風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

『17の夏』を歌いあげる淳子さん

2012-08-27 04:40:17 | 日記

『17の夏』は、いい。
多分、淳子ファンの圧倒的支持があると思う。

何がいいのか。
この曲の特徴を捉えてみよう。

全体的には、青春まっ盛りの『力強い危うさ』に溢れている。

淳子さんの表現を少し観察してみよう。

この曲は、ほとんど振り付けはなく、表情の変化だけで、17才の危うさを表現しているところがミソだ。変化を見てみよう。

歌い出しの、『特別に愛してよ』のところからは、真剣な眼差しと自然なスマイルがバランスよく繰り返される。

そして、『こっちへおいでとあなたがいうから』のところで、
恥じらいにも似た、乙女の戸惑いの表情をみせる。
この曲のきもの部分だ。

『裸足でかけて』のところから、
気持ちが徐々にせり上がり、疾走感が出てくる。そして、迷いを吹っ切り、決意を固めた顔に変わる。

『好きよ』を繰り返すことにより、高揚感が生まれる。目を閉じて相手に任せている状況だろう。

『誰もみな見ないふり』のところから、
安堵に満ちた笑顔に変わり、勝者の顔になる。

最後は、『17の夏』というところで、これでもかという位の渾身の『目力』で歌い上げる。

何と表現すべきだろうか。この短時間の表現力は。
阿久悠さんが、『演じなさい』という指導が生きている。

この集中力は、まさに天才桜田淳子の真骨頂だと思う。

しかし、この曲は、時代の先端ではない。
4年前シンシアこと南沙織さんの『17才』の女性像をでていない。『17才』では、『二人の愛を確かめたくって』という女性の仕掛けという攻撃的要素がある。

しかし、『17の夏』では、『あなたが言うから』と、恥じらいながら相手に委ねるところがある。
女性像としては、受け身の古風な趣だ。

これは、二つの曲の作詞家が女性か男性かで異なる所にあるのだろう。

しかし、それだけではない。
阿久悠さんが、淳子さんの心を読んで作詞したのだとは思うが、逆に、淳子さんが余りに感情移入して演じる余り、自分の心に、古典的女性像、一途な思いが逆流して、イメージを作ったのかもしれない。

まあ、それでこそ淳子さんなのだが。

それにしても、南沙織さんが女性からも好感を持たれているのに、淳子さんが熱狂的男性ファンに支えられ、隠れ淳子ファンを作ってしまった一因が見え隠れする。

このことは、阿木燿子さんと山口百恵さんのコンビの成功にもいえることだが。

女性目線は、改めて必要だと痛感する次第である。

もちろん、淳子さんも、後々『しあわせ芝居』で新境地を開いていくことになる。


追伸 淳子さん的女性像の影の部分は、別のブログ記事(何をか言わんや)のテーマなので、そちらに譲ります。

SONY『スタジオ1700』の思い出

2012-08-19 12:03:55 | 日記
ソニーの『スタジオ1700』を知っていますか。ラジカセですが、中々の名機でした。発売は、淳子さんデビューとほぼ同じ1973年春です。

『スカイセンサー』を思わせるチューニングダイヤルに人差し指をかけ聞いてたことを思い出します。

あれは、中2の晩秋でした。

新人戦も終わり、部活も休みが結構あった時です。
暇があれば、スタジオ1700相手に格闘してました。

聞こえる周波数をさがしては、歌番組を待ちました。

ラジオ局が、遠いため、時々電波が途切れると、ラジオの向きを変え、手に汗してアナログのチューニングをしていました。

そして、ラジオが電波を捉えるのを息を潜めて待っていました。
アナログてすので、少しづつ、電波のウェーブがあってくる感じです。そして、だんだん雑音より声の比率が高くなってきます。

目当ては、『花物語』です。

『この花は私です。』

曲が流れると、頭の中は、赤のミニのワンピースで、マイクを両手で握りしめ、一所懸命歌う可憐な少女のイメージで一杯でした。
そして、こちらに向かって祈るような目線を感じるのです。

レコードを再生しているだけという次元とは違います。電波がくることに意味があったのだと思います。
淳子さんが、走ってやって来るのに似たドキドキした感じです。

ゲストで迎えられると、録音ボタンを押しながら、電波が途切れないのを祈りました。

これが、思春期を迎えようとする多感な僕の記憶に刷り込まれた桜田淳子です。

ラジオの音声を聞くたびに、何度も蘇ります。ラジオだからだったかもしれません。

ラジオのランキング番組では、大たい10位くらいのスレスレだったので毎週ヒヤヒヤした記憶があります。

2分程度のために費やすエネルギーたるや。

今、考えると、驚くべき滑稽さです。今の子供たちと、比べると自分でも『けなげだったなぁ』と思います。

淳子さんは、この年の新人賞を総ナメにしますが、私的には、『わたしの青い鳥』ではなく、間違いなく『花物語』が、聞きたかったのです。

『わたしの青い鳥』の売上は、他の新人賞歌手に比べて際立つ数字ではなく、関係者は、これでもダメかと嘆いたと聞きます。

『花物語』は、淳子さんの演劇的センスを見越して阿久悠さんが作詞したと伝えられています。

この何気ない曲のヒットは、持って生まれた才能の開花としか思えません。

レコード大賞最優秀新人賞は、レコード売上上位の浅田美代子さんでも、アグネスでもなく、淳子さんだったのは、この曲に秘められた魔力だった気がしてなりません。

今、平穏に待てるのは、あの時期、ひたすら待つことに飼いならされたお陰かもしれません。
そして、イメージすることに妙な快感があるのかもしれません。

アイドルにけじめをつけ、最後の紅白で、過去の持ち歌を歌わなかった淳子さんの精神によって、今の私の持つイメージは、冷凍保存されていたのでしょう。
鮮度を失うことなく。


追伸 中断しようと思いましたこのブログ、いまだにアクセスがあります。つられて、見苦しいですが書いてみました。

私の不思議体験、思いあたる人が多いと思います。

イワタヤイセタン

鮮やかな交代

2012-08-13 13:50:11 | 日記
80年は、時代の節目だった。

銀座博品館で収録の
『あなたしか見えない』は素晴らしい。
『私小説』そのものの音楽性が高いのは言うまでもない。

しかし、このライブのMCには、深く考えさせる。
先ずは、文字に起こしてみよう。一字一句漏らさないように。

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どうもありがとうございます。
22になったばかりの私ですけれども、そんな私に、今、いろいろな方たちがいろんなことを言って下さいます。

その言葉の中には、もっと大人っぽくなりなさい、とか、色っぽくなりなさいとか、あなたは固すぎるとか、気負いすぎだとか、いろんな事を言われますけど。
でも正直言って、気が沈んだときには、そういう言葉に左右されて、動揺もしてしまいます。
これじゃいけないのかなっていう、そういうこともあります。
私の硬さゆえに、人を傷つけてしまうならば、それは素直に反省材料としたいと思いますし、どうしても、私の硬さとか、気負いとか、皆さんを(に)迷惑掛けていることをいろいろ思うとき、心が痛んでなりませんけれども、これは、年齢が解決してくれるかしらとか、自分の中で葛藤することもあります。

でもこれからは、自分の本心に従っていくことが一番の勇気あることだと思いますし、この大変な世界でも、私が強く生きられますように、皆さんに支えて頂きたいなと、思います。

どうぞいつまでも、よろしくお願い致します。
すいません。
昨日から行われてきた、この小ホールでのコンサートでしたけれども、本当に今日が最後のステージになってしまいました。
こうやって、皆様のお顔を見ながら歌っていると、何かこう胸がこみ上げてくる気がしてなりませんけれども、そろそろ、すみません、お別れの時間になってしまいました。

明日こそもっと素敵な日であることを祈りながら。

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受け止め方は、いろいろあると思う。
しかし、飾らない淳子さんの素直で、純粋な気持がにじみ出ていると思う。

百恵さんの引退が決まり、次代のアイドル松田聖子さんが満を持してデビューしたなかで、70年代『正統派アイドル』の伝統を守ってきた旗手として、これまで受けた傷跡を癒したかったのだと思えてならない。

後輩に、アイドル論を語ったこともあるかもしれない。

『でもこれからは~』から、アイドルという宿命を終え、肩の荷を降ろせる安堵感があったと思う。

余談だか、『試験に出る英単語』のidolの説明で、桜田淳子さんの名前が使われ、僕らは、英単語を覚えるたびに
アイドル=桜田淳子
だと言い聞かせていたのだから。
(たぶんあの事件から改訂されたと思う)

このコンサートを境に、ファンは、いろいろな淳子さんを魅せられることになる。

そして、結果的に、何事もなく世代交代は、完成する。

『禅譲』という言葉が相応しい鮮やかな交代だった。


支え合う気持ち

2012-08-12 09:29:14 | 日記
『もう一度だけふり向いて』

改めて聴くと、淳子さんの将来性には何も疑う余地のないことを感じさせる。

この歌は、透き通った声、高音の延び、共に申し分がない。桜田淳子の成長は著しいと感じさせる一曲だ。

しかし残念なことに、76年当時、高校2年の私には、この歌の良さが判らなかったというのが情けない。

同時代で進んでいる僕らの青春とはかけ離れて、遠いところの高嶺の花という感じになってしまった。
汗にまみれた高校時代の僕には、理解できなかった曲の一つだった。

しかし、今、改めて聴くとこの曲は、名曲に値する。

先づは、1977年1月17日『夜のヒットスタジオ』での収録を観てみたい。
出演者
OPメドレー
島倉千代子……(ほんきかしら)
桜田淳子………(もう一度だけふり向いて)
千昌夫…………(流れ雲)
前田美波里……(よまいごと)
ザ・リリーズ…(恋に木枯らし)
島倉千代子……(おじいさんおばあさんありがとう→東京だよおっ母さん)
森田健作………(兄弟)
野口五郎………(むさし野詩人)
ちあきなおみ…(酒場川)

ありがたいことに桜田淳子さんの歌唱シーンがYouTubeにUPされている。

現場にいて観ている人たちの反応がこの曲のプロとしての評価なのだろう。

右手から、ちあきなおみさん、島倉千代子さんが並んで観ているが、同じ表情をしている。
幼くデビューした淳子さんを知るベテランの二人が、澄んだ目をして見つめている。
急速に進歩する淳子さんを目の当たりにして、見入っている。『わぁ』という声が聞こえてきそうだ。
このまま歌手として成長したら、島倉さんタイプだっただろうか。それとも、ちあきなおみさんのようになったのだろうか。どちらにもなりうる可能性をひめていた。さらに魅力的に。

その左のリリーズは、憧れるようなまなざしでいつまでも拍手をしているのが印象的だ。

後列左に森田健作さんだ。事務所の先輩、兄貴分として、その目つきはやはり人とは違う何かを持っている。
妹の将来を感じようとする目だ。
しかし、珍しく淳子さんが猫背気味に歌唱しているのがやや不満といった風だ。更なる成長を望む厳しい表情だ。

後列右の千昌夫さんは、同じ東北の先輩として淳子さんと仲良しだ。
やはり好意的に応援する目だ。
しかしその後の動きに注目して欲しい。
千昌夫さんは胸ポケットからメガネを取り出し両手で掛けている。成長を確かめたかったのだろう。やはりこの人の心は人に暖かい。

三列目の野口五郎さんも、御三家として、真剣に覗き込んでいる。

指揮するダン池田さんは、淳子さんを支えた一人だ。指揮する姿に乱れはない。歌唱か伴奏か、どちらが合わせているのか判らない位、正に一糸乱れね様相で、ニューブリードのメンバーを引っ張って行く。只々恐縮するばかりだ。

曲が終わって、伏し目がちにマイクをもらいに行く井上順さんの腰の低さが、この曲の全てを物語る。
そこに佇んでいたのは、淑女だった。

淳子さんは、この曲を挟む形で名曲が並ぶが、この曲では、ランクインに僅か及ばなかったが、それでもレコード売上は文句なし、ファン層を女性に広げられうる楽曲であろう。

この曲の時代にピンクレディが登場して、歌謡界のトレンドが急速に加速したように思う。

時代を読める阿久悠さんにも作品の変化が生まれ、淳子さんへの提供楽曲も変化したように思う。

パンドラの箱を開けた影響は、よくも悪くも大きい。低年齢層を中心に、時代は彼女たちを追いかけて行くことになる。

もう少し、時代の進み方が緩やかだったら、と今にして思う。

それにしても、この楽曲で、気持を歌い上げられる確信を淳子さんも持ったことだろう。
翌年の『しあわせ芝居』につながっていく。歌唱法は異なるが。

それにもまして、嬉しいのは、スタジオの先輩、同僚、後輩、スタッフのみんなの暖かい目だ。
支え合う気持がにじみ出ている。

とかく芸能界は、華やかな表舞台の裏でダーティなイメージが囁かれるが、それを割り引くにしても、淳子さんを囲み支えるこの映像を見るにつけ深い感銘を受ける。

そして、そういった支えを受け、淳子さんは、成長していったに違いない。感謝したい。

追伸
ロンドンオリンピックの日本選手の活躍をみると、その成績もさることながら、団体競技はもちろん個人競技でも同じように『絆』の重要性を感じた。

メダルを逃した北島選手のためにと思って、メダルを目指した水泳陣にしてもそうだ。

苦しくても支え合ってきたこの国の伝統が思い起こされる。
こういった人を思う心が広がって欲しいと思う。それが、勇気と希望を与えてくれると思うから。

今の国会の状況には、耐えられないが。

イワタヤイセタン

『夜のヒットスタジオ』の見方

2012-08-11 19:38:11 | 日記
『夜のヒットスタジオ』は、淳子さん西条秀樹さんと共に、常連の番組でした。
当時、確か夜の10時からだったので、ほとんど毎週見てたようです。

ドキドキしながら見れる楽しい番組でした。

何故、ドキドキなのか。

先づ、最初のオープニングで、次の歌手の持ち歌がマイクリレーで行われます。

音程をはずしたりしないか、というのが最初のドキドキでした。淳子さん、時々可愛い顔してやっちゃいますから。
しかし、結構、ジャンル違いのを当てられてたような気がします。塚田茂さんの仕業なのでしょうか。
でもこの偉大な放送作家に感謝です。淳子さんはもとより出場歌手の可能性を広げてますから。今、そんな気持の入った放送作家はいるでしょうか。

ところで、最近嬉しいことに、YouTubeにマイクリレーを集めた動画が投稿されています。
見てみると、結構、淳子さんの味がでています。やはり難しいのが多いようですが。
淳子さんの魅力がでており、upしていただいた方に感謝です。
感情が働かないから安心して見られるのも嬉しい。

しかし、デビュー後1年間のが残されていれば、恐る恐る見るんだろうな。

話を戻すと、ここを切り抜けた後は、南伸介さんや井上順さん、芳村真理さんに、いじられるのをどうかわしていくかが問題でした。結構やられてますから。困った顔もキュート。
でも怒らない、怒らない。新鮮な情報多かったですから。

最後の関門は、音程を外したりしないかです。
淳子さんの場合、回によって、出来栄えに差があったような気がします。
すごいな~と思うこともあれば、音程を外したりすることもあります。
当時の過密スケジュールは声に影響するのは当たり前ですが、少年のような当時の私には、そのようなことを考える余裕はありません。
1回1回が真剣勝負。ただひたすら祈る気持で見つめるのみでした。

そんなファン心理を知ってか知らずか、音程を外したりしても、おくびにもださない、引きずらない。
そんなところが淳子さんにはありました。
これは、山口百恵さんにもいえることですが、この時代の歌手はプロとしての教育ができていたのでしょう。
ミスは、誰でもあるが、それをカバー出来るかが力量だと思います。

そんな私も、このミスに気づいたのは、俺だけだよな、なんて、変に自分に言い聞かせてたと思います。

しかし、淳子さん、井上純さんなんかが指摘すると、よく舌をペロッとを出して、右手で髪を抑えてました。まぁ、ご愛嬌ということで。

余談ながら、テロップにも要注意です。タイツがムダ毛隠しだなんて。油断も隙もない。情が深いだけなんです。
それにしても、包み隠しのない淳子さんいいです。

もひとつ、『夏にご用心』で、ミニスカートに、直接風当てちゃダメでしょう。一応。しかし、淳子さんの対応は、穏やかで好感がもてます。
これも、Goodです。

とにかく、『夜のヒットパレード』は思い入れのあるいい番組でしたが、今にして思えば、私にとって油断できない番組だったことは間違いないようです。

今は、結果がわかっているから安心して見られる気がします。

フジテレビさん期待してます。