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海風が吹き抜ける部屋での昼寝、ババの畑の香気豊かな野菜、釣と素潜りが大好きなオンチャが捕る魚、島の元気をお持ち帰り下さい

長雨後のじゃが芋堀....芋飴

2013年07月17日 | ばばのスウィーツ

雨の三連休開け、やっと晴れた、朝から洗濯機はフル回転、

30軒の軒先庭先干せる場所なら何処でも、万国旗もいかばかりか、明るい陽射しを受けた干し物の列々

青空を待っていたの干し物だけではない、山畑のじゃが芋が連日ずぶずぶの雨に打たれ浸され

「わたしゃもう限界、はよ掘ってくれ」と矢の催促、収穫前の長雨の記憶が青空がばばを走らす......

過去にあった長雨の収穫では、粘土質のオデラ畑のジャガイモは土の中で腐ってしまっていた

「ズバ桶=丸い木の魚専用の桶」一杯しかなく.今なら10kも無かった事になる


その頃、じゃが芋は耕せる所なら何処でも、灯台が建ってる島で一番高い斜面でも作っていた

作ったじゃが芋は新潟市に嫁いだばばの叔母の元に送られ、叔母は学校給食に出したり、

本町の下の市で売ったりしていた、
島出身者が島の産物を集めて商売が成り立つ時代だった

じゃが芋は働き者の島のおなごしょによって、現金収入、一年分の芋の花(澱粉)、食材、おやつ

お土産等になった

「あっさりした甘さで美味しかった芋飴」

茹でてつぶした芋にひたひたのお湯を入れ、人肌になったらモヤシをいれかき混ぜ4時間ねかせる

それを布の袋で濾す、もう一回人肌のお湯をいれ混ぜそれを布でまた濾す、その液を一晩かけて煮詰

める、できた飴は硬く箸にからめても流れることは無かった..

一斗缶一つの飴を作るのは大仕事だった...じゃが芋ひとつでも語りつくせないばばの昔語り.....

 

 

 今年デビューの島じゃが芋焼酎「んっぽん」...あっさりとしたくせのない味わい

意味はおかーちゃん、ちなみに「んっぽん」は内浦地区、「いっぽん」は釜谷地区の方言

釜谷地区では、昭和30年代、分校の先生が中心になって、地区をまきこんだ言葉直し運動がおき、

特に戦後生まれはつかわなくなったようだ

 

 

 

 

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