別れがある。

僕らは『淳子さんから卒業した』、『卒業させてもらった』が、それは、淳子さん自身が望むことだったと思う。

後年、テレビ局などで、『淳子さんのファンでした』と、よく声を掛けられたそうだ。

『だったんですね』と笑いながら返事をされたそうだが、そういうことだと思う。

別れは、次の成長につながるのだから、決して悲しいことではない。

 

桜田淳子さんの時計が永遠に回り続けるように、僕らの時計も永遠に回り続ける。

そして、将来の人たちの時計もまた回し始めるだろう。

それでいいのだと思う。

 

『過去は未来につながっている』

 

 

桜田淳子 「Wanted」1979年

 

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