5年ほどある前になるだろか、ある雑誌で桜田淳子さんのインタビュー記事が掲載されていた。
10年間で芸能活動の決算をするという内容だったかと思う。
この記事を読んで、強い感銘を受けた。
緩和されたとはいえ、根本的問題が解決してない状況で、逆風が吹くだろうことが容易に想像された。
これは残されたファンに向けられたものと理解している。
僕はそわそわした。自分は何を返すべきか、どうやって、状況を分かち合えばいいのかと。
淳子さんの過去の曲を聴いていると、妙な力が湧いてくる。
それは、青春時代から体に刻み込まれたものなのであろう。
深夜放送で歌声が聞こえてくるのを心待ちにしながら勉強していた記憶とともに。
そこで、60歳を迎えたことを契機に、大学でもう一度勉強してみようと考えた。
職場や家族や親せきからも、『えらいね』と言われたが、止めても聞かないだろうという気持ちが、多分に含まれていたように思う。
幸い、若い時に取得した単位が加算されたので、2年編入が認められた。
しかし、ここに誤算があった。
何せ40年ほど前の単位など、何の役にも立たず、数学の微分積分、行列などに苦しみ、
物理、化学など忘れた状態で、力学の計算をする羽目になった。
また、製図、実験、工作など、20歳前の人に交じって参加しなければならない。
60歳の初老を周囲がどのように接するか、滑稽であっただろう。
本来なら、3月に卒業するところであったが、どうしても取りたい単位が残ったため、卒業をこの9月にすることにした。
そして、64歳で工学の学士として学位記(卒業証書)を取得することができた。
しかし不思議なことで、毎日レポートに追われた生活に慣れ勉強癖がつくと、今でも勉強せずにはいられなくなった。
今では、仕事の合間に、何の資格を取ろうかと考えたり、通学は大変だからいっそ放送大学で博士号にチャレンジしようかと考える始末である。
新しい知識を得るとアドレナリンが噴出してくる。より幸せな気持ちになる。
この年になって、そうした気持ちになれるのは幸せなことである。
桜田淳子さんという芸能人は、歌、踊り、お芝居と芸能の道を究める向上心が強かったと聞く。
それは、単なる利害打算ではなく、こうしたことが人としての幸福度を高めていたのではないかと思う。
まもなく、宗教法人としての解散命令請求が司法の手にゆだねられる。
解散命令が出されるか、認められないのか。出されるとしてもそれはいつになるのか。
それは正直わからないし、そのことにさしたる興味はない。
一つだけ言えることは、この30年間に起こったことは、桜田淳子さんをターゲットにした芸能問題ではなく、政治問題であり、報道の問題であり、国際問題であることがはっきりしたことである。
そういう意味では、別のブログ『何をかいわんや』で書いたことが確認できたことにほっとしている。
そうした状況下で、桜田淳子さんが、どういう選択をするにせよ、受け入れる用意はある。
そして、それを批判する人がいたとしても、それは、もはや見識を疑われるのではないだろうか。
時代の潮目は変わったと思う。
いずれにしても、僕らは長い時を待ったのだから、それが幸せな結末であることを信じている。
それが、僕らにとっての『果てなく続くストーリー』である。
(この記事は、今の生の思いをつづっているため、表現や時系列は多少前後することがある。)