風に吹かれても!雨にうたれても!

桜田淳子さんの幸せを願うとともに、良き70年代の心を少しでも残したいと思います。

最後のピース~相澤会長の言葉そして

2013-05-29 10:34:41 | 日記
5月28日、相澤会長のお通夜が行われた。
旅立つ人の思いはいかようなものだったのだろうか。

このブログは、昨年7月から始めた。体裁などはどうでも良かった。とにかく自分の言葉で記録し、考えを整理してみたかった。

ジグソーパズルのように、複雑なことを解き明かそうとすると苦痛を伴ったこともある。

『風に吹かれても 雨に打たれても』
別ブログ『何をか言わんや』
を通して、様々に考えてきた。

時には、淳子さんの当時の魅力を伝え、時には、社会現象に自分なりの考察を加えた。

答えなど見つかるとは思わなかった。
答えはなくても、だれかが証明することを期待していたのだろう。

しかし、このような形で答えが見えてくるとは思わなかった。

一人の死が、これほど重いものとは思わなかった。

私は、前回のブログのコメント欄で、ささやかに本音を書いた。
書くべきではないと後悔していた。

それは、こんな内容だった。
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相澤会長の訃報は、非常に残念なことです。

淳子さんの今後に少なからず影響があるのかもしれませんが、それも運命なのでしょう。

酒井法子さんの復帰は本格化し始めた矢先ではありましたが、後は、自分の力で歩きなさいということでしょうか。

また、さんみゅ~を通して、アイドルの系譜を遡れると密かに期待していましたが・・・

まだまだ、淳子さんの再評価への道のりが長いのでしょうか。

これは、相澤会長の残された宿題かもしれません。

いつ解けるのでしょうか。

飾らない淳子さんの真っ直ぐな個性こそが、道しるべだと思います。

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こんなことを書いた。これは僕の本心だ。

どうしても組み上がらないパズルのピースをなくしたような気持ちになった。

そして、寄る辺を失ったことへの不満を感じていた。

しかし、宿題なんかじゃなかった。

虎は死んでも皮を残す。

相澤会長は、答えを残して、他界したのだ。

お通夜は、淳子さんへの気遣いにあふれていたし、テレビは特集を組んでくれた。
スポーツ紙は一面で取り扱った。
そして、なにより、桜田淳子さんが、相澤ファミリーに快く迎えられたことがうれしい。

遺書に書かれていたことは、読まなくてもわかる。


最後に、テレビ番組で紹介された桜田淳子さんへの思いを綴ろう。
この相澤会長の言葉こそすべてだと思う。

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相澤会長の言葉
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中三の少女がスターになる。
その少女に、親衛隊ができる。
無名の女の子が一歩一歩階段を上っていくのを、
お茶の間のファンも自分の体験として共有できる。

ファンがアイドルをつくる時代の始まりでした。

常にトップをめざして挑戦し続けた桜田淳子の精神力は、
いくつになっても彼女の内に残るだろう。

そして、消えない静かな火となって、
彼女を支え続けているだろうと思うのです。

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桜田淳子さんは、僕らと歩んでくれた最初のアイドルだった。
だから、心深く刻まれ、忘れることはない。

今まで、ブログを書きながら、どうしても解けなかった。
最後のピースを相澤会長が持っていたなんて。

最後のピースには、『絆』と書かれている。

改めて、相澤会長に、感謝と哀悼の意を表します。

正統派の系譜その5~桜田淳子さんの個性

2013-05-24 15:04:47 | 日記
1975年4月 高校1年生になったばかりの頃、映画『スプーン一杯の幸せ』を見に行ったときのことを今でもうっすらと覚えている。

それはストーリとか云々ではなく、どうしたら桜田淳子さんという個性をそのまま伝えられるか、そうした映画だったのだと今となっては思っている。

ドジで、おっちょこちょいで、かわいくて、面白くて、センチで、それでいて、ひたむきで、純粋・・・、そして負けず嫌い。

そんな桜田淳子さんの個性を表現したのがこの映画だと思っている。

企画に相澤会長が参加しているのだから当然のことだ。


相澤会長のブログにこういう一節がある。(あいさんのブログ)
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人の長所というものを見つけるというのは易しくもあり難しくもあります。
でもそれは意識して見るようにすれば案外簡単に発見できることではないでしょうか。

短所を長所に変え、あるいは長所でカバーしてしまうくらいの意識で育んでいけば、それは「個性」となって自分を助けてくれるものになると僕は思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

そう書かれている。

以前、私はこんな記事をブログにした。

すみれの花と『美を求める心』

『美』とは『人の長所』のことだと思う。


相澤会長は、桜田淳子さんの長所を『意識』してとらえていた。
そして、言葉ではなく、映像として表現した。
それが、『スプーン一杯の幸せ』なのだろう。

この映像で彼女の個性が色濃く埋め込まれている。

だから、僕らは今でも彼女の生き方を信じることができる。

それは、相澤会長の残してくれたものの一つかもしれない。

残念ながら、この映画はすでに僕らの手の届くところには無いのだが。



桜田淳子 化粧 その3


この映像を見て思うことがある。
20歳になって、口紅もほとんどせず、ノーメイクのようにさえ見える(ナチュラルメイクかもしれないが)。

桜田淳子さんが素の自分を見て欲しいという思いではないだろうか。

だから、内から出る輝きを見ることができる。


たとえ短所があっても隠さず、長所に変えてしまう。それが個性となる。

その個性の延長線上に今がある。

淳子さんが映画の撮影当時の頃のことだっただろうか、こんなことを言っていたかと思う。

〝周りが幸せになってくれれば、淳子はスプーン一杯くらいの幸せでいい。〟

淳子さんは、僕らにたくさんの思い出と幸せをくれたと思っている。

個性豊かな桜田淳子さんを育てたのは、相澤会長の包容力だった。

相澤会長が、四谷のお寿司屋さんでつまみながら、淳子さんたちとの思い出話をされていたことがブログに紹介されている。


それは、楽しい思い出だったことだろう。


サンミュージック会長相澤秀禎様のご冥福をお祈り申し上げます。


追伸 動画のUP主様に感謝します。

正統派の系譜その4~桜田淳子さんと山口百恵さん

2013-05-13 02:27:49 | 日記
世の中に似ている人は、必ずいるとよく言われる。

そして、時代が求めるアイドルともなれば、傾向が似てくるものなのだろうかと思わずにはいられない。

桜田淳子さんと山口百恵さんを見ているとそう思う。

二人は実によく似ていた。
それは、テレビ局のスタッフでさえ、間違うほどだった。

似ていたことは、二人にとって幸せだったのだろうか。

1972年9月、淳子さんは『スター誕生』の決戦大会で圧倒的に優勝する。
その時のことは、ある種の衝撃とともに、誰でも知りうる伝説になっている。

1972年12月、百恵さんは同じく、スターへの道が見えてくる。
しかし、審査員の目には、淳子さんのコピーとしか写らなかった。
それも、ポジではなくネガとして。
それほど地味に見えた。

しかし、会場にいた観客の中に混じって、桜田淳子さんは見抜いていた。
いずれ自分と共に同じ目標に向かっていく原石であることを。

会場で、審査員の厳しい言葉に、沈みがちに会場を離れる百恵さんに声をかけたのは、桜田淳子さんだと聞く。

そして、百恵さんは淳子さんの励ましの声を受け、同じ中学校に通うことになる。

新聞配達で家計を助け、決して自慢できるものではない幼少時代を過ごした百恵さんにとって、淳子さんの強いオーラと分け隔てのない性格は頼りになるものだったに違いない。

事実、桜田淳子さんが、裏方の人に対して優しい気配りをすることは枚挙にいとまがない。
声かけ、お茶出し、そして礼儀など、社会人としても十分すぎるものだった。
彼女ほど『傲慢』の意味を、身にしみて戒めていた人はいない。

淳子さんと百恵さん、二人が違う中学だったら、その後の芸能史も違っていたのではないだろうか。

そして、淳子さんは新人時代から、事あるごとに百恵さんの話題を口にする。
番組の中でも、受賞のときでも。

それだから、僕らは、淳子さんが番組に出ていれば、百恵さんの存在を感じることができた。
それは、淳子ファンの僕らにとっては、自ら手足を縛られることではあったが。

当然、ラジオなどのランキングでも常に意識せざるを得なかった。


彼女らが、オリコントップになったのも同時期だった。

その時期の映像が、1975年の『スターものまね大合戦』だった。
桜田淳子・森昌子・山口百恵 ものまね


百恵さんが淳子さんの『はじめての出来事』を並んで歌うシーンだ。

この映像を見て、どうひいき目に見ても、輝きが違って見える。

淳子さんのひまわりのような表情と百恵さんにリズムを伝えようとする姿勢に対し、百恵さんの表情が固く暗く写ってしまう。
もちろん持ち歌でないこと割り引くとしても。

確かにこの時期、二人のランキングは拮抗していたが、この映像から、二人がしのぎを削っているようには見えない。
むしろ、淳子さんのオーラが、百恵さんを包み込んでいるようにさえ見える。


翌年、二人は再び『はじめての出来事』を歌う。
桜田淳子 はじめての出来事MIX



レコードセールスという指標ではなく、嗅覚として感じられる二つのオーラが共存した時なのだろう。

そして、二人はそれを楽しんでいる。


僕は、初期の頃は、百恵さんについては、所属事務所の力は抜きにできないとしても、陰のある雰囲気、控えめな役柄、悲しげな描写、それらを見ても、なお輝けたのは、桜田淳子さんと共にいることで、アイドル性を維持できたことが大きいと思っている。

それは、森昌子さんや、岩崎宏美さんにも当てはまることだと思う。

淳子さんといることで、アイドルとして位置付けられる。

百恵さんは、アイドルをうまく脱皮できた、という表現がされるが、むしろ、デビュー2曲目から本来のアイドル路線ではなく、アイドル性は淳子さんとセットになるときその性格が増したのではないかと感じている。

僕は、百恵さんの女優面は、宇津井健さん、岩下志摩さんの影響を受け、歌は、宇崎竜童夫婦によるところが大きいと思っている。

そして、将来も含め精神的支えを三浦友和さんによることが大きいのは言うまでもない。

百恵さんが周りのエネルギーを吸収する輝きだとすれば、それが月にたとえられる由縁であり、淳子さんが回りを明るく照らす存在だったとすれば、それは太陽とたとえられる由縁だと思う。

百恵さんが、淳子さんを花にたとえるなら『ひまわり』と表現したのもそうした文脈なのだろう。

そう解釈することにより、翌年の『はじめての出来事』のこの映像が、同じ輝きに見える理由が説明できる。


淳子さん、百恵さん、似ていることが重荷になった時期があるにせよ、二人にとっては幸せなことだったと思う。


私は、正統派としてのポジションという位置づけを、アイドルとしての輝きの源泉と捉えるなら、当時の桜田淳子さんは、まさにその位置にいたのだと思う。

追記 動画のUP主様に感謝します。