風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

淳子派と百恵派

2021-07-05 01:23:24 | 日記

花のトリオがデビューするときから、むしろデビュー前から伏線があったという方が正しい。

 

すごい子が出る、これが淳子さんの前評判であり、『暗めの淳子』というのが百恵さんの前評判だった。

 

ここで、当時の世相を考えてみようと思う。

極めて大雑把な話をすれば、1960年代は安全保障をめぐり学生運動の嵐が吹き荒れ、それは、あさま山荘事件まで続いた。

国防を重視する人たちは、三島由紀夫割腹事件でクライマックスを迎えた。

そう言っていいだろう。そうした荒廃した世相をオイルショックが襲った。

 

万国博覧会を経験した日本には変化が必要だった。

若者の考え方も変化が必要だった。

 

小学生の時は、大学に行きたくないと本気で思っていた。

中学生になって、部活に入り、何となく勉強して過ごしていた。

そう、何となくという感じだった。

 

僕らの世代を表現するのに、『しらけ世代』という表現がある。

こうした世相、やり切った感に一区切りしたことの影響が大きい。

 

僕らは何をすればいいのか。その打ち込めないもどかしさを表現したものだろう。

しかしエネルギーは持っていたし、ただそのエネルギーがくすぶっていただけだった。

暴走族、竹の子族、ヒッピーなど、いろいろな形で噴出していたが、それは部分的だった。

 

子供が見ていいのかというような、映画やテレビや漫画があふれていた。

自由と言えば聞こえはいいのだが。

 

そんな時代に『スター誕生』がスタートした。

 

淳子さんがかわいらしさを出し、百恵さんが大人びて歌う。

明らかに、淳子派と百恵派の分化が始まった。

 

制服は、カンコ―とヨット。

学習雑誌は、コースと時代。

体育会系は淳子派、勉強組は百恵派。

早稲田に淳子派、東大に百恵派。

 

歌を中心としてバラエティ番組から入るサンミュージックと、ドラマからイメージを作っていく堀プロダクションという具合だった。

 

二人をめぐり、多くの若者がしのぎを削る現象は、今思えば滑稽だが、当時は真剣だった。

なにせ、はけ口は無くても、熱量を持った人間が多かったのだから。

そして、熱い応援が、二人に力を与えていた。

 

桜田淳子姫のあなたのすべて

大人の淳子姫素敵過ぎます。(*^^)v

youtube#video

 


音程を外せばそわそわし始め応援し、翌日ライバルに指摘されれば喧嘩になり、若気の至りだったのだろう。


他人事ではなかった。


反面、二人にとって、行き過ぎた応援に困惑したことが多いのもまた事実だろう。

また、今ならプライバシーに属することも、平気で表に出てきていた。

 

百恵派は女性ファンが多かったことが幸いしたと思うが、桜田淳子さんは大変だったと思う。

自宅を隠したり、パトカーに先導されながら移動したり、ステージに押し掛けるファンに困惑したり。

いくら応援とはいえ、歌の最中に『淳子、淳子』と叫ばれては、たまには『バカヤロー』と叫びたくなるし、ファンをいじりたくなる、というものだ。

 

桜田淳子さんは、『NHKのビッグショー』で、『私に卒業する』というファンの手紙を紹介されていたが、

気持ちはわかる。

 

でも、これだけは言える。

僕らは、純粋だった。

そして、二人は強かった。一人で相手をしてきたのだから。

 

相手が誰であろうと、これからも、応援しようとする熱量は冷めないだろう。

 

追伸:動画のUP主様に感謝します。

 


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