風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

はじめての出来事~これが限界

2012-11-04 17:21:31 | 日記
前略 桜田淳子様

1975年当時、『アイドル』という言葉を使っていたかどうか記憶にないのです。

受験英語では、『赤尾の豆単』が王道とされたが、67年出版の『試験に出る英単語』(青春出版社)は瞬く間に受験生の支持を受けました。

私も、中学生ながら、『オールナイトニッポン』で、『青春出版社の試験に出る英単語』というコマーシャルは覚えています。
なぜか、ポッカコーヒーのコマーシャルも対になって流れていました。

だから、いまでも、『淳子さんの曲探し(花物語)』=『試験に出る英単語』=『ポッカコーヒー』というのはつながっているのです。今もこの三つはつながっています。

75年『試験にでる英単語』は大改訂されます。
『idol』という説明に『桜田淳子』という名前が使われたのは、たぶんそのときです。
多分それは、日本語になった英語という説明だったと思います。
そして、『idle(怠け者)』と発音は同じだが意味は違うということを学びましたよ。

二つ学びました。
一つは、アイドルは日本語になったということ(多分、おぼろげな記憶では阿久悠さんの仕掛け)。
二つ目は、アイドルは怠け者ではないということ。がんばりやの天使に当てはまらないことは常識ですが。

それにしても、75年のあなたのテレビ出演回数はすごかったですね。
まさにお茶の間のアイドルでした。
正月番組なんか、出てない番組を探すのが難しい状況といってよかったと思います。

歌手にとって大事な『のど』も酷使したことでしょう。
草々

75年の大ヒット曲『はじめての出来事』は、淳子さんのセミロング時代の幕開けの曲だった。
多分最強のアイドルといって間違いない。
もちろん山口百恵さんもそうであるが、正統派という意味では、本流とは異質かもしれない。

この曲の一押しはなんと言っても、『紅白75』だろう。
75年の締めくくりとして、紅白司会者相良直美さんは、『取って置き、高2トリオの一人、桜田淳子ちゃんです』と紹介している。

まさに取って置きだった。

このときの淳子さんがYouTubeにアップされているのはうれしい。
芸能とは、現実とはかけはなれた空間を提供することにより、見る者をして、幻想的な気持ちにさせるものではないかと思う。

そこでは、現実を見せられるというより、位相が異なり、ギャップが生じ、それが楽しいのかもしれない。

紅白での『はじめての出来事』を今見てもそう思う。

キャッチフレーズに『天使』と命名された人は多いと思うが、その魅せる映像に神々しさがにじみ出るのを見たことがない。

それまでもなかったし、今からもないと思う。
一人の歌手が、『奏でる天使』の領域に近づくことができるとすれば、これが限界ではないかと思う。

76年8月ピンクレディが歌手デビューし、時代の寵児となり、歌謡界を席巻する。山口百恵さんは『横須賀ストーリー』をリリースし、完全に180度路線転換する。

視聴率8割のお化け番組『紅白歌合戦』での淳子さんの『くちびる』の動きをよく見てほしい。
その唇の形は、『ダイヤ型』をしている。鳥のくちばしのようだ。
『天使のくちびる』だと思えてしかたがない。

翌年1976年の主演映画『遺書 白い少女』が、12月に衛星放送で流れる。
この時期の淳子さんを見るのが、今から楽しみで仕方がない。


追伸 現状、テレビ特に地上波でこの時期の映像が再現されることはほぼないだろう。
見れば、後の歌番組を見る気がなくなると思う。
製作に携わる方の年齢層を考えれば、そう思えて仕方がない。
テレビ関係者の方には、辛いだろうが、切に望むしだいである。