風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

正統派の系譜ー花のトリオの絆

2021-05-30 00:31:59 | 日記

桜田淳子さん、山口百恵さんを語る上で、三人娘を考えていかなければならない。

トリオの由来が、スター誕生、日本テレビ主導によるものとはいえ、それは強固なものであったということは紛れもない事実である。

 

以前このブログで、1974年の紅白歌合戦での、桜田淳子さん歌唱シーンがそれを物語ることは書いた。

しかし、それは、山口百恵さんが桜田淳子さんを気遣うものであり、気心を知るから自然に出たものであった。

 

1975年3人は、周囲の期待通りに成長する。

ステージでの立ち居振る舞いから、歌唱、など、歌手として、期待以上の成長を遂げる。

花の高2トリオになり、初恋時代の映画が公開される。

それに伴い、3人に『初恋時代』が贈られる。

 

見どころは、3人3様の歌唱法が聞かれるところだろう。

最初、昌子さんが歌い、次に淳子さん、最後に百恵さんが歌うというものだ。

リレーをしながら、お互いに視線を向けあうシーンは実に微笑ましい。

 

私が一番好きなのは、百恵さんが自分のパートを歌い、淳子さんを見つめ、淳子さんと目が合うのを待っているところだ。

まもなく淳子さんは、百恵さんと目が合う。

百恵さんは、深くうなずき、淳子さんも同じように返す。

 

ほんの一瞬の間に、どれだけ多くの会話が交わされたのだろうか。

 

初恋時代 / 山口百恵 森昌子 桜田淳子

1975年7月27日放送?

youtube#video

 

『うまくいったね』、ということなのだろうか。

若いがプロ根性を持つ二人にはそうした会話は不要だろう。

 

もしかしたら、淳子さんの身内に起こった不幸な事件以来の度重なる心労について、

『大丈夫だった。頑張って』と、百恵さんが、投げかけたのではないか。

それに対して、『もう大丈夫』と淳子さんが返したのではないか。

 

しかし、そうした無言の会話が、二人の間に成立するのだろうか。

淳子さん、百恵さん、二人の歌唱が多くの人を引き付けたのは、人より優れた表現力があったからだと思う。

だから、僕らは彼女らの歌を聴き続けたのだ。

そう考えてみると、それ以前に楽屋での会話も考慮に入れると、淳子さんの歌唱パートを聞いて、百恵さんが、淳子さんの心を感じることは十分可能だろうし、百恵さんの歌唱を聞いて、淳子さんが気遣いを感じることはできるのではないかと思う。


また、淳子さんパートになってから、昌子さんが振り返り、百恵さんと目線を合わして安堵しているかのように見えるのも合点がいく。


何があっても、ファンの前ではスマイルを忘れない。そんな気高い三人をたやすく呼び捨てにできるだろうか。


『私たちには、ファンがいるのよ。』

 

淳子さん、百恵さん、共にトップアイドルゆえの苦悩を、ぼくらはもう少し考えてあげる必要があったのかもしれない。

 

追伸、この動画をUPされた方に、感謝いたします。3人娘のファンであることに免じて。


ブログを少しだけ再開した意味

2021-05-12 23:17:00 | 日記
9年ほど前にブログを始めたのは、初めて見たYouTubeがきっかけだったと思う。

色々見てみると、昔を思い出して楽しかったが、桜田淳子さんの映像を見て驚いた。

それから、ネットを検索してみて、唖然とした。

何かを始めなければならない。

同時代の人の記事かどうかは、読めばすぐわかる。正直、腹が立って仕方がなかった。

無力なのは分かっていたが、それでも手を挙げたかった。

もしかしたら、心ある人の目に触れれば良いとも思ったが、何より自分の心を落ち着けたかった。

しばらくすると、状況は劇的に改善したことが懐かしい。
thanks40のときは、嬉しかった。
博品館まで行って、喜びたかった。
しかし、パソコンにキーを入力しようと悩んだが、結局できなかった。

理由は自分でも説明できないが、守ろうとしたのは、淳子さんではなく、結局は自分自身だったのではなかったかと思ったからだった。

しばらくは、ブログを継続したが、淳子さんの評価が改善されたので、ケジメとして、ブログを閉じることにした。

別ブログの『何をか言わんや』は、プロバイダの都合で更新できなくなった。
しかし、最早、役目は、終わっていた。

しかし、漠然とではあるが、来たるべき時に備えておこうかと思ったので、このブログを再開することにした。

ブログを書いておけば、淳子さんの情報を集めようとするからだ。

今は、参加することが大事だと思う。

尚、ブログ継続にあたり、役目を終えた記事は、随時、修正したり、公開を取りやめておこうと思う。
記事は、興味本位ではなく、またアクセスを増やすためでもなく、ひとえに淳子さんの幸せを願うものだからだ。




絆は生きていた

2021-05-11 23:04:00 | 日記
『来ましたよ』

桜田淳子さんの写真が、サンミュージックのホームページのトップに掲載された。

夢のような光景を目の当たりにした。
正直、目を疑ったというのが正直な感想だ。

これは、桜田淳子さんの秘話紹介なのだが、内容云々ではなく、再生回数の多さのためだろう。

多くのファンの後押しがこうさせたということは、疑いようがない。

最近、桜田淳子さんのライブ音源をよく聴く。耳を澄ましてそのクオリティの高さは、驚くばかりだ。

過小評価していたのは、私かもしれない。

今思う。

サンミュジックが、その名の通り、音楽で再生するのには、桜田淳子さんの協力が必要なのではないだろうか。

そのことこそが、淳子さんがやり残したことではないかと。

『来ましたよ』というのは、こういうことなのだろう。
形はどうあれ、そうあって欲しいと切に思う。

やり残したこと

2021-05-05 00:04:00 | 日記

 このブログを書かなくなって、かなりの月日が過ぎた。

むしろ、書く必要がなくなった。

 

桜田淳子さんが幸せであることで、僕の心は十分に満たされたのだから。

 

 少し前に、60歳を過ぎて、やり残したことがあるというような淳子さんの記事を読んだ。

誰もが知る淳子さんの誠実さにより、周りとの絆はさらに深まり、やがて大きな追い風が吹くだろう。


 前回の最後の記事でサンミュージックとの絆のことを書いたが、ますます深まっているように思う。

 ただ、再び、芸能生活を再開するとかいうことが問題ではない。

 淳子さんなりの恩返しの機会が与えられることを願うばかりだ。

 

負けていられない。

僕には高校生の時の、あの気持ちが湧き上がった。

 60歳を迎えて笑われるかもしれないが、新たな目標に向かって、準備に4年を費ややすこととなり、何とか2年やり遂げ、残り2年となった。

さあ これから。

第二の人生を切り開こうと思う。